その年の秋、僕らの『クニ』は滅んだ。
新たな領地の領有を主張して大国シン国と衝突し、開戦した。
戦いが始まってしまえば、力の差は歴然としていた。圧倒的な兵力の差に、僕らはなすすべもなく踏み潰されるしかなかった。
静かな山地である桂花山で、ひっそりと焼畑による農業を営む僕たちが、どうして大国シン国と戦を構えなければならなかったのかと言えば──ただ、飢えていたのだ。
はじまりは、旱魃による不作だった。暑く、雨の降らない夏があり、井戸は枯れ、川は干上がり、 作物は収穫を待たずして枯れた。
その年は、まだ良かった。僅かながら蓄えもあったし、森の恵みはまだ充分にあり、食べられる 木の実や野草、それに森の獣や鳥を狩って凌ぐことができた。

だが、次の年は、寒い夏だった。
作物はまたしても実らず、森の木の実も多くは青いままだった。
僕らのクニにあった蓄えは、そこで尽きた。次の年まで食いつなぐには、野草や木の皮、木の根まで、 口にできるありとあらゆるものを食べた。
次の年にはほどほどの実りがあったが、蓄えが尽きていた僕らは早い時期に収穫せねばならなかった。
その頃から森は荒れ、森の獣も鳥も、目に見えて減っていた。
まるで何かの、歯車が狂ってしまったようだった。焼畑のために放った火ではなく、失火による 山火事も何度かあったし、僕らは尽きた蓄えを増やせないまま、収穫の細った森の恵みに頼っていた。
僕自身もまた、何年ものあいだ、お腹いっぱいに食べたことなんてほとんどなかった。桂花の民の中には 飢えのために病に罹って死ぬ者もいた。
僕らはシン国とは極力交流を持たずに暮らしていたが、こっそりと山を下りて食糧を調達してくる者たちも
いた。けれど元々、僕らにはシン国で価値のある財貨などの蓄えもなく、僅かな宝石などの家宝も次々と 買い叩かれたのだった。

そして、この夏。
前の旱魃から五年目に当たる年、再びひどい旱魃に見舞われたのを機に、僕らは遠い祖先が領有していた という山の麓のいくつかの丘地の所有権を要求した。当然その土地の現在の主であるシン国は僕らの勝手を 許さず、交渉は決裂して秋には開戦に至った。

僕らの『クニ』だって、全く勝算がないまま戦を始めたわけではない。多くの桂花の民はそう思っていた のだろう。
もう昔語りにしか残らないほど遠い昔、シン国の前の前の王朝あたりのときに、この巨大な中華の国と 戦って、そこそこの勝利を収めていたのだ。
しかしそのときの戦いは、自陣に深く敵を誘い込んでの、地の利を生かした戦いだった。狭い山道では、 おのずと敵兵も細い列にならざるを得ない。そのときの桂花の民は、鬱蒼とした森の木々の間に身を 潜めての挟撃、岩落とし、炎攻めなどを駆使して敵将を討ち取ったらしい。
あとから考えると、僕らが地の利のある桂花山を降りて戦おうとした時点で、もう負けは見えていたと 言わざるを得ない。そして後でシン国側に残った前の戦いの記録を見せてもらったことがあるが、前に 僕らが勝ったと思っていた時の王朝は、さして大きな国でもなく、既に内政は乱れており、山奥の蛮族 との戦いにあまり重きを置いていなかった。
桂花山はさして魅力のある土地でもなく、そのときの王は、境界線をほどほどのところで引いて終わりに するのをよしとしたのだ。


この秋、身の程知らずの要求をした山奥の弱小民族に対して、シン国は精鋭の正規軍を差し向けた。
初めからあまり時間をかけず、短期決戦の構えだった。
そして僕らは、捻り潰された。
残った人々は、女子供に至るまで全て捕虜となり、先祖代々の土地を離れてシン国に隷属することになる。

それでも、僕は願った。
お願いだから、あきらめてしまわないで。どうか、生き残って。
狂った歯車は元に戻せないと、全てを投げ捨ててしまわないで。
たとえ桂花の山を失い、散り散りになったとしても、僕らの誇りを忘れないで。
貧しくとも僕らは山の神々と共に生きていた。どこへ行くにしても、神々はきっと僕らとともに在る。

