鏡台に向かい、湯上がりの肌を化粧水を含ませた綿ではたはたとはたく。ふとイヴォットはその手を止めて溜め息をこぼした。
 何のために手入れをしているのだろう。不意に襲いくる虚しさを払うように、イヴォットは綿を屑籠に捨てて立ち上がった。
 夫と過ごす夜に備えて身支度を整えるための場所にイヴォットはいた。しかし、寝室へと続く扉を開いても寝台には誰もいない。そんなことはわかりきっていた。
 憂鬱な気持ちで扉を開いたイヴォットの耳に調子外れの声が届いた。
「やあ、久しぶりだね。まだ起きてたんだ。意外と夜更かしなんだね、君って」
 驚きのあまり瞬きを繰り返すイヴォットににんまりとした笑みを向け、イヴォットが返事をする前にその笑みはすぐに違う方向を向いた。
「書斎も探したんだけど見つからなくてさ。もしかしたらと思って。君、知らないかなぁ」
 がさがさと寝室の中を荒らし回る様を眺め、イヴォットは未だに呆然としていた。
 久方振りに会った妻に愛を語らうわけでもなく、ギーは勝手気ままに引き出しやら何やら開けたり閉めたりひっくり返したりを繰り返す。
「……な、何をなさってるの」
 ようやく我に返り、イヴォットは不審な行動を取る夫へ疑問を投げかけた。
 相変わらずがさがさとあちこち漁りながらギーは気のない返事を寄越した。
「んー。いつまで経っても工房に届かなくてね。ほら、間違って自宅に届いちゃったんじゃないかと思って。いろいろ探したんだけどないんだよね」
「何がないの?」
「何って、僕の職業知ってるでしょ。薬だよ、薬」
 諦めたように肩を竦め、ギーはイヴォットに向き直る。
「だめだね。やっぱりここにはないみたい」
 さして残念そうでもなく呟き、ギーはさっさと寝室から出ていこうとする。相変わらず自由奔放な夫の振る舞いにイヴォットはふつふつと怒りが湧き上がるのを感じた。
 本来ならば貴族であるイヴォットが平民出のギーと対等に話すことなど許されない。イヴォットの家が落ち目でさえなければ、ギーが王族御用達の腕利きの薬師でなければ、二人が結婚することなどなかったのだ。
 敬えとまでは言わないが夫は妻をもっと大事にするべきだとイヴォットは思う。
「待ちなさい」
 冷えた水のようなイヴォットの呼びかけにギーが足を止める。振り返り、不思議そうな顔でイヴォットを見た。
「なんだい? 何か心当たりでもあった?」
 イヴォットはギーの顔をまじまじと見つめる。
 平民のくせに貴族のように整った顔をしている。それなのに常に胡散臭い笑みを浮かべていることと調子外れの口調のせいでどこからどう見ても美人には見えない。
たまに真面目な顔で真面目な台詞を口走った時に実は彼が美形なのだと思い出したりもするが基本的には怪しいだけの男だ。
 それなのに、ギーの顔を見ていると体が熱くなる。久方振りに会えたことが嬉しくて胸がぎゅっと締め付けられる。どんなに否定してもギーが夫であるという事実に変わりはなく、認めたくはないがイヴォットがそれを好意的に見ていることも事実だ。
「どんなものか聞かなければ思い出しようがないわ」
 会いたかったと素直に口に出せるほどイヴォットは甘え上手ではないし、甘さの欠片もない空気では雰囲気に乗せて思いを伝えることも不可能だ。それでも、彼と少しでも長い時間を過ごしたいがためにイヴォットは無難な言葉で会話を続けた。
「それもそうだね。どんなものか。どんなのだったかなぁ。えーっと……うーん」
 口元に手を当て、首を傾げながらギーは言う。どんなものかも曖昧なのに探し回っていたのかとイヴォットは呆れた。
「ああ! そうそう、思い出した。見た目は飴玉かな。こう、このくらいの瓶に入ってて」
 親指と人差し指を目一杯開き、ギーは嬉しそうに言う。
「瓶は硝子性で透明でね、まぁるい玉が幾つもの入ってるんだよ。色は赤か青か……あれ、緑だったかな」
 夫の説明を聞き、イヴォットは何か引っかかりを覚えた。そんなものをどこかで見たような気がする。
「私、見たような気がするわ」
 ぽつりと呟く。
「えっ!? 本当に? どこで!」
