愛にすべてを ◆EGv2prCtI.


 楠森昭哉達がハンドベルトコンピュータを見つけてロックを解除してから、既に三時間あまりが経過していた。
 コンピュータの元々の処理能力の低さ、膨大な中のデータ量を考えればそれはむしろ妥当だった。
 ここが禁止エリアになるのならそんな悠長なことは言ってられないが、この後はこの場所、F-4から南にさえ出なければ当分は安全だ。

 作業の途中で昭哉は放送を聞いて、添島龍子の死を知った。
 銃声が聞こえた時、自分が渋ると彼女は早々に昭哉を置いて
そちらに行ってしまった。
 結果、彼女はその辺りで冷たくなってゴミのように打ち捨てられる形となった――

 ……そんなところだろう。
 龍子は選択を誤った。
 いや、誰かを救えたのかも知れないが、それは龍子の命をもってして救われたのかも知れない。
 ――どちらにせよ、龍子の命は果てた。
 誰かが殺した。
 その誰かは分からない。
 これはまた、既にこの世に存在しない間由佳なのか――それともまた別の誰かか?


 ――極論、今、隣で液晶画面をじっと見ている内木聡右かケトルが、龍子を殺した可能性も否めない。
 だが、昭哉はそれは捨てることにした。
 疑い出すとキリがない――特に、致命的だ。この状況では。

 今は、このコンピュータから有益な情報を引き出さなければならない。
 とにかく――今はこれに頼るしかないのだから。


 出てくるファイルと言えば、胡散臭い宗教染みたものばかりだった。
 よく意味が分からない儀式の方法。
 獣人関係の資料。
 黒魔術。
 この前の歴史科の点数表。
 ケトルがクラス中九位、昭哉がクラス中十位、聡右がクラス中四十二位で……

「おい、何じっくり見てるんだよ!」
 聡右が不機嫌な顔で叫んだ。
「……いや、ここまで情報が雑多だと、こういうものこそじっくりと調べたくなるのですよ」
「ったく……」

 気付けば、二人とも退屈そうな表情を浮かべている。
 それは仕方がないかも知れない。
 三時間もこの状態なのだから、飽きてくるのは当然だろう。
 しかしコンピュータを操作している昭哉は今も逆に真剣になっている。
 ――今後の自分達の運命がかかっていると理解しているからだ。
 だからこそ、今は自分だけがこれを背負う必要がある。
 これは――強大なプレッシャーと相成ってのしかかって来るのだから。


「なあ、今、上から車が通った音がしなかったか?」
 集中している途中、聡右が突然言い出した。
 車。
 ――この当座長期閉鎖中の島で?

 だが、それもあり得ない話ではなかった。
 小説――バトルロワイアルの中でも、船は根こそぎ回収されていたのだが、車は放置されていた。
 この島でも、実際に誰かが奪って運転しているのかも――

「様子見てくる。ここ案外目立ってるし、入ってこられたらやばいしな」
 聡右は、そう言って階段を昇っていった。
 昭哉は止めなかった。
 事実、その通りだったからだ。
 地下室は一方通行。
 もし何者かに入ってこられたら、――消耗だけでは済まされない。
 マシンガンを持ってこられれば、最悪。
 ――犠牲は避けられない。
 それどころか三人とも殺される可能性も――



 そう考えて聡右を行かせたのだが、しかし五分程経ってからも戻る気配が無かった。
「遅いですね……」
 昭哉は、あれから作業を交代したケトルに声をかけた。
 ケトルは無言のまま、ハンドベルトコンピュータの画面に釘付けになっていた。
 相変わらず、コンピュータからはスカのものばかりが表示されるのだろう。
 期待した自分が愚かだったのか――?
 そう考えていた矢先、突然ケトルが立ち上がった。
 何かあったのか、と聞こうとしたが、ケトルは、そのまま地下室から飛び出すように走り去ってしまった。


 ケトルを追うとするのもそこそこにして、一旦昭哉はコンピュータのモニターを見ることにした。
 そこには……

「……!」
 一見して、画像ファイル。
 だが、それは今のケトルにとっては、昭哉から見ても危険過ぎるものだった。
 そこに写っていたのは――

「ケトルさん!」

 昭哉もまた、走り出した。
 その昭哉の頭の中、バラバラになっていたパズルピースが一瞬で解けた。
 今までいびつな形になっていて、絶対に当てはまらないようになっていたそれが。
 現れた背景。
 そうであって欲しくなかった可能性。
 ――若狭吉雄の罠――