僕の切実な訴えは、果たしてどのくらい彼らに届いたのだろうか。


桂花の民の先陣部隊は、ほとんどがあっという間に戦死するか、捕らえられてしまった。

──残った後続部隊と、里に残る女子供を、我々シン国の指示に従うよう、説得すること。

それがあの『偉い人』と交わした約束だった。

──彼らは全て捕虜となってこの地を離れて貰う。 
  従順である限りは、身の安全と食の確保を約束しよう。
  ただし、反抗する者は、即座に斬る。

戦のときに負った傷が元で、その後すぐに高熱を出してしまい、どこかの施療院らしきところに 放り込まれてしまったので、生き残った人たちがその後どうなったのか僕は知らない。

何日くらいそこで、寝ていたのかも憶えていない。ともかく傷が癒えるまではそこで留め置かれ、 それから王都までの長い旅程を馬車の荷台で辿ることになる。


     *     *     *

「……。」
「……。」
「……。」
「……。」

夕方になって帰宅したメイリンの家族との対面は、まず無言の睨み合いから始まった。
メイリンの言ったとおり、昼に着替えをさせてもらったものの、僕の両腕にはまだ木製の手枷が 嵌ったままだ。
「父上はいつもの通り、どこかへお出かけになっておられる。母上もいつもの通り、お仕事が忙しく、 帰りは夜半頃になるであろうと。
というわけで、いま会わせておけるわたしの家族を紹介しておく。
一番右に居られるのがわたしの上の兄君で、ユイウ兄様。刑部で市中警邏の仕事をなさっておられる。
その横が、下の兄君で、スゥフォン兄様。こちらは戸部の通商部で、王都と他地域の商いの認可の お仕事をなさっておられる。
一番左が、わたしの弟。名前はシゥウェン。わたしと同じ盛陽学院に通っており、なかなかの秀才だ。」
その中でひとり、上機嫌で話し続けているのが、メイリン。にこにこと僕のほうを見て喋っているので 気付かないようだが、後ろのメイリンの兄弟たちは揃って僕のことを視線だけで射殺しそうな勢いで 睨んでいる。なんか恐い。

「…ねっ、兄上様?」
くるりとメイリンが振り返った途端に、妹に柔和に微笑む兄の笑顔に早変わりして、その見事な豹変ぶりに
僕は目を剥く。弟のほうは若干無表情で、視線の険しさが瞬時に消えるくらいか。
恐い。シン国人なんか恐い。
「兄上様たちにはかねてからの約束通り、ユゥに武芸と学問を教えて頂く。
ユイウ兄様には剣技を、スゥフォン兄様には地理と通商学と歴史学をひととおり。
そのほかはわたしが教える。」

「姉様、僕は?」
一呼吸置いて、一番左にいたメイリンの弟が声を上げた。
「ああ、シゥウェン。おまえの賢さはよく分かっているが、まだ幼い。
いまは自分の学業にしっかりと励め。必要以上に他人に時間をかける必要はない。
おまえの賢さには、皆が期待しているのだからな。」
メイリンは急にお姉さんぶった口調で話し始める。
「姉様だってまだ学院生でしょう。そんなのに関わっている暇は、ないんじゃないの。」
「ふむ。そうは言っても、ユゥはわたしの従僕として頂いたのだから、私が責任を持って教育せねばならぬ。」
彼は少し幼さの残る顔立ちを、不満そうに歪めた。メイリンよりも二、三歳下だろうか。

「俺達年長の奴らにはもう期待も何も無いから手伝えって?」
右側に立っていた年長の兄、と紹介された男の人が口を開いた。一番背が高く、鍛え上げられた精悍な 体つきをしている。男らしい顔立ちだが、目元はメイリンにそっくりだ。
「そんな、兄上様方はそれぞれの部署で将来を嘱望される優秀な人材ではありませんか。だからこそ、 ユゥの教育に力をお貸しいただきたいとお願いしたはずです。
特に、ユイウ兄様の剣技は既に母上様をも凌駕するほどです。ユゥは是非、兄上様の御指導を
賜りたいのです。」
「確かに山出しの小僧がひとり、来るとは聞いていたが……こんなどこの馬の骨とも知れん奴とは 聞いていない。」
「何を仰っておいでです? ユゥはウォン家の三男、身元はしっかりしております。」
彼は少し苛々したように視線を彷徨わせた。
「それがしっかりした内に入るか。……そうではなく、おまえ付きだとは聞いていない。」
「ユイウ兄様、兄様もわたしが父上にそのことをお願いした、あの場にいらしたではありませんか。」
メイリンはくすり、と笑った。
「……だからわざわざ俺に分からん言葉を使って交渉したのか!! 
あんな辺鄙な山奥の方言など、いちいち憶えられるか!!」

