「羽化」

 蛎崎季広と言えば、あの南部晴政を下野させていつの間にか配下に加え、
更に東北地方を南へ南へ領地を広げる勢いのある大名である。季広の最初
の勝利の裏には、南部家の勇将を裏切らせた事が大いに寄与していると言
われている。裏切りを唆した武将は蛎崎繭と言う。蛎崎季広の長女だったが、
人材不足の父親の為に志願して武将となったのであった。

 繭はその後も領地経営に外交の使者に大商人との商談にと多くの功績を
上げ、今では家老となった。実の娘と言う事で多少季広に過大評価されて
いる所もあったが、功績については誰もが認めている。蛎崎繭、未だ20
歳にも達していない。

 ただ、繭にも悩みがあった。繭の仕事ぶりはその若さと不釣合いな勢い
で完成されていったが、どうしても越えられない壁が出始めた。短い間に
よく成長したが、そこから先に更に発展すると言う事ができなかった。そ
れは領地経営や外交や商談だけでなく、戦争の腕前についてもであった。
戦場では死に繋がりかねない。季広は比較的直接敵に攻撃されにくい鉄砲
隊を率いる事を命じた。東北で鉄砲隊を率いて大きな効果を挙げた武将は
まだいない。繭は試行錯誤を繰り返しながら鉄砲隊を指揮した。繭の顔に
陰が見え始めた。

 そんな時、繭の妹の茜が髪上げを迎えた日に、思いもよらぬ事を言い出
した。
 「父上、茜も配下に加えて下さい。男にも負けぬ働きぶりをお見せしま
しょう。」
 「茜よ、家来なら足りている。それに間もなく精強で知られる伊達軍団
との戦いが始まる。お前とて無事で済むとは思えん。大人しくせよ。」
 「しかし姉上もまだ武将を続けているではありませんか。何故私はいけ
ないのです。私も姉上と助け合って戦い抜きたいです。」
 「わかった。だが、無茶はするな。」
 かくして、蛎崎茜は蛎崎家の武将として数えられるようになった。武将
、蛎崎茜が繭に顔を見せた。
 「姉上、これで私も姉上と一緒に仕事ができるようになります。」
 「茜、皆の言う事をしっかり逃さず聞いて、立派になりなさい。私も期
待していますよ。」

 茜は繭とは母が違う。季広によるアイヌとの和睦の一環として娶った女
性が母親だと言われている。茜は心優しく、また勇猛な子供であった。親
が違う二人は時に姉妹の様に、時に年の離れた親友の様に仲良く育った。
繭は目を閉じて思う。
 (茜と横に並んで働く日が待ち遠しい。)
 と。


 茜は姉や父、そして蛎崎家の軍門に下ったかつての東北各地の名君達の
指導の下、めきめきと頭角をあらわしていった。街づくりに、開拓に、築
城に、兵の訓練に、遣使に、交渉に、茜は蛎崎家の中でも特に目立った功
績をあげて行った。それはあの繭の神童ぶりに勝るとも劣らない物だった

 「茜、よくできました。」
 「ありがとうございます姉上。姉上どうなさいました?悲しそうな…。」
 繭は一瞬驚いて、しかし微笑んで言った。
 「きっと、疲れていたの。」

 繭は優秀とは言えその能力の伸びが途中で若くして止まった。だが、茜
は伸びた。伸び続けた。身分もまた上がり続けた。侍大将を経て部将にな
った。25歳にもなれば家老になっているのは確実だとされている。今の
繭と同じ年頃になれば、蛎崎軍団の花形、騎馬隊を率いるだろうと言われ
ている。あの、南部晴政を師匠として。

 「まあ、茜そんな事どこで思いついたの?」
 年が経つにつれ、次第に、繭のかける褒め言葉に驚きが多く含まれるよ
うになった。茜が髪上げをした時の繭の年と同じ年に茜がなった。繭は驚
くばかりだった。繭の翳りも深さが増した。
 「姉上…。」
 「大丈夫。ありがとう。本当に茜は優しいのね。」

 「ちくしょう!!」
 或る夜、繭が机を蹴り飛ばした。
 「繭…、俺に出来る事なら何でもする。俺が助けてやる。俺がそばにいる
。俺はお前の笑顔の為なら命だって惜しまない。」
 「うるせえっ!!出来る事!?そんな物ありゃ苦労しない!!」
 繭がその若き頃、いや幼き頃に内応の誘いをして見事寝返らせた男、九
戸実親は繭と肉体関係にならない程度に密かに仲睦まじくなっていたが、
繭の酷くなる悲しみや憤激に心を痛めていた。それが今日、爆発した。
 「わたしは、わたしは、どうしてこれ以上出来ないんだ!!」
 「繭…。酒でも茶でも呑んで…。」
 「のめるかっ!!一人でのめっ!!」
 実親はそっと部屋を出た。