 これを自分に渡した意味がようやく分かった。
 ケトルが先に反応しなければ、逆にこの画像を見た昭哉の方がショックで先に飛び出していたに違いない。
 これは――やはり――


「あ、ああああああああああああああ!!」
 外からの甲高い絶叫。
 まさか――いや――
 昭哉は自分の中で肯定と否定を繰り返しながら、地下室を出た。
 出先に、みぞおちに強烈な衝撃を受けた。
 少し奧に停めてある車――ミニバンと――
 片手に、これは杖のような形で地面を突いているショットガン、もう片手にまだ煙を噴出しているリボルバーを持っている太田太郎丸忠信(男子六番)の姿が見えたところで、勝手に膝がくずおれた。
 鉄臭い味が一気に口に広がって端から滴り始める。
 ひどい吐き気、そして目眩が昭哉を襲った。

 その脇、ケトルが腹部の辺りから血を流して倒れている。
 目は見開かれ、口が裂けるほど大きく開いたままだった。
 近くには、恐らく股間ごとショットガンの散弾に引きちぎられた尻尾と尾骨の破片が転がっている――

 意識が混濁する中、昭哉はその声をはっきりと聞いた。
「おう、楠森。飼い猫の去勢は済ませとけよ。危ねえだろ」


 ――なんてことだ。
 目先の危険で判断を誤ってしまったのか――

 後悔しても、もう遅かった。
 やはり、若狭吉雄は完全にこちらを裏切っていた。
 そしてなお、こちらを利用しようとした。
 自分はまんまとそれに乗ってしまった――
 初めから自分は若狭の手の平で踊っていたらしい。


 血が止まらない。
 押さえていても、止まらない。
 ――これも、何もかも。
 全ては、若狭が望んだことだ。
 初めから自分たちのことなど考えていなかった。
 そもそも、同じサイドである卜部悠のことは元から見捨てていたのだとしか思えない。
 そう、若狭が支持していたのは――

「やは……り……俺は、ど……」

 そのまま静寂が、訪れた。
 やがて雨が降り出して、昭哉の顔を伝って降り始めた。
 まるで昭哉の代わりに涙を流すように、じんわりと、しかし確実に地面を濡らしていった。

「ちっ、山の中なら邪魔も入らないと思ったんだけどな。それに、吉良とか案外この辺りに隠れてそうだし。……もしかしてまだ周りに誰か居るのか?」

 忠信は唾を吐き捨て、二人の荷物を漁り始めた。
 ミニバンの助手席には、人形のような状態の一人の女子生徒が縛り付けられていた。


【男子十一番:楠森昭哉 死亡】
【男子十三番:ケトル 死亡】
【残り9人】

 もう、雲に隠れた日も沈んで島全体が暗くなっている。
 懐中電灯を使わないとさっぱり辺りが見えない。
『若狭でーす。みんなー、放送の時間だぞー。みんなー、いいペースだぞー』
 放送だ。
 そして、この放送は殺し合いが始まってから十八時間が経過したことも意味していた。

『じゃあ死んだ友達の名前を読むぞー。男子十一番、楠森昭哉くん。男子十三番、ケトルくん』
 ――二人が、死んだ?
『男子十五番、白崎篠一郎くん。男子二十五番、日向有人くん』

 それが何かの冗談のように思えた。
 つい四時間も前、一緒に居て、そして地下室に居た筈の、二人が、死んだ。
 何か、浮いた気分になった。
 それとも聞き間違えたのか――

 そして、間違いなく冗談でも聞き間違えでもないことを、直後に思い知ることになる。
『残り九人でーす。太田、朱、内木、玉堤、貝町、鬼崎、吉良、倉沢、苗村、よく頑張ったなー。もう一息だぞー』
 若狭はそう言った。
 電子的に歪んでいる声ではあったが、まざまざと、そして確実にそう聞こえた。
 ――残り九人?