メイリンと上の兄君が言い合っている間、僕はスゥフォンと紹介された次兄から観察されて、いや、 静かに睨みつけられていた。
顔立ちは、メイリンの父親であるあの『偉い人』に一番似ているかもしれない。少し癖のある髪を 結い上げて、整った、表情の読めない顔をこちらに向けて、深い色の瞳でじっ……とこちらを見ている。
なんというか、蛇に睨まれた蛙というのは、こんな気持ちなんだろうか。見られているだけなのに、 脂汗が出る。
「兄様、わたくしのたってのお願い、聞き届けていただけませんか?」
少し次兄のほうに気を取られている間に、メイリンが褒める戦術から媚びる戦術へと路線変更したようだ。
僕にも妹がいるから分かる。とびっきりの可愛い声で、少し上目遣いに媚びた目で『お願い』する、
特に可愛がられている妹ならではの必殺技だ。
「……っ。別に、駄目だとは言っておらぬ。父上から仰せつかっていることだしな。」
そして可愛い妹を持つ兄の例に漏れず、この家の長兄もまたメイリン必殺の『お願い』には弱いようだった。
「良かった、ユイウ兄様、大好きっ。」
メイリンは、背の高い兄にぎゅっと抱きついた。多分この兄妹の中で、メイリンが最強なんじゃないだろうか。
「ところでメイリン、教える範囲なんだけど」
僕を静かに睨んでいたメイリンの次兄は、すっと表情を入れ替えるようにして柔和な笑顔を浮かべて メイリンに話しかけた。
その隙に長兄のユイウという人が、僕とがっしりと肩を組んで、メイリンに背を向けるようにして話し始める。
「よぉ、馬の骨。」
不穏だ。口許は笑っているが、目は笑っていない。
表情を強張らせた僕に、彼は低い声で訊いた。
「おまえ、うちの妹に手を出したのか。」
「えっ?」
「訊かれたことには正直に答えろ。おまえ、昨夜うちの妹に手を出したのか。」
かなり、恐い。でも、メイリンは兄達に焚きつけられたとか言ってたので、ここは正直に答えておかないと
まずい気がする。
「出しました。」
「最後までか。」
「最後までです。」
「よし、死んどけ。」

彼は表情も変えずにそう言った。
ひっ、という短い悲鳴さえ上げる余裕は無かった。せめて何か抵抗しようにも、手枷が嵌っていて自由に 動けない。視界がじんわりと暗く霞み、訳も分からぬまま闇の底に沈んでゆくような感覚に恐怖した、そのとき。
「ユイウ兄様、ユゥを苛めないでっ!」
メイリンの、声がした。
首に巻きついていた腕が離れ、げほげほごほごほ、と咳き込みながらやっと、息が苦しいという感覚もなしに 首を絞められていたのだと気付く。
「苛めてるんじゃない、既に稽古だ。手の自由を奪われたくらいで弱くなるなど、本当の強さじゃない。」
座り込んで頭痛と眩暈に耐えている僕の視界に、いい匂いと共にふわりとメイリンの裳裾がひらめく。
「もぉっ!! そういうのは、ユイウ兄様くらいの達人の話でしょう!!
ユゥはまだこれからなのだから、弱い者いじめです!!
手枷がついてるうちは、兄上様達に任せては危ない。稽古は手枷が外れてからですっ!!」

メイリンは怒ったようにそう言い放つと、僕の手枷の嵌められた手を取って歩き出した。
僕はふんわりとした服の裾が僕の服に纏わりつくようにひらひらと舞うのを、不思議な気持ちで眺めていた。
「父上のお許しが出れば、その面倒な枷も外して貰える。
明日か、多分明後日までにはお許しが出ると思う。『二、三日大人しくしていれば』、外してくださると 仰ったから。
だからユゥ、しばらくは、大人しくしていてね。」
しばらくも何も、こんな手枷をつけたまま大人しくする以外にどうしていればいいのだろう。
「父上は一旦お出かけになったらいつお戻りになるか分からないからね。ひと月お戻りにならない
こともざらだよ。」
後ろから、メイリンの次兄のスゥフォン様が口を挟んできた。あくまで優しげな口調で。しかしその
内容には毒が含まれている。
「違いますっ! わたくしに二、三日と約束なさったのだから、父上はちゃんとお戻りになられますっ!!」
「いいから離れろ、年頃の娘が、はしたない」
今度は大きな手がぐい、と僕とメイリンをふたつに分けた。上の兄、ユイウ様だ。
「兄上様方、今日はもういいですっ!! 後はわたしが、邸を案内しますから!!」
「案内なら俺たちもいたほうがいいだろう、なあ?」
後ろを見ると、メイリンの兄弟たちは三人とも付いてきていた。

