少年B

ええい、ムシャクシャする!!
のび太をいじめてスッキリしよう。
のび太!すぐうちへこい!
おい、忘れたのか、花瓶だぞ。カ、ビ、ン。
『ドラえもん』「マル秘スパイ大作戦」よりスネ夫のセリフ
(神戸市立太山寺中学校の校内)

中学時代まで

 2007年9月25日逮捕時(17歳)、2008年3月4日保護処分審判時(18歳)から、生年月日は1989年9月26日~1990年3月3日である。
住所は、神戸市西区学園東町(1~9丁目の中で2丁目以外)で被害生徒と同じ地下鉄学園都市駅が最寄り駅である。
神戸市立東町小学校を卒業後、神戸市立太山寺中学校へ入学。中学2年次には被害生徒、少年Yと同じクラスメイトであった。
 小学校時代から卓球の少年団に所属して大会などにも出場しており、中学時代も卓球部に所属していた。
中学2年時の2004年・平成15年度カデット大会(8月27日、開催地:豊岡)ではダブルスで出場し2回戦敗退、中学3年次の2005年・平成16年度総合体育大会(7月29日、開催地:篠山総合スポーツセンター)では男子シングルスに出場し3回戦敗退している。
 中学時代の同級生の保護者の話では、親自身は常識的な親だった。
中学時代の同級生の印象では、そんな悪い奴ではなかった、首謀者としてイジメができるタイプではなく、常に誰かについていく感じで、頭になれるようではなかったという。また中学時代からパソコンには詳しかったという。

高校入学からフットサルサークルの結成

 2005年4月に私立滝川高校へ入学。Ⅰ進コースでクラスは、被害生徒、少年H、Y、I、E、Hyなどと同じ1年6組だった。
被害生徒とは同中学出身ということもあり、入学当初から親しい関係であった。

 新聞報道によると、少年Hと親しくなったのは、6月25日、26日に行われた滝川祭(学園祭)の女装コンテストに出ようと5月頃に誘ったことがきっかけだった(2007/09/25, 大阪読売) 。
1年次の終わりごろには、少年Y、少年Eも加わり一緒にフットサルサークルを結成するまでに親しくなっていた。
フットサルサークル「瀧川VECTORS」は、2年次に入ってから同好会として正式に活動し始めるが、クラスは少年Bは文系を選択したため3組と被害生徒、少年H、少年Yとは別クラスであった。
 少年Bは副キャプテン、ゴールキーバーであったが、影響力はBが一番持っていたとされている。
フットサルサークルHPのキャプテンである少年Yの紹介文には

キャプテン. つ○○. 大会申し込みとかいろいろします. べっちゃんの方が影響力は... 

との記載が見られる。
 2006年12月29日に被害生徒の名義で書かれた携帯日記には、以下のように少年Bが記載されている。

神様○○様(←Bの名前)に画面を見やすくしていただいたりしていただいたこともありました。

 また被害生徒へのいじめや飲食類のタカリがひどくなるのは2年の冬ごろだとされているが、7月ごろには、当時の担任教師が「彼をいじめるな」と注意しているのを目撃されているという報道があり、また一学期末テストの成績が悪かったという理由で、被害生徒をソフトモヒカンにしているなど、いじめの兆候が見られていた。

うそつきゲームの始まり

 周囲の生徒が被害生徒と少年Bらとの関係にいじめへの転落を感じたのは、2年次の秋の紙粘土を使ったいじめであるが、別クラスであった少年Bがどれほど関与していたかは不明である。
 2年秋には、ばちこいたら一万円払うという約束を被害生徒がさせられるが、この「うそ」は、中学時代に一番かわいかった女子と付き合っていた、という冗談の揚げ足を取られたものと検証されている。
少年Hが作文で記載した〈チームの一人が口も聞かなくなり、(自殺した生徒は)とてもつらそうだった〉というチームの1人が少年Bであるかは明らかではないが、女子生徒とも同じ中学校であったこと、12月のカラオケ合コンに少年Bが参加していないことなどから、Bである可能性もある。
この「約束」後、被害生徒のメールアドレスと「約束」は急速に仲間以外に広まり、被害生徒のことを知らない生徒からも金銭を要求するメールが届いたという。

フットサルサークルの権力者

 フットサルサークル「べくとるず」のHPの管理権限は少年Bがもっていたことが、在校生からのヒヤリングで明らかにされている。
HPのアクセス向上策として、メンバーの失敗談を掲載することになった際にも、被害生徒の失敗談を載せたことを嫌がった被害生徒に対して削除を許さなかったのは少年Bであったとされる。
被害生徒は少年B以外の少年に「BがOKしてくれたから消してほしい」と頼んで消してもらったが、 それがばれてまた再開されることになったという。
この件も「うそ」の罰金対象になったということから、「うそつきゲーム」開始後の出来事と思われる。

 冬になると、グループの少年らとお好み焼き屋へのパシリとタカリ行為、ソフトモヒカン刈りにする、陰毛を剃り下半身を写真に撮りクラスメイトに見せるなどの行為を他のメンバーと共に犯した。
このころ以降、激化するサイトを使ったいじめについても、HPの変更権限を少年Bがもっていたということから、少年Bがこれらのいじめに中心的役割を担っていたと思われる。

 後に2ちゃんねるに登場した「なかよっぴ」を名乗った人物からは、陰湿ないじめの主犯であったと指摘されている。
彼の少年Bに対する書き込みが正しければ、少年Bは万引きの常習犯であり、新聞報道の「男子生徒は同級生らに数回の万引を強要されていたなどと、知人らに打ち明けていた」(産経10/6)の「同級生」は少年Bである可能性が高い。
また2007年6月末に少年Hが送信した恐喝メールにある「学校に発覚していない万引の事実を公表して退学にさせる」(産経10/6)は、この件を指している。

690 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/09/25(火) 05:10:12 ID:RW7peUZX0
 で、この中の誰が陰湿ないじめの考案者なんだ? 