「ちくしょう」
 その声は、語尾が震えていた。
 内木聡右は強さが増した雨に打たれながらも、山の中を走っていた。
 地下室に戻らなかったことについては、悪気は無かった。
 地下室から飛び出た直後――あの一瞬だけ見かけたミニバンの助手席、そこにほとんど裸に近い状態の鬼崎喜佳が乗っていたのを見かけた時点で、聡右はそのミニバンを追うことを決意したのだ。
 だが、その直後にミニバンを見失ってしまった――

 それから、まだ周りに居るのではないかと、山の中を駆けずり回った。
 そして、そうしている内に、楠森昭哉も、ケトルも、二人とも死んでしまった。
 自分だけが、こうして生き残ってしまっている。

 幸運だと思うべきなのだろうか?
 それともあそこで二人と一緒に死んだ方がよかったのだろうか?

 ――今はそれを考えている訳にはいかない。
 とにかく、喜佳のことが気掛かりだった。
 喜佳を載せたミニバンを捜さなければならないのだ。

『では次の禁止エリアを……』

 放送もどうでもよかった。
 聡右は、それほどまでに必死だった。
 追わなければあれきり二度と会えない――
 そんな気がして、いてもたっても居られなくなっている。

 顔に当たる水滴の量がひどくなってきていた。
 ざー、ざーという雨風の音が大きくなっていく。
 髪が頬にくっついてきて、目を開けているのも辛い。
 ――構わない。
 喜佳を探し出さなければ――それこそ、今、一人でこんなところに居る理由が無いのだ。


 雨の中、懐中電灯の先の僅かな光がその雨粒を照らしていく。
 聡右は、先程からずっとこの光が車の表面を反射してくれる筈だと期待していたが、しかしその反応は全く見られない。
 ただ、時間が過ぎて、雨の勢いだけが増していく。 やはり――ミニバンのスピードに追いつこうという話が馬鹿だったのだろうか?
 もうこの山には居ないかも知れない車を探そうなんて言う考えが甘かったのか?
 その時、縦に伸びた、楕円のような光が聡右の目に、ちらと映った。
 懐中電灯の光が二重に見えたのだろうか。
 そういえば、この島に連れてこられてから一睡もしていない

 緊張で意識はしていないが、間違いなく身体には響いているだろう。
 ましてやこの数時間動きっぱなしなのだ。
 まだ自覚していないだけで、そろそろ急激に疲労が襲ってきているとでも――


 聡右は疲れを意識しつつも、その光の元へ向かっていた。
 もう懐中電灯はそちらには向けていない。
 しかし光点は未だに存在している。
 聡右はばっとそっちに走り出した。
 そして見つけた。
 停車している、ミニバンのフロントを。
 ミニバンの助手席側、つまり聡右のすぐ目の前に何も着ていない喜佳が、そしてその奧に、太田が居て、その手で喜佳の――

「太田あああああ!」
 聡右は、ミニバンの前に一直線に飛び出してコルトパイソンを乱射していた。
 一発、二発と、マグナム弾が撃ち出されるごとに聡右の肩が衝撃でみしみしと悲鳴を上げる。
 銃声と共に運転席側のミニバンの前方部に黒い円形状の広がりが次々と刻まれ、窓ガラスも散り散りに割れた。
 ミニバンの中の電灯で、驚愕した忠信の顔と、そして目を見開いた喜佳の表情がはっきりと分かった。

「ちっ」
 忠信は、ショットガンをドア側の脇から取り出した。
 ――太田より先に撃たなければ――間に合うか? 今すぐ、今すぐ喜佳を助けなければならない。
 雨でくっついていた前髪を空いた片手で掻き、聡右は忠信目掛けてコルトパイソンを構え直して、そして、その時には既に引き金は撃ち出される寸前まで押し込まれていた。
 忠信が銃身をミニバンのフロントに置き、片手でショットガンを構えていたが、構わず聡右は忠信に近付いた。
 そして大きく、銃声が響いた。
 一瞬だけ、コルトパイソンの銃口から閃光、忠信から血飛沫が舞って、ミニバンの周りを包んだ。
 コルトパイソンのマグナム弾が太田を仕留めたのだ。
 だが、まだ終わった訳ではない。
 喜佳を、早くこの汚らわしいミニバンから解放しなければ!
 聡右は、コルトパイソンをズボンに差し込んで直ぐさまミニバンに駆け寄り――