 一気に興奮し、ギーはイヴォットの目の前まで歩み寄る。そして、期待に満ちた目で彼女を見下ろした。
「少し待って。持ってくるから」
 確か刺繍の合間に食べようと自分の部屋へ持っていったのだ。イヴォットが寝室を出て自室へ向かい歩き出すとギーもそれに続いて歩き出す。
「待っていてと言ったでしょう」
「ついていった方が早いじゃない」
 しれっと答えるギーを追い払うのは難しいのだと知っているイヴォットはそれ以上言わずに黙って歩を進めた。
 知らないふりをすればギーはずっと家にいてくれたかもしれない。そう考え、けれどもすぐにイヴォットは小さく笑う。そんなはずはない。見つからなければ彼は諦めて工房へ戻っただろう。妻に興味など欠片もなく、彼が愛しているのは工房での研究だけだ。
 思わず浮かんだ自嘲めいたイヴォットの笑みにギーは気づかない。
 自室への扉を開き、イヴォットは机の上に置かれた瓶を手に取る。
「これかしら」
 イヴォットの後ろからその手の瓶を覗き込み、ギーはぱあっと表情を輝かせる。
「これだよ! ああ、よかったぁ。やっと見つかったよ」
 くるくると踊り出しそうな夫の姿にイヴォットの顔に苦笑いが浮かぶ。
「よし。じゃあ、早速」
 瓶の蓋を開け、ギーは赤い玉を一つ取るとそれをイヴォットの口元に差し出した。
「はい、どうぞ」
 形の良い指に掴まれた飴玉のようなものをイヴォットは見つめる。この得体の知れないものを食べろとギーは言っているようだ。
 イヴォットは困惑した様子でギーを見上げた。彼は期待に満ちた目でイヴォットを見ている。
「これは、なに?」
 言われるがままに食べるわけもなく、イヴォットは至極当然な疑問を口にする。
「え? 何って……」
 イヴォットが疑問も抱かず食べるとでも思っていたのか、ギーは驚いたように眉を顰めた。
 沈黙が続き、ギーが少々引きつった笑みを浮かべつつ答える。
「飴玉、かな」
 見かけは飴玉の薬を探しているとさっき自分で言っていたことをよもや忘れたわけではあるまい。ギーは自分でも無理のある答えだと承知しているようだった。
「薬を探していると言っていたじゃないの。何の薬なの?」
 途端にギーがおろおろうろたえだす。結婚して二年は経つが、夫のうろたえる様を見るのは初めてだ。イヴォットは興味深くその姿を眺めた。
「いや、その……あ、薬っていうのは例えみたいなものでね、本当はただの飴玉なんだよ」
「そう。でも、私は今飴を食べるような気分じゃないから遠慮するわ」
 何を食べさせたいのか気にはなるが、どうせろくでもない薬に違いない。ギーはまともな薬も作るが、それ以上に怪しげな薬を作るのが好きだ。
「え? そう言わずに、食べてごらんよ。きっと美味しいから」
 ずいっとギーはイヴォットの口元近くに薬を近付ける。
「あなたが食べればいいでしょう」
 隙を見せれば無理矢理口に放り込まれそうな気がして、イヴォットは慌てて口元を隠すように右手を当てる。
 ギーは苛立ったようにも嘆いているようにも見える表情でイヴォットを急かした。
「僕が食べたって意味がないんだよ。君が食べなきゃ」
「何の薬なの?」
「それは、その……き、綺麗になる薬だよ。君がいつまでも綺麗でいられるように食べるべきだ」
 イヴォットは溜め息をついた。
「あなたが何をそんなに必死になっているのかわからないけど、そんな怪しいものを食べる気にはならないわ」
 ついに薬を瓶に戻し、ギーはしゅんとうなだれる。その姿に罪悪感がこみ上げ、悪いことをしたわけではないのにちくりと胸が痛む。
「私はもう寝ますから、あなたも休むなら早くなさい」
 その痛みを振り払うように頭を振り、イヴォットはギーを置いて部屋を出た。
 とぼとぼ後ろをついて歩くギーには気付いていたが、敢えて声をかけはしなかった。何の薬か正直に教えてくれるなら食べるかどうか考えてあげるのに。イヴォットはそう思い、小さく溜め息をこぼす。騙して食べさせるような真似をされては食べる気にはなれなかった。
 寝室についてからもギーはしょぼくれたままだった。横になったイヴォットの隣で膝を立て瓶を手の中で弄ぶ。