 「繭、最近な、実親がお前の事を心配しているようだ。お前…。」
 「父上、わたしは健在です。どこにも悪い所はありません。講義を続けて
ください。」
 「繭、そうだったな。」
 繭は季広から算盤の講義を受けていた。大陸から貿易で入手したこの道具
は、単純で簡素な道具でありながら仕事の効率を飛躍的に上がらせる極めて
役立つ道具であった。

 算盤の珠を指で繭は弾いて、弾いて、弾いた。どれくらい講義を始めてか
ら時間が経ったかわからなくなった頃、ふと、繭は奇妙な光景を見た。珠と
珠の間に、人の姿があった。
 「どうした繭?」
 その時、繭の頭の中を、暗室が四方の壁と天井が一斉に取り除かれた時に
部屋を光で満たす勢いそのままに、無数の思考が駆け巡った。体重が鶯張り
の床に乗せられた時発する音の大きさ、身長と飛び上がる力と携行
した道具で飛び越えられる高さ、守衛の持ち回り間隔、毒の調合比率、刃を
振り下ろす力と速さ、灯りが作る影の方向、そして、標的の生活習慣…。
 「繭!!正気に戻れ!!」
 季広が抱きかかえていた。
 「大丈夫です父上。この講義ありがとうございました。きっととても役に
立つ事でしょう。」
 繭の目が、光っていた。見た事が無い光だった。

 それから、季広の元に信じられない手紙が届けられた。茜暗殺の予告だっ
た。季広は怒りを面に出さず、しかし強く命じた。
 「茜の警護を厳重にしろ。蟻の子一匹通すな。羽虫一匹通すな。可能な限
り厳重にしろ。」

 暗殺者はすぐには現れなかった。そもそも予告して暗殺に来る者などいな
いのではないかと言う意見も出たが、季広は警戒を続けさせた。何日も経っ
たが解かなかった。
 「敵が優秀な忍者を配下に入れ、その力を見せ付ける為にした事かも知れ
ぬ。だとすればここで警戒を解いた所を狙われる事もありえる。すぐ現れな
いと言うだけでは油断は出来ない。」

 茜は厳重な警護の中で眠っていた。厳重な警護のはずだった。その部屋に
、一つの人影が現れた。
 「姉上…。」
 寝言を言う茜の枕元に人影が立った。人影が、一気に小さくなった。
 「むぐっ!!」
 茜の口が塞がれ、体が押えつけられた。
 「蛎崎茜様、茜様のお命を頂戴に来た私は、誰でしょう。」
 「そんな、何で…。何で姉上が…。」
 部屋の外に聞こえない大きさで繭が語りかけ、繭が震えて返す。
 「わたしね、わたしの優秀さを、気づいてもらいたかったの。あれはわた
しの手紙。暗殺が出来るようになったとはいっても、慣れてないし警護が厳
重だから隙が無くて苦労したわ。今日までに何度も近づいては諦めたの。」
 「姉上…、助けて…。」
 それを聞いて、繭の目が光った。
 「勿論よ…、わたし達…、仲良しだもんね…。」
 繭の顔が茜の顔に近づけられた。そして、唇が重ねられた。


 強い、密な口づけだった。少し茜が苦しんでいる。繭が口を離した。
 「静かにしてね茜…。」
 再び繭が口づけした。唇を重ねるだけでなく、茜の口の中を犯すように
繭の舌と唇が動いた。茜の頬がますます赤くなった。茜の体の震えを繭の
体が受けて喜んだ。
 「ぷはっ。茜、遊びを続けましょう…。」
 茜の口が再度塞がれた。繭の片方の手が動き、茜の胸に這わされた。茜
の胸の上をかるく掌が滑り、乳首を指先が触れた。
 「茜、大きい声出すとバレるよ…。」
 繭の顔が一瞬険しくなってまた元に戻った。茜の胸をもてあそぶ繭の手
の動きは更に巧妙に、繊細に、茜を震わせる動きに変わって言った。
 「そろそろ、わたしも思いっきり楽しもうかな。」
 繭が茜に体を重ねた。胸と胸が合った。両手を握り、茜が足を絡めてき
た。
 「茜、くれぐれも、声は出さないでね。」

 「伊達輝宗…我が第一軍団に登用しよう。期待しておるぞ。」
 伊達家は蛎崎家の猛攻の前に多くが捕虜となった。当主は野に下り、大名と
しての伊達家は滅亡した。

 「茜よ、繭を知らないか。」
 「いいえ…。」
 「そうか。頼み事があったのだがな。他の仕事をしながら探す。」
 季広は立ち去った。
 「行ったみたいね。」
 茜の首の後ろから繭の首が現れた。
 「二人羽織って、興奮しない茜?」
 繭の手が茜の胸を撫でる。
 「姉上、もっと…。」
 (完)

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最終更新:2009年07月07日 03:32