「あっ」
 気付いた。
 いや、恐らく、気付くのが遅かったのだろう。
 マグナム弾は忠信に一切触れてすら居なかった。
 何故なら、忠信に肩を引っ張られ、シートベルトから乗り出された喜佳の右胸に、大きな穴と大量の血が忽然と付いていたからだ。
 つまり、聡右が撃ったのは――

 一瞬の茫然が、聡右の感覚を麻痺させた。
 喜佳の右腕の脇、いつの間にかリボルバーの銃口が伸びていた。
 それが、聡右が見た最後の忠信に関するものだった。 
 右胸の激痛と共に、聡右はそれにつられて地面に吹き飛ばされていた。
 全身の感覚が無くなっていき、一気に筋肉が萎えるのが分かった。
 湿った腐葉土にぐにゃりと頭が叩き付けられる感触と、そして、何があったのか理解するまで、聡右は呆然と天を見上げていた。

「おいおい、危ねえだろ内木」
 忠信が、何かを喋っている。
 しかしもう聡右は、顔を横に動かすことが出来ても上げることが出来ない。
 ミニバンのドアが開いて、ほぼ同期してべしゃ、と何かが地面に放り出される音がはっきりと聞こえた。
「まあ、そいつも使い物にならなくなったし好きにすれば?」
 その言葉を聞いて、聡右は、やはり何が投げ出されたのか、嫌でも理解した。
 ――どの道、太田はそうするつもりだったのだろう。
 淡々と、聡右が撃った喜佳を車から捨てた。
 それは死体だろうと怪我人だろうと、自分にとって役に立たなくなったのなら忠信ような人間なら当然の行為だった。

 それからドアがばん、と閉められ、それからエンジンの音がすると、その音もやがて雨音に紛れて遠くなっていって聞こえ
なくなってしまった。
 もう、聡右には、それらをエンジンの音だと聞き分ける力も――


「聡右……」
 かすれてはいたが、声が、聞こえた。
 聞き慣れた、あの声。

 聡右は頭をなんとか動かし、視界に、喜佳の顔を入れた。
 ほとんど、久しぶりに感じる喜佳の顔は、今まで見たこともないような空虚な顔付きになっていた。
 周囲は真っ暗になっていたが、聡右にはそれはきっかりと見えていた。
「喜佳、ごめん、ほんと……」
 言葉の先々から胸がひどく痛んだが、気にもならなかった。
 ただ、後悔しか出来なかった。
 どうして、喜佳を撃ってしまったのか。
 どうして、太田を倒すことが出来なかったのか。
 そう言った、自分の軽率さだけが、今の状況の象徴としてしか浮かんでこない。
 ――楠森昭哉と、ケトルを見捨ててまでここまで来ていたのに。
「いいの。私――馬鹿だった」
 喜佳が、囁くように言った。
 遣る瀬無いような、そんな、感情も入っていた、ようだった。


「私には聡右しか居なかったのに、聡右のこと、ずっと無視してた。分かってたのに、知らんぷりしてた」
「それで……よかったんだよ」
 そんなものは、聡右にとって些細な問題だった。
 聡右は、喜佳と一緒に居られればよかった。
 守れればよかった。
 あの日――鬼崎虎之佑が、死んだ日からそう誓っていたのだから。
 それも、もう――

「これは報いよ。私は、私を愛してくれる人達をみんな拒んできた」
「……そうするしか、無かったんだろ……」
 ずっと、自分が鬼崎組の長になるかも知れない、いや、その観測がひどく現実的になってきていた時から、喜佳は篭もり気味になっていた。
 ずっと、普通の女の子みたいに学校に通いながら、そんなプレッシャーに耐えていた。
 ずっと、――

 ――何が正しくて、何が間違っているのか、そんなことは分からないはずだ。
 けれども、自分は、内木聡右はそれを分かったつもりでいた。
 多分、本当は何も分かっていなかったのだろう。
 気持ちばかり先走って、結局失敗ばかりだった。
 今回だってそうだ。
 そうして聡右は死を迎えようとしている。  
 自分が傷付けた喜佳も、共に。


「もし、……今度生まれ変われるのなら……」
 喜佳が、言った。
 そのまま聡右の視界が、すっと暗くなっていった。
 頬に当たる、雨の感覚ももう分からない。
 ――いよいよだろう。
 しかし、まだ感じることはあった。
 やはり自分の命を失ったとしても、喜佳のことすら失うわけにはいかなかった。
 駄目な自分でも、喜佳の盾として、喜佳を守ることは出来たと思ったからだ。
 それほどまでに、――愛していた。