メイリンに小声で聞いてみる。
「なんか昨日、『兄上達に焚きつけられたから』みたいなこと、言ってなかった? それにしては雰囲気がやけに恐いんだけど。」
「ど・こ・の・世界に、可愛い妹にふしだらなことを焚き付ける兄がいる?! 常識的に考えろ!! 
もう一遍死んどくか?!」
即座に頭上から威圧的な声が降ってくる。うわあ、昨日の今日で常識を要求されるとは思わなかった。
常識ってどこに行けば貰えますか。それって美味しいですか。是非教えていただきたい。
「兄上様達は、いつもこうなのだ。わたしが何かしらしようとすると、いつもお前には無理だ、
やめておけと邪魔をなさる。だからわたしは必ずやり遂げる、と宣言したのだ。」
メイリンは少し口を尖らせて言った。彼女の中では全くこの論理に矛盾は無いようだった。
そういえば昨日、父親の意向についてはしつこいくらいに聞いたけど、兄君の意向については言及し忘れたような。

「くっ…! この、はねっかえりが……!!」
屈強そうなメイリンの兄は苦々しげに言った。でもその言葉の端々に、妹をどうしようもなく可愛く
思っている兄の情が滲み出ている。
それで漸く、さっきから命の危険に晒されている理由が分かってきた。
メイリンの兄弟にとっては、僕は可愛い妹に付いた悪い虫。つまんで地面に捨てて踏み潰したい存在なのだ。
一応僕にも妹がいるので、その気持ちだけは分かる。

「それにしても、あれだけメイリンを溺愛している父上が、こういう下僕の存在を許すとはな。
来たとたんに一刀両断にされるかと思っていたが。」
「僕は端から細切れにして塩漬けにされるかと思っていたけどね。」
あくまで無骨そうな長兄に、次兄が優雅に応える。しかしその内容は、優雅とは程遠い。
「気にするな。兄上様方も、こういった御冗談がお好きなのだ。」
微妙な表情をしている僕を覗き込んで、花のような笑顔を浮かべたメイリンがそう言う。
メイリンの中では、完全に冗談ということで決着済みのようだった。が、僕には完全に本気にしか見えない。

「あ、あのね。さっき学問とか武芸とか言ってたけど、なんのこと? 僕はこれからここで、何をすればいいの?」
「馴れ馴れしい口を利くな。身分を弁えろ。」
メイリンに尋ねると、答えより先に後ろから厳しい声がかかる。
「ふむ。ユゥはわたしが貰った、わたしの従者。わたしの役に立つ人材になって貰う」
武芸だの学問だのと、奴隷には過ぎた待遇のような気もするが、そうか、役に立つためにはそれなりに
物を知っておけと言うことか。
「つまり、今のままでは全く役に立たない邪魔者というわけだね。」
やはり後ろから茶々が入る。
「もぉっ! スゥフォン兄様までっ!! 邪魔なのは兄上様のほうです、もうついてこないでっ!!」
「本当のことですよ、姉上。現状は正しく認識しないと、成長もありません。」
「シゥウェンまで。もう、う〜る〜さ〜い〜!」
メイリンはうんざりした声を出した。でも、だんだんこの兄弟の関係が見えてきた。
一番上の兄、ユイウ様は、強そう。そしてやや無骨。
二番目の兄、スゥフォン様は、上品だけど中身は怖そう。
メイリンの弟、シゥウェンは無口で、たまに言う一言がキツい。
兄弟仲は良く、そしてみんな、メイリンが好き。必然的にメイリンにつく悪い虫、僕のことは嫌い。

