山の端に赤々とした太陽が触れんばかりに接近し、とりどりに差し交わされた数多の花々を琥珀に染め上げている。目指す女神の館まであと僅かの距離だった。
その館を照らす茜の輝きの放つ眩さと神々しさに思わず目を細めつつ、二人の男神は彼女にどう切り出すべきかと顔を見合わせていた。
リュータ神国の至宝、天輪の鏡が略奪された今、この地を守る術は皆無に等しい。
相手の条件を受諾せねば、あっけなく責め滅ぼされるであろう。

「言わずもがなのことですが、妹はおそろしく気位が高い女性です。
いや、気性が荒いというか、女の顔を備えた戦将とでも言うべきかもしれませんね。
―――いくら君が願い出たとて、聴く耳は持たぬでしょう」
すっきりとした銀髪を肩に流した男は、柔和な面差しを歪めて親友の顔を眺めた。
「お前が『うん』と言ってくれれば、俺だってこんな真似はしないさ。だが」
「失態を演じたのは、ロレンツォ、君ですよ。自分の尻は己で拭いなさい」
友の唇からこぼれた繊細な面差しに似合わぬ言の葉を耳にし、
ロレンツォはやや憤懣やるかたない面持ちで眼差しを遠くへ馳せた。
俊敏で隆々たる筋肉を秘めた肉体をもちながら、容貌はどこか不安気な風情のロレンツォは、
数回瞬きをした後、きっぱりとした口調で言い切った。
「無論だ。フィローラ姫を傷つけるような事態は断固避ける。だから、最後まで協力してくれ、
アロンソ」


「―――つまり、酔っている間に至宝『天輪の鏡』を盗まれたと?」
夕陽の細かい霧のような光の粒子を弾いて、淡く長い金髪が緩やかになびいた。
ラピスラズリのような深い紺碧の瞳は、闘神ロレンツォの堂々たる体躯を射抜くように凝視している。
「フィローラ、正確には『一服盛られた』んだ。テオの奴等は卑劣にも祝祭にまぎれ、酒に薬を」
「お兄様はお黙りください。テオの条件を聴きたいのです。
 そのために、この離宮までいらしたのでしょう?」
太陽と花の神たるフィローラは、普段余程のことがないかぎり、異性と顔を合わせることはない。
技芸の神である兄アロンソと、その幼馴染である闘神ロレンツォが雁首を揃えて面会を申し入れるだけで、充分事の重大さは予測できた。
陸に揚げられた鮪のように、口をぱくぱくさせていたロレンツォは、冷静な友の流し目の威圧感に
気圧されるような格好で、大きな体躯を縮めるようにしつつ、その身体に似合わぬ小さな声で切り出した。


「テオの奴は、『天輪の鏡』を返してほしくば、フィローラ姫を花嫁として寄越せ、と」


フィローラの端正な花顔には、私情の僅かなゆらめきも見られなかった。
ただ、巨躯を丸め全身汗に塗れた幼馴染に、優美な物腰で視線を据え美鈴を鳴らすような声で
鋭い言葉を放った。
「神国の至宝を強奪された上、この私にあの野蛮極まりないテオの元へ輿入れせよと。
 闘神ロレンツォ、そなたの誉れはたいしたものよの」
「い、いやそれは」
「言い訳は聞きとうない」
鼻先で門扉を閉めるような勢いで、臈長けた姫神は桜色の艶めいた唇を震わせた。
「太陽と花の恩寵を得るには、あの鏡はどうしてもこのリュータ国にあらねばならぬ。
 ・・・わたくしひとりの貞操で済むならば、甘んじて受け入れよう」
「待ってくれ、フィローラ。お前にそんなことをさせるわけには」
「お兄様、ではなぜこの話をわたくしになさったのですか?」
紺碧の瞳をますますきつく歪めた麗しい妹の怒りに、兄は一瞬躊躇の色をみせた。
「とにかく愚図愚図している暇はありません。
誰かのように、身体を丸めて震えているだけの者だと、ゆめゆめ誤解なさいますな。
 早くわたしの婚礼の準備にかかってくださいませ。
 わたしの気が変わらないうちに―――私の憤りが貴方たちに達しないうちに!」
その言葉が終焉を迎えないうちに、フィローラは透き通るような細首に巻かれた
薔薇を象った首飾りを盛大に引きちぎり、その残骸を二人の男たちにあらん限りの力を振り絞って投げつけた。

 

「いや、充分達していたと思うけど」
離宮の門を出たところで、ロレンツォは浅黒い顔を撫でながら、ぼそぼそと呟いた。
どうやら、散らばった宝珠のひとつが頬を強く掠ったらしい。
「だから兄のお前が最初に口火を切れば、最後まで俺の提案を聞いてくれるって言ったじゃないか」
「ロレンツォ、本当に君はあれの気性を掌握しませんね。一体何年幼馴染をやっているのですか。
 君がてきぱき論理的に話を進めないからこういう事態を招いたのですよ」
つくづく始末におえない、という表情を隠蔽しようともせず、アロンソは気位の高い妹そっくりの
面差しを親友の双眸に近づけた。
こうした不意打ちに、ロレンツォがどぎまぎしたような風情を見せるのが面白くてたまらないが、
その思考は胸に秘めることにした。
「仕方ないですね。当初の予定どおり妹には輿入れをしてもらいましょう。
 悪神テオは奸智に長けるが好色極まりないと仄聞しています。
 きっとフィローラの容貌の虜になることでしょう。でも、油断はできませんよ。
 どこで裏をかかれるか、わかったものじゃない」
ロレンツォは朱に染まった顔を俯け、憤りを固く結んだ拳に包むようにして厳つい双肩を震わせた。
「アロンソのいうとおり、あのスケベ爺があっさり『天輪の鏡』を返すとも思えん。
 きっとリュータの至宝の双璧――鏡と姫神を一気に手中におさめようという魂胆だろう」
「ああ、見えすいたやり口ですね。だからこそ、我らはその裏をかき、一泡ふかせてやらねば」
女性のように繊細な唇を僅かに緩めたまま、アロンソは群青の瞳を酷薄に歪ませた。

「どうしても、やるのか?」
やや意気消沈した翳りある口調で、ロレンツォが友に問う。
「無論。君がまったく汚名返上の意思も持たず、指をくわえて連中の意のままに翻弄されることを
 望むならやめてもよいですが」
「い、いや。やる。自身の責めは負う。
フィローラ姫を守るためなら、どのような屈辱も甘んじて受ける」
「今の言葉、決して忘れないように頼みますよ」
(まったくそういう台詞は妹にこそ言うべきなのに、この不器用者ときたら)
と半ば呆れつつもアロンソは口角を皮肉気にややつり上げた。
濃紺の夜空を渡る風は強く、月光を透き通した雲は絶えず形を変容させながら西から東へと流れていく。
(婚礼の儀の折は、風が凪いでいるとよいのだが)
アロンソは、冴え冴えとした月光にも劣らないほどの怜悧な光をその瞳にたたえながら、
風になぶられ額にかかる銀の髪を押さえつつひとりごちた。

 

 

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最終更新:2008年12月27日 06:25