 聡右は、凍りつくように冷え切った唇を懸命に開いて、そして、声を押し出した。

「ああ……」


 聡右に返事が聞こえることはなかった。
 そして、返事が返されることも、なかった。
 ただ、冷たい雨が、二人の身体を洗い流していた。

【男子二十二番:内木聡右 死亡】
【女子七番:鬼崎喜佳 死亡】
【残り7人】


 玉堤英人(男子十九番)は放送を聞いてひどく憔悴し、そして重く今の状況に打ち拉がれていた。
 もう、この島で生きている人間は十人にも満たない。
 一体どれだけの血が流されたというのだろうか。
 四十一人の死体が島中のあちらこちらに転がっているのだ。
 そのほとんどが何の弔いも受けることもなく、ゴミみたいに、ただ転がっている。
 その点では、尻田堀夫、仲販遥、森屋英太、朽樹良子、鈴木正一郎、銀鏖院水晶、フラウ、由佳、ケトルも、みんな、みんな同じだった。
 尻田も、遥、英太も、良子も、惨たらしく死んでいた(そう言えば良子を看取った鬼崎喜佳は何処へ?)。
 鈴木も、あの場にあった顔の無い死体になっていたに違いない。
 フラウ、由佳はどうなったかは分からないが、他のみんなと殆ど変わらない死に方をしたのだろう。
 ケトル、一緒に居たフラウが死んだこともそうだが、一体何があったのだろうか。
 そして自分が殺した、水晶。 

 その瞬間を忘れられるはずもない。
 首輪が爆発し、左腕に伝わった反動。
 飛び散る血飛沫。
 残された水晶の死体の表情。
 ただ茫然としてそれを見続けている自分――

 それが常に英人の頭の中に巣くっていたこともあったし、降り始めた雨のおかげで少しずつ体力を奪われていき、頭が働かなくなりつつあるのもあった。
 そして今、目の前には、より英人を混乱させるものが置かれていた。
 英人は診療所から西の海沿いに北を回って、今はF-3の神社の前に居たのだけれど、石の地面に明らかに真新しい焦げ跡が線上に二本、互いに対角になるように刻まれている。
 雨で湿ってはいたが、線を辿るとやがて神社の中の祭壇まで伸びていって、そこでは線からまだ煙が吹き出している。
 そして線が五角形で囲うように、ちょうど人が横になって一人入れるかどうかの空間があって、その線の内側だけが完全に赤黒く塗り潰されるように染まっていた。
 その五角形の空間は非常に綺麗な図形になっていて、ペイントツールか何かでも使って描かれたような錯覚に陥られた。
 機械のように精密で――ただ、無機質な、そんな印象。

 とにかく、英人は左手で握ったスティンガーを構えて警戒することにした。
 まだ近くに――近くに誰かが居るのだろうか?
 この行動の真意が分からない。
 一体、何の意味があってこんなものを作ったのだろうか?
 ――

 そこまで考えて、英人は五角形の内側を、右手で触ろうとした。
 すると右手が、手首までどぷんとその中に入り込んでしまった。
 非常に不快な生暖かさと、不意に醸し出される鉄臭さで、英人は確信した。


 この五角形の穴には、大量の血が流し込まれているのだ。
 しかも見た目に反して、かなりの深さがあるようだった。
 右手の指先が底を着くことが出来ない。
 それから右手を血の池から引き出して、雨で境内に現れていた水溜まりでどうにか洗い流した。
 近くにあった英人の全身ほどの長さの竹棒を差し込むと、一気にずぶずぶと先から先まで沈み込んでしまった。
 それを見て、英人は再び思考に入った。

 ――こんなことが出来る生徒に、英人は一人しか心当たりがなかった。
 これを行った人物は、やはり何らかの意図を持って行ったのだ。
 ――二階堂永遠、が。
 そもそもこの血を集める為に、こんな馬鹿げた殺し合いを仕組んだとも考えられた。
 画然とは分からないが、あの生気の無い冷たい肌。瞳。――自分の左腕。
 それを考えると、大まかに、だが二階堂永遠が何を考えているのかは想像がついた。
 確実にそれはおぞましいことだった。
 生命に関する、禁忌。
 もしかしたら二階堂永遠はそれに触れようとしているのでは?
 失われた筈の自分の左腕を使っている以上、それに似たようなことを行おうとしているのは確かだ。