 そんなに食べてほしかったのかと思うとイヴォットはギーがなんだか可哀想になってくる。
「ねえ」
 ギーの方を向き、イヴォットは彼に声をかけた。
「そんなに私に食べてほしいの?」
 ぴたりとギーの動きが止まり、彼にしては珍しくごにょごにょとくぐもった声で答える。
「別に、その、いいんだ、君が嫌なら食べなくても。食べたって、どうせ僕の思うようにはならないだろうし、そんなの僕だってわかってる」
 イヴォットは体を起こし、仕方のない人だという顔で笑う。
「情けない顔をしないで。あなたはルイスの当主なのだから」
「……当主は僕じゃなくて君だ。僕は名前だけだよ」
「いいえ、あなたが当主よ。……いいわ。食べてあげる。貸しなさい」
 手を差し出すとギーは驚いた顔でイヴォットを見た。
「いいのかい?」
 イヴォットが頷くとギーは嬉しそうに笑って瓶の蓋を開けた。そうして取り出した薬をイヴォットの口元へ運ぶ。
「甘いから大丈夫だよ」
 イヴォットは口を開いてそれを受け入れた。
 薄い飴のようなものが液体を包み込んでいたらしく、口に含んですぐにそれはほろりと溶けて口の中に香りと液体が広がった。ギーの言うようにそれはとても甘かった。
 イヴォットはこくりと液体を飲み下す。
「ど、どうかな?」
 明らかに興奮している様子でギーは尋ねる。
 イヴォットはしばし考え、小首を傾げた。
「どうって……甘かったわ、すごく」
「それだけ? 胸がどきどきしたりしない?」
「いいえ。特にこれと言った変化はないわ」
 それを聞いた途端にギーは奇声を上げて寝台に倒れこんだ。
 驚いたイヴォットは心配そうにギーの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「いいんだ。わかってたから。でも、ちょっと期待してたから、いや、やっぱりちょっとじゃなくてすごく期待してたかも。どうしよう。すごく悲しい」
 今にも泣き出しそうな姿にイヴォットは胸が締め付けられた。本当に何の変化もないのだが、どういう状態になればギーは喜ぶのかを考える。
「あの、少し、胸がどきどきしてきたわ」
 とりあえず、イヴォットは先程のギーの問いかけを肯定してみることにした。
「本当に?」
 不安げに見上げるギーを安心させるように笑み、イヴォットは頷く。
「他には? 僕のこと、どう?」
「あなたのこと?」
「ほら、かっこよく見えるとか」
 一体何を飲ませたのかと訝しみつつ、イヴォットは頷いた。
「そうね。格好良いわ」
「本当! じゃあ、僕のこと、好きになりそう?」
 ギーの問いかけが予想外すぎてイヴォットはぽかんと口を開いて彼を見た。好きになりそうとはどういうことだろうか。
 不意に腕を掴まれ、イヴォットはギーに引き寄せられる。彼の胸にのしかかるような体勢になり胸が大きく高鳴った。
「ねえ、イヴォット。僕のこと、好きかい?」
 未だかつてないほどに積極的な夫の言動に疑問を抱きながらも、イヴォットは素直に頷いた。
「ちゃんと聞かせてよ」
 ギーの手が頬を撫で、頭を撫でる。
「あなたが好きよ」
 肌を重ねたことは幾度もあるが、こんな風に素直になるのは初めてだったし、こんなに甘い雰囲気を味わったのも初めてのことだ。
 イヴォットの鼓動は初夜の晩よりも高く鳴り響いている。
 満足そうにギーは破顔する。そして、イヴォットの長い髪を一房取り、そっと唇を寄せた。
「嬉しいよ。君が僕を好きになってくれたらいいのにってずっと思ってたんだ」
「嘘……」
「本当だよ。だって、僕は君みたいに素敵な奥さんが出来て舞い上がってたのにさ。君は僕のことすぐ怒るし、好きじゃないんだと思ったら悲しくて」
 拗ねたような口調でギーは言う。あまりのことにイヴォットは言葉も出ない。
「まあ、わかってたんだ。君は貴族のお姫様で僕は平民だ。僕と結婚なんて君には屈辱でしかないはずだって結婚前に言われたよ」
 ギーの手が何度も何度も優しく髪を撫でる。
「でも、やっと僕のこと好きになってくれた。薬は使っちゃったけど、それでも嬉しいよ」
