仕事の主語を何にすべきか?
 一般に仕事の主体は,「物体」かあるいは「力」とされる。実際どちらを「仕事をする」側に持ってくるのがよいのだろうか? まだあまり整理していないが,私は仕事の主体はできる限り「力」にした方が紛れがなくてよい,と最近思っている。

 力は,それを受ける物体を主語にするのがよい。「りんごが地球から受ける重力」,「りんごが机から受ける抗力」,等々。力を「及ぼす」側も一般に物体であるが,近接作用の考え方からすると「場」もその主体としていいだろう。「りんごが地球の重力場から受ける重力」,「電荷が電場から受ける電気力」(いずれも冗長な表現だが),等々。
 では,仕事の主語はどうすればいいか。これも私たちが力学で問題にするのは,多くの場合仕事をされた物体の運動であるから,仕事の元となる力を受ける物体を主語とするのがいいのかもしれない。ただし,力の方を「受けるもの」としてみつける立場を徹底すれば,仕事の方は「する」側を主語とする能動表現を用いても混乱は少ないだろう。正の仕事を外にすることによって物体がそのエネルギーを減じるとするもよし,同じことを負の仕事を外からされたためと言ってもよい。

 問題は,仕事を「する」側として何を選ぶかである。2つの可能な選択があり,一般にはどちらも認められている。
(1) 仕事の元となる力を及ぼす物体  「地球がりんごに対してする仕事」
(2) 仕事の元となる力自身       「重力がりんごに対してする仕事」
右に書いた例の場合,(1)の表現はむしろ使われることが少ない。地球を意識しなくとも重力下の運動は表現可能だからである。地球の相手が月ならばまた別だろう。もちろん,りんごが受ける重力の相手が地球であることを常に意識することは大切である。しかし,それは力の発見において特に大切なのだから,力をみつけた後にはそれほど固執しなくてもいいだろう。

 そして,冗長であるからという消極的な理由だけからではなく,私はむしろ積極的に,仕事の主体は力として表現すること,すなわちできる限り(2)を選択したいと思うようになってきている。積極的な選択の主な理由は,
[1] される仕事は受ける力ごとに定義でき,する仕事は及ぼす力ごとに定義できること
[2] 外力と内力,保存力と非保存力…といった抽象的な力に対しては,その相手を特定しなくとも仕事を考察できること
である。特定の力が見えているとき,すでに相手の物体は普通は見えている。仕事を考察するために力の主体である物体にまでさかのぼる意義があるのは,上でも書いたように,物体が外に正の仕事をしてエネルギーを減じる…というように物体のエネルギー収支に着目する場合のみであるように思われる。したがって,もちろん物体を主体とする(1)の選択は否定するべきではない。いずれにも固執することなく,それぞれの長所を生かしながらフレキシブルに使いこなしたいものである。

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最終更新:2008年12月11日 21:06