「――そのお話は、お断り下さい」
窓の外を眺めたまま、淡いオレンジ色の髪が眩しい彼女は、柔らかくも芯の強い声で答えた。
「はっ……、ですが姫様。領土や文化的発展は若干見劣り致すかもしれませんが、
 わが国との友好関係も長く、何より平和と品位を重んずる国民性は姫様の……」
「――宰相、わたくしに二度も同じことを言わせないで下さる?」
宰相が姫の居室に入ってから初めて、彼女は景色から視線をはずし宰相を見やった。
「国王夫妻に伝えなさい。お父上お母上の末娘を案ずる気持ち、とても有り難く存じますが、
 最初にこの婚姻を決めたのはあなた方であり、それを受諾したのはわたくしです。
 多少かの国で動乱があったからと言って今は鎮圧され秩序を取り戻しつつありますし、
 わたくしはなんの心配も致しておりません」

口調はあくまで柔らかいものなのに、言葉の端々に鋭い棘が混じる。
いつもは潜められている激しい気性が静かに燃え上がり、
王族にしか出せないであろう気品が硬質とも言えるほど彼女の周りを取り巻くと、
国王の片腕として長きにわたって国政を支えてきた宰相である彼でさえ逆らいがたく、息をのむものがあった。

「――わたくしはナザル国に嫁ぎます。他のどんな縁談も、どんな説得も徒労ですわ」
「…………。――わかりました」
今まで散々、様々な立場の者が彼女を説得してきた。
お付きの侍女から始まり、侍従長も国政に参加する兄たちも、果ては他国に嫁いだ姉たちも説得に手紙を寄越した。
しかし、頑として末子の姫はその首を縦には振らなかった。
近しい者たちの説得も、他国からどうにか掴んだ数多の縁談も、彼女の前では何の意味もなさなかったのだ。
ほとほと疲れ果てた国王と妃は、最後にこの辣腕の宰相を送り込んだのだった。

「……陛下と妃殿下には、その御意志をきちんと伝えましょう。しかしその前に、ひとつ」
姫の一瞬ほっとして緩んでいた緊張の糸が、再び張り詰める。
「最早、銀の王子――フェルディナント王子はあなたの知るかの方とは全く違うかもしれません。
 それでもリリア王女、あなたは嫁ぐのですね」
「――もちろんですわ」
そう言った彼女をじっと見つめると、宰相一礼しは姫の居室を後にした。


護衛の兵士が――今は専ら突然の逃走を阻止する、見張りに近いのだが――
ドアを閉める音を背後で聞きながら、宰相は長い廊下をゆっくりと進む。

懐にそっと手を入れ、ハンカチに包んであった小さな紙片を取り出した。
そこには小さな文字でびっしりと何かが書き記されており、最後に小さく署名が見える。
彼はそれを粉々に千切ると窓際に歩み寄り、丁度開いていた小窓から撒き散らした。
ひらひらと舞い散るその様を見ながら、彼は一つの景色を思い出す。

友好国ナザルの弟王子と、彼を慕うまだ幼さ残るエデラール国末子の姫。
ともに学び、幼くとも確かな信頼とお互いを思いやる気持ちを育んでいった。
今、『彼』はその絆を試そうとしている。

ナザルの王弟一族が起こしたクーデター。
処刑された国王夫妻と王太子に代わり彼らを打ち倒したのは、銀の仮面で顔を覆い現れたフェルディナントであった。
学問に秀でてはいたものの、宮廷政治にも軍の率い方にもぱっとしたものはなかった第二王子。
けれど宮廷内、軍内部の力関係を把握した上での見事な采配は、感嘆を通り越し、周囲の者に畏敬の念と一抹の疑心を与えた。
外さない仮面、クーデター後一時的に行方不明であったという事実、そして城内の幽霊騒ぎが彼の存在性を疑わせ、そして皮肉なことに彼を神格化させていった。

エデラール国としては、フェルディナントかわからない、突き詰めれば王族の正統な血を引いているかわからない彼を王にすることは許し難い。
けれど、これで三度(みたび)混乱の最中に投じられたら、ナザル国はもちろん、
かの国が持つ鉱物資源と貿易港に依存するエデラール国も危うい状況になる。

リリアが嫁げば、ナザルは安定への第一歩を確実にするだろう。
しかし、もし仮面の中が全く違う人物であったら。
もし本人だとしても、銀の仮面で顔を覆うなど不可解すぎる。
娘を持つ親としても国を背負う為政者としても、エデラール国王は揺れていた。

……宰相が破り捨てた紙片は、事の真相を明かす唯一の手がかりであった。
それさえあれば末娘の結婚は疎か、エデラール国のナザル国への対応もはっきりと定めることができただろう。
ただ、辣腕の宰相は何を思ったかそれを破り捨ててしまった。
今はもう、彼の素顔を見るほかに道はない。そしてそれが一番可能なのは、未来のナザル国王妃――リリアだけである。

――『もちろんですわ』。
その言葉と表情に託してみようと思う。固い意志とその覚悟に。
リリアと話すまで感じていた迷いはもうない。

退室間際に見た彼女の顔が、不思議と大丈夫だという確信を与えていた。

迎えに来た侍従に促された先にある大きな扉。その向こうには昔馴染みの男がいる。
互いに背負うものは多くなってしまったが、その分培った関係がある。

――おまえの娘はきっと幸せになる。
幸せになるだけの力もある。
心配するな――

宰相は一呼吸おくと、開かれた扉の中へと一歩踏み出した。


銀の王子とオレンジの王女が手を取り合う、その日を夢見る始まりの一幕。

 

(了)

 

 

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最終更新:2008年12月27日 06:06