 イヴォットは頭を振った。
「違うわ」
 聞き返したギーにイヴォットはもう一度同じことを言った。
 ギーはわからないといった顔でイヴォットを見る。
「薬、きいてないわ。何の変化もないもの」
「でも、どきどきするって」
「あなたが喜ぶと思ったから」
 落胆を隠しもせず、ギーは溜め息をついた。
「でも、あなたが好きよ。薬なんか使わなくても、私はあなたが好きだわ」
 驚いた顔でギーはイヴォットを見る。
「あなたは私に興味がないんだと思ってたの」
「どうして?」
「だって、研究ばかりで、滅多に家にいないし」
 月に一度しか帰らないことだってざらだ。
「それは、夢中になると時間が経つの忘れちゃって」
 ギーが申し訳なさそうな顔をする。
「もしかして寂しかった?」
「寂しかったわ。毎日毎日、とても寂しかった」
 自分でも驚くくらいに素直になれる。もしかしたらこれが薬の効果なのかもしれないとイヴォットは思った。
「これからはなるべく帰るよ」
「本当なら嬉しいわ」
「帰るよ。絶対帰る。君を寂しがらせて、ごめん」
 イヴォットを抱き締めるようにしてギーは体勢を入れ替える。今度はギーに覆い被さられて、イヴォットはそっと目を閉じた。
 額に唇が押しつけられ、ぎゅっと抱き締められる。
「好きだよ、イヴォット」
 私もと言いかけたイヴォットの唇はギーのそれで塞がれる。舌を絡ませあう深い口づけにイヴォットはくらくらと眩暈を感じた。
 ギーの手が腿を撫でただけではしたない蜜が溢れ出す。
「あっ……やだ、なんだか、わたし」
 普段より敏感に反応する体が恥ずかしくなってイヴォットはギーから顔を背ける。
 かまわずにギーはイヴォットの服を脱がせ始めた。
「君が僕を少しでも好きなら僕が好きで好きでたまらなくなって、君が僕を好きじゃなかったら何にも変わらない。そういう薬だってきいたよ。僕が悲しんでたから友達が作ってくれたんだ」
 ギーは露わになった胸元に口づけ、たわわな乳房を優しく揉む。
「いつもより感じるのは、君が素直になったせいかな?」
 くすりと笑い、ギーは胸の頂を口に含んだ。イヴォットは体を強ばらせ、ぎゅっと目を閉じた。
 胸が受けた刺激が下半身に直結しているかのように蜜は止めどなく溢れる。もじもじと腿を擦りあわせると微かに濡れた音がした。
「あ、ン……はァ、やっ、あっああっ」
 甘い声を上げ、イヴォットはギーの髪に指を絡めて頭を掴んだ。もっと欲しいと言うように胸に頭を押しつける。
 ギーに乳首を強く吸われ、イヴォットはそれだけで軽く達してしまう。
「こっちもすごいね」
 体から力が抜けたイヴォットの膝を掴み、ギーは左右に大きく開かせる。見つめられていることが恥ずかしくてたまらないはずなのにイヴォットはまたしても蜜が溢れ出すのを感じた。
 ギーの指が入り口を軽くなぞる。
「このままいれても大丈夫なくらい濡れてるね」
「やっ、いわないでぇ」
 甘えた声を出すイヴォットにギーは再び深く口づける。
「あっ、おねが……もう、やぁ、へんに……なりそ、あんッ」
 自分の体が自分の体でないような感覚にイヴォットは頭がおかしくなりそうだった。こんなに欲しくてたまらないのにギーは胸に触れたりするばかりで応えてくれない。
 イヴォットにねだられ、ギーは嬉しそうな笑みを見せる。
「欲しいの?」
「あッ、おねがい……う、ああン」
「君から欲しがってくれるのは初めてだね。嬉しいよ」
 求められてギーは焦らすことなくそれに従った。いつもの半分以下の前戯なのにいつもの倍以上は濡れている。媚薬のような効果はないときいていたがイヴォットは驚くほど積極的だ。
 急いで服を脱ぎ捨て、ギーは屹立を蜜に絡めるように滑らせる。入り口を擦るだけでイヴォットは可愛らしく啼いた。
「いれるよ」
 低く囁き、ギーは腰を進めた。先端をあてがい、少し力を込めただけですんなりと侵入することができた。
「ん、いいよ。濡れてて、あったかくて」
 焦ることなくゆっくりと根元まで挿入し、ギーは深く息を吐く。