僕の立場は結構微妙なとこにあるみたいだ。
特に上の兄、首を締められて数秒で意識が遠のくとか、危険すぎる。

回廊を歩いていたメイリンが、ひた、と歩を止める。
「ここから向こうが、北の棟。北の棟は、父上と母上の居室。入っては駄目、憶えておいて。」
僕は辺りを見廻して、回廊脇の中庭に橙の木があるのを見つけた。美しく色づいた実が、もがれずにいくつも
実っている。夕暮れの明かりの中でその枝ぶりと葉の大きさを、僕は必死に記憶に留めた。
「母上は厳格な方だからな。おまえがメイリンに手を出したことが知れたら、即座にぶった斬られるぞ。」
上の兄、ユイウ様は楽しそうにそう言った。
「やめてください兄上。ユゥが固まっています。
大丈夫だからね、ユゥ。母上様は厳しいが、慈愛に満ちた方だ。ちゃんと話せば、必ず分かって下さる。
その……えーっと、近々、ちゃんと話す。それまではくれぐれも、北の棟には足を踏み入れないで。」
メイリンは最後のほう、目を泳がせて言った。ちょっと本当に大丈夫なの。
「メイリンは、母上の厳しさを甘く見すぎだ。むしろ今夜にでも行って、早々に斬られればすっきりする。」
「わだかまりは早いうちに解消したほうがいいしね。」
もちろん後ろの兄君達は上機嫌だ。振り返るとメイリンの弟も無言で頷いて同意を示している。

「もぉっ! みんな、ユゥは……わたしの、大事な、従者なのだから、苛めないでっ。
行こう、ユゥ。」
メイリンは枷のついた僕の腕に、細い腕を絡ませて早足で歩き出す。でもその速さは、後ろの兄弟を
完全に振り切ってしまうほどではなくて、やはり兄妹の仲の良さを感じさせた。
「ちょっと待て、おまえら、くっつき過ぎだ。」
「兄上っ! ユゥの件は、他でもない、父上様にお許しを得ているのですっ!!
ですから、兄上であろうと、例え母上様であろうと、文句は言わせませんっ!!」
年上の兄君達も、メイリンの気迫にはちょっと気圧されたようだった。でもメイリン、そんなに
ぎゅっと腕を抱え込まれたら、その……胸のふくらみが…当たる。

「まあ…いいか。そのうちそいつがヘマをして、父上に斬られることになるだろうしな」
「ユイウ兄様は、野蛮だなあ。一刀両断なんて、苦痛を感じさせる暇もないじゃないか。
殺すにしても、もっとじっくりゆっくり苦痛を味あわせてからにしないと。」
「…おまえ、そういうとこは父上似だよな。」
後ろのふたりは、僕に聞かせるように会話している。多分…気にしたら負けだ。
「もぉっ! 兄上様方、ユゥが怯えますっ!
父上様とて道理を弁えた御方、わたしの大切な従者であるユゥに、非道はなさいません!!」
メイリンはあくまでそんなことはないと言い張る。
「ユゥ、わたしはおまえの主。おまえの事は、わたしが守るから。」
メイリンは揺るがない瞳とまっすぐな声でそんなことを口にする。僕が守られる側ってのはちょっと 情けないが、こんなときのメイリンはかっこいい。どのみち僕としては、メイリンを信じてついて
行くしかなさそうだ。
それはそれとして……当たってる、柔らかいとこが。

「ユゥの当面の目標は……そうだな、まずはわが国のことを学び、わが国の考え方を、知恵を学び……
その上で、おまえの『クニ』とわたし達の国が、なぜ戦わねばならなかったのか、他の道はなかったのか、
おまえの言葉で、わたしに語れ。」
「……えっ。」
なぜ、戦わねばならなかったのか。こんなにも巨大で、圧倒的な国を相手に。
そんなこと、僕が聞きたい。
メイリンは、僕の動揺が分かったみたいだ。
「案ずるな、お前の知らぬことを、答えよという訳ではない。
ただ、おまえの部族の者は皆、頑なで、自らの都合をまくし立てるばかりで話にならぬのだ。
いまは……まだよい。わたしとおまえでは、育った土壌も、培ってきた知識も習慣も、何もかもが
まるで違う。
まずは学ぶのだ、この国の在りようと、文化と技術を。そしてわたし達が見てきたものを知り、
同じように世界を見ることが出来るようになって、その上でおまえの知るところを語れ。」
メイリンが何を聞きたいのか、何を知りたいのか、今の僕には分からなかった。
ただあの戦が、僕達が何もかもを失った愚かなあの戦が、何故起こったのか。それは、僕こそが知りたい
ことだ。
もしかしたら、故郷に向かう道筋も、その中から見えてくるかもしれない。

「わかった。……よくは分からないけど、頑張ってみる。
僕も、君と同じ世界が、見てみたい。なるべく、御期待に沿えるよう、努力するよ。」
僕の新しいご主人様、綺麗で可愛くてちょっとかっこいい高貴なお姫様のメイリンは、はにかんだように
少し笑った。