703 名前: 可愛い奥様 投稿日: 2007/09/25(火) 05:15:11 ID:XruTwoD4O
 >>690別○
 万引きの常習犯で何かと売り付けることで有名だからな
 金は要らないから近付くなと言っておきながら金要求してるからな 

 少年Bの学校に対しての供述によると、3年生になってから「直接話をしないなど、生徒と距離を置くようになり、生徒に貸していた衣服を返すよう求める際などには、先に逮捕された少年を通じて連絡していた。」 読売9/27などと供述していたが、実際には恐喝要求を繰り返していたと思われる。

権力の源泉 「プリクラ廊下サッカー集団」とのつながり

 なぜ少年Bがフットサルサークル内で権力を握るようになったのか、その経緯は不明であるが、通行の邪魔などを省みず我が物顔で廊下でサッカーを興じていたⅠ進の野球部、アメフト部生徒を中心とした「プリクラ廊下サッカー集団」とのつながりがひとつの要因であったことは明らかである。
 少年B自身が廊下サッカーのメンバーであったかは明らかでないが、2年・3年次に少年T、少年Iらと同じクラスとなり、校内で別格に権力を握っていた少年Tとケーキを囲んだ写真2枚に一緒に収まるなど、それなりの友好関係を築いていた。
また少年Iに対しては、2006年9月20日にコミック単行本と整髪剤を贈呈したことが、Iの日記に記載されている。
このコミックはIの前後の日記から推測すると、後日古本屋へ売りさばいている可能性が高い。

んでもべっちゃんにナルト全巻とワックスもらう約束した

 さらに、時期は不明だが少年Bが個人で運営していたモバゲータウンのHPは、「廊下サッカー集団」の生徒がメンバーであった「瀧川パラダイス」にリンクされていた。
2年次には、不用品を売りつける相手を探していた少年Iに対して、被害生徒を紹介している。
その後少年Iによる恐喝は、ブレスレット恐喝詐欺に至るまでの間、偽物のルイ・ヴィトンやグッチの財布を数万円での売りつけ、二十回程度洋服や古着のTシャツなど数枚を1枚1000円前後での売りつけなどが行われた。
また3年春のブレスレット恐喝詐欺では、少年Iの取立てメールを代行するよう少年Iから頼まれ、少年Iと被害生徒との仲介を行った。

立件された犯行内容

 立件の対象となったのは、6月から急増した少年Hが送った恐喝メールに少年H、Yと共に共謀して金を脅し取ろうとした恐喝未遂である。
これらの恐喝メールは、被害生徒に送りつけた後、少年Bのもとにも転送されており、共謀罪が成立すると判断された。
以下がもっとも詳細な恐喝メールの内容である。

「おれは5万くらいでええよ。夏休みまでに払わなければ倍の金額を2学期中に払わせるか、
学校に発覚していない万引の事実を公表して退学にさせるか、
クラスのメンバーを勢ぞろいさせてリンチをさせるかの選択になる」 

逮捕前までの行動と供述

 被害生徒自殺後の様子は、「お葬式での泣きようは半端無かった」(VIP37)という。
またながもんの書き込みにある「自殺した後、4日間、桃以外何も食えなかった」のは、少年Bのことであると思われる。
しかしその後の学校の調査では、学校側のおざなりな調査方法に助けられ、いじめ加害の事実を明らかにすることはなかった。
警察の取調べに対しても少年Hが「警察の調べにうそをついてもばれない。なまっちょろいもんや」などとの内容のメールを送ったものを少年Yと回覧し、口裏合わせをしていたとされる。(朝日9/25

 9月17日に少年Hが恐喝未遂で逮捕されて以降の少年Bは、学校の2回目の調査を授業に出ずに受けており、「ふさぎ込んで昼食ものどを通らない状態」だったという。
また「自分たちも逮捕されるのでは……」とも漏らしていた。教師が「『うそをついたら罰金1万円』という取り決めが被害生徒を追い込んだなら、いたずらでは済まされない」などと諭すと、「大変なことをした」と話したという。(毎日9/26
しかし2回目の学校調査に対しても、しっかり受け答え関与を認めた少年Yに対し、少年Bは関与を否定していた。また「精神的ダメージが強くてほとんど眠れない状態だった」という。
 9月25日に少年Bが逮捕された際に、学校側は少年Bのこのような言動を見て「事件にかかわっていないとみられていた」「本校の調査でも分からなかった」と答えている。(時事9/25

逮捕後の供述と処遇内容

 9月25日に恐喝未遂で逮捕後も少年Bは、犯意を否認し続ける。
自殺した生徒から金を取ろうと計画したことなどは認めていた。しかし、犯意については「冗談のつもりで、金を取る気はなかった」「金を持ってきたら受け取らないつもりだった」と一貫して否認した。
 「徴収役」だったとされる先に逮捕された生徒に、金銭要求のメールの責任を転嫁するような供述もあったという。 (神戸10/16
少年Yが10月12日に犯意を認める供述をはじめたが、少年Bについては審判開始まで容疑を認める供述はみられなかった。

 神戸地検の意見書は「少年院送致が相当」という内容であったが、11月8日の少年審判では「試験観察」として家裁調査官に少年の様子を観察させたうえで、改めて審判を開いて処分を決めることが決まった。
その後2008年3月4日に開かれた2回目の少年審判では、「専門家の継続的な指導の下で更生をはかることが相当」とし保護観察処分が決定した。
少年Bが2回目の少年審判までに犯意を認めたかは不明である。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年09月27日 03:38
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。
添付ファイル