 気持ちを確かめたせいかいつもより感じる気がする。好かれているのだと思うとそれだけで気持ちが高ぶるのだから不思議だった。
「動くね。気持ちよくなったらいつでも好きなときに気をやってくれていいよ」
 イヴォットの返事もきかずにギーは腰を動かした。初めはゆっくりと馴染ませるように、そして徐々に激しく複雑に腰を使い出す。
「んっ、あっ、だめ、い……ああっ、いやぁ」
 悶えるイヴォットの体を押さえ込むようにしてギーは久しぶりに抱く妻の体を堪能する。
 イヴォットは円かな瞳に涙を浮かべ、快楽にとろけた顔で咽ぶ。
 妻を啼かせることが嬉しくてギーは喜び勇んで責め立てた。
 一際締め付けがきつくなる箇所を見つけてはそこを責めて彼女を喘がせ、焦らすように入り口付近で浅く出入りを繰り返して虐めてみたりもする。感じきって悶える様も、欲しがって泣く姿もすべてが愛らしく愛おしい。
 そうして何度も絶頂に達するイヴォットを眺めている内にギーにも限界が訪れる。
「僕も、そろそろ……限界、かも」
 弾む呼吸の合間にギーが辛そうに呻く。
 夫の絶頂が近いことを感じ取り、イヴォットの襞は今まで以上に蠢いて内部を行き来する屹立をきつく締め付けた。
 射精を促すような内部の刺激に耐えかね、ギーは荒々しく腰を叩きつけ始めた。
「あ、ああっ、や、はげし……ン、んんっ、だめ、アッ、ああッ」
 びくびくと体を震わせるイヴォットの腰を掴み、ギーは強く腰を打ち付けた。一番深く入り込んだと体が認識した瞬間に欲望が弾ける。
 背筋をぞくぞくと心地よさが駆け抜け、脱力感が徐々に体を浸食していく。愛しい妻の胎内を汚したのだと思うだけで、えもいわれぬ達成感がギーの中を埋め尽くした。
 イヴォットの中から萎えたものを抜き去り、ギーは彼女の隣に転がる。
「すごく気持ちよかったよ。今までで一番よかったな」
 恥ずかしげもなく言ってのけ、ギーはイヴォットの方へ顔だけを向けて問いかける。
「君も気持ちよかった?」
 まだ惚けたような顔をしていたイヴォットだったが、火照った顔をさらに赤らめて目を反らす。
「気持ちよくなかった?」
 しつこく問いかけるギーから逃れるようにイヴォットは彼に背を向ける。気持ちよくなかったはずがない。そんなことはギーだってわかっているはずだ。気持ちよかったなどと口にするのは恥ずかしかった。
 しかし、ギーはイヴォットの腰に腕を回して彼女を抱き寄せ、首筋に顔を埋めながら再度問う。彼はどうしても彼女に気持ちよかったと言わせたいようだ。
「ねえ、イヴォット。せっかく素直になれる薬を飲んだんだから言って」
 ちゅっと肩や項に口づけが落ちた。
 結婚して以来初めてとも言える甘く濃密な空気にくらくらと酔いに似た感覚を覚える。イヴォットはどきどき高鳴る心臓を押さえるように胸元に拳を添えた。
「は、恥ずかしいわ」
 ぽつりと呟くとギーが抗議の声を上げた。
「なんでさ? さっきまであんなに気持ちよさそうにしてたくせに。今更恥ずかしがっても遅いと思うよ」
 かあっと頭に血が上る。これ以上ないくらいに顔を赤くし、イヴォットはギーの腕を振り払おうと躍起になった。
 ギーはイヴォットの抗議など知らぬふりをし、彼女の腰を抱いたまま頬に頬をすり寄せた。
「君が好きだから気持ちよくなってほしかったんだよ。ねえ、どうだった?」
 好きと言われてイヴォットの全身から力が抜ける。夢を見ているように思考がぼやける。
「……気持ち、よかったわ」
 蚊の鳴くように小さな声でイヴォットは答える。
 聞き逃すことなく妻の感想を受け取り、ギーは喜色満面の笑みを浮かべて彼女を抱く腕に力を込めた。

 


 後日談

 頭の天辺から花が生えているのではないかと本気で疑ったが、ギーの頭は綺麗なものだった。
「脳がやられておるようじゃな。最早手の施しようがないわ」
 ひとしきり頭を確認した後、リュカはギーの髪をぐしゃぐしゃとかき回してから手を離した。
「えー? 何の話さ。僕は正常だよ」
 むうっと頬を膨らませてギーはリュカを見上げた。