     *     *     *

その夜も、普通にメイリンの房室に呼ばれた。
メイリンは、僕を迎え入れると、貝の容れ物に入った軟膏を出して、僕の手首の手枷で擦れた部分に 塗ってくれた。木製の手枷と手首の隙間に、細くてなめらかな指を入れて、白い軟膏をくるくると塗って ゆくのが妙にくすぐったい。
「じきに、この面倒な手枷も取れる。そうしたらもっとちゃんと塗ってやる。
痕に、ならなければいいけど。」
「この程度の擦り傷に、薬なんて勿体ないよ。放っときゃ治るよ。」
メイリンは形のいい唇をキッと引き結んで言う。
「そういうわけには、いかぬ。甘く見ていて、化膿したらどうする。
第一、痕が残ったら、わたしが、見るたびに痛い。」
それからぽうっと、頬を薄赤く染める。
「その……昨夜は、無理をかけて、済まなかった。
なるべく、ああいう、無理強いはしないから。」
僕も昨日のメイリンを思い出してかあっと顔が熱くなる。
確かにちょっと強引だったけど……、可愛くて柔らかくて熱くて濡れて、一言で要約するなら……最高だった。
「今日は兄上達がうるさくて疲れた……もう寝よう。」
メイリンは僕を寝台まで連れて行き、としっ、と押して横向きに倒れ込ませる。
「あれ? さっき、無理強いはしないって……」
「うん、しない。だから、今日は眠るだけ。」
メイリンは爽やかな笑顔でそう返した。眠るだけ……ってちょっと。
「僕の寝る場所は、使用人部屋の端の方に確保してあるって、案内されたんだけど。」
「そんなものは、放っておけばよい。こちらの方が断然広いし、一人くらい増えても平気だ。寝具だって、
間違いなくこちらの方が良い物だぞ。」
メイリンは横向きに倒れっぱなしの僕にのしかかるようにして顔を覗き込む。
「ユゥは……わたしのこと、嫌い? 一緒に眠るだけも、いや?」
「嫌い……では、ないけど……」
いやあのね。嫌いじゃないからこそ、そういうの、困るんだけど。
「ならば、良いであろ? これから寒い季節になる。ふたりで、眠った方が暖かい。」
メイリンはそのままちゅっと、僕の頬にくちづけた。だから、そういうのが、困るんだってば。

結局僕はメイリンに上質な布団の中に引きずり込まれてしまった。横向きに寝て、両手は前で手枷に
拘束されたまま、後ろにはメイリンがくっついて、腕さえ廻してくる。
「ふふ…、やっぱり、暖かくて、気持ちいい。」
眠たげな声でそう言うメイリン。少しの間、冷たい足を絡めて来たりとごそごそやっていたが、 触れ合った足先が温まってくる頃には、もう健やかな寝息が聞こえてきた。

──昨日の今日で、どうしてそう簡単に眠ってしまえる?!

そりゃあ朝早くに起きて夕方まで出かけていたメイリンと、言いつけ通りにゆっくり過ごしていた
僕とでは、疲れ方も違うんだろうけど。
両手を拘束されて、背中側にはとびっきりの可愛い女の子が寝ていて。
こんな状況で眠れる男がいたら、そいつは絶対に神経がおかしい。
昨夜とは違う意味で、なんの拷問。

なんだか、メイリンの兄弟も不穏だし、メイリンの母親も、父親も安全とは言いがたい。
でも、一番の脅威は、メイリンじゃないかと思うんだ。
暴力的なまでの可愛さ、有無を言わせぬ強引さ、巧妙に仕組まれているとしか思えない、危なっかしさ。
いつか故郷に帰れるその日まで、本当にこの邸で生き抜いていけるのだろうか。
僕は二晩目にして、早速不安になってきた。
とりあえず、今晩をどう乗り切ればいいのか分からない。
後ろでメイリンがこてんと寝返りを打った。まさかとは思っていたが、しっかりと気持ちよさげに
眠っていらっしゃる?!
なんて可愛くて、残酷な凶器なんだろう。
耐えろ、耐えろ僕。
故郷の土を踏むまでは、どんなことにも耐えてみせると、誓ったじゃないか。
どんなに夜が耐え難くて辛くて長くても、いつか、朝は来るのだから。

……多分。





        ───続く───

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最終更新:2011年12月24日 08:51