「へらへらと締まりのない顔をしおって。さっきから何度同じ薬を調合し直せば気がすむのか教えてほしいものじゃ」
 ギーにしては珍しく今日は何度か調合を失敗している。うっかり分量を計り間違えたり、途中から違う薬の材料を混ぜたりと初歩的な間違いばかりを犯している。
「しかし、その様子では儂の作った薬は抜群に効いたようじゃの」
 リュカは腕を組み、自信に満ちた表情でギーを見下ろす。
「うーん、どうなんだろう」
「何だ。試しておらんのか?」
「試したけど、イヴォットは薬を飲んでも普段と変わらないって」
 リュカが眉を顰めてギーを睨みつける。
「阿呆が。儂の調合した薬が効かぬ訳がなかろう。貴様のやりようが悪いに決まっておる」
「そうかなぁ? 僕はだいぶ頑張ったよ」
 鼻を鳴らし、リュカはギーの頭を軽く小突いた。
「生意気を言いおって。しかし、そなた薬が効いておらぬ割には機嫌が良いように見えるが」
 ふと思い立って尋ねたリュカにギーは喜色満面な笑みを浮かべて答えた。
「イヴォットがね、僕のこと好きだって」
 リュカの動きがぴたりと止まり、一拍おいてわなわな震えだす。
「効いておるではないか、莫迦者がっ!」
 一喝し、リュカは脱力して溜め息を漏らす。
「不肖の弟子とはそなたのような者を言うのであろうな。つくづく手に負えぬ男よ。そなたは常に頭が春じゃ」
「そうじゃなくて。薬を飲む前から僕が好きだったって言ってくれたんだ。今日も早く帰ってきてって家を出るときにお願いされちゃった。もっと早く聞けば良かったなぁ。僕のこと好きかいって」
「それは儂の薬を飲ませたおかげではないか」
「うーん。確かにいつもよりイヴォットは素直で感じやすくてすごく可愛かったけど、薬のせいなのかい?」
 ギーが薬のおかげかもしれないと考え直し始めたことに気を良くし、リュカはフフンと不敵な笑みを浮かべる。
「そうであろう、そうであろう。儂の薬が効かぬ訳がないのじゃ」
「で、何を使って調合したのさ? すごく気になるよ」
 リュカは戸棚へ近づき、幾つかの薬草を手にしてギーの前にばらまいた。
「これじゃ」
 ギーは薬草と酒瓶を眺めて首を傾げた。
「これでそんな薬が作れるの?」
 リュカはにんまりと笑う。
「できると言えばできるし、できんと言えばできん。あれはただの酒じゃ。薬草入りの酒を飴で包んだ菓子よ。入れたのは少々きつい酒じゃ。そなたの細君が酒に弱ければ多少酔いはするかもしれぬがそれだけのことよ」
 ギーは眉を顰めてリュカを見上げる。
「媚薬と思い込ませれば何の効果もない薬を飲ませても効くことがある。まあ、病は気からというじゃろ。そんなところじゃ」
 まだ訝しんでいるギーにリュカは面倒臭そうに語る。
「そなたのことだからドキドキしてきたかだの何だのとしつこく聞いたのであろう? 惚れ薬やら媚薬の類を飲まされたのだと思い込めば酒も媚薬に変わるというものよ」
 リュカの言葉を噛み砕いてしばらく考え、ギーは呆れた顔でリュカを見た。
「……インチキだ」
「うるさい。インチキではない。薬なぞ使わずにすむならその方がよかろう」
 またしても頭を小突かれ、ギーは不満たっぷりに頬を膨らませる。
「して、そなたよいのか?」
 ギーは首を傾げる。
「早く帰ると約束したのであろう? 日が落ちる前に帰れ。今日の仕事は終わったはずじゃ」
「帰っていいの?」
「うむ。急に押し掛けた儂に気を使わずともよい。そなたがおらずとも一人であれこれ試させてもらう。よもや儂に触られて困るような物は置いておるまい」
 帰ってもいいと言われた途端にそわそわと落ち着きをなくす弟子をリュカは苦笑混じりに眺める。
「じゃあ、その、帰りに鍵かけといてね」
「わかっておる」
「それじゃあ、薬ありがとう。僕も今度お師匠に何か送るよ」
「期待せずに待っておる」
 ぱたぱたと慌てて駆けていくギーの後ろ姿を見送り、リュカは一人ひっそり笑んでいた。


おわり

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最終更新:2008年12月27日 05:33