 だが――


 ――今更それが詳しく分かったところで、何になる?
 もう生き残っている人数も少ない。
 由佳も、死んでしまった。
 恐らくこのUSBメモリも、もはや必要無いだろう。
 二階堂永遠に会うには、今、自分が考えている方法が手っ取り早いのかも知れない。
 ここまで生き残りが少なければ、ほぼ全員が殺し合いに乗ったと考えていいだろう。
 つまり――

 僕の最後の目的ははっきりしている。やるしかない。

 ――もう、考えている余裕なんて無いんだ。


【残り7人】

「……ったく、何処に居んのよ」
 レーダーは反応を示さない。
 それは当然だった。
 ここは、禁止エリアの中だ。
 首輪を付けられた参加者がここに入ってくることなどできはしない。
 しかし、それでも今はここを歩いていた。
 移動を円滑にする為にはここを通るしかないのだから。

 島に辿り着いた後、卜部悠(女子二番)はレーダー、銃を片手に、森の中を歩いていた。
 D-6。
 既に禁止エリアとして指定された区画である。

 小型船の上で地図を見て広竜の位置を確認したはいいが、根本的な問題があったのだ。
 ……参加者は常に動き続けるという前提を無視してしまった。
 結果、今はこの半径五十メートル内の首輪に反応するレーダーと頭のライト付きヘルメットの明かりに頼るしかないときている。
 一応持ってきておいてよかったが、これが無かったら一体どうなっているのだろう。

 小型船に関して言えば、(悠としては)巧妙に偽造したので大丈夫だった。
 若狭吉雄の死体も、まだその中にある。
 万が一、馬鹿が変な気を起こして島から逃げ帰ることなど有り得ない筈だ。
 第一そんなことをすればいくら何でも二階堂永遠が気付く。
 永遠のプラグやらコードやらを自分が抜いていた気もするが、取り敢えず永遠ぐらいそれぐらいの可能性は考えているだろう。
 後は朱広竜さえ見つけることが出来れば、全てが丸く収まる。
 その為ならこんな寒い雨の中でも、十分動ける。
 悠は、そう自分に言い聞かせていた。

 あの広竜との出会いは、今年、クラスが一緒になってからだった。
 あの広竜は、初めて見た時から素敵だったのだ。
 あの広竜の素性が分かったら、もっと惚れ込んでしまった。
 あの広竜は、とても強くて、ハンサムで、それにキュートな面もあって――

 そんなあの偉大な広竜と自分を並べること。

 それが、悠の今の、最も重要な目的だった。
 つまり悠が広竜を優勝させ、四十九人――いずれ、五十人になるであろう死体の山に、二人で登ることである。
 後のことは、考えていない。
 ただ目的だけ果たせればよかった。

 悠は、ため息をつきながら雨で画面が歪んで見えるレーダーをもう一度視野に入れた。
 レーダーには、ぽつんと画面端にポイントが映っていた。
 多分、そこはぎりぎりこの禁止エリアには入っていない筈だった。



「見つけた……!」
 広竜だ。
 きっと広竜だと思いたい。
 もし、他のどうでもいい奴だったらその時はすぐにこのFNファイブセブンで殺してやる。
 とにかく早くその場所に行かなければ!

 悠は走った。
 木に激突しないようにしつつ、とにかく全力で走った。
 雨なんて歯牙にもかけなかった。
 その内にレーダー上のポイントと自分の位置が、もう数ミリに迫っていた。

 どうしよう? やっぱり印象は良くした方がいいよね?
 まずは笑顔で出た方がいいかな?
 銃も降ろしておかないと。彼、そういうのに神経質だし。

 悠は、周りの木を躱し、大きくポイントと隣り合わせになる位置に身体を出した。
 それから一秒もしない内に、顔に何かつんと押しつけられるのが分かった。

「え?」
 名前は忘れたが――とにかく、猫背のように身を低くした女子生徒が既に自分に銃を突きつけていた。
 状況が理解できなかった。
 身体中の血の流れが止まった気がした。
 突然木の陰から現れた女に、悠は完全に困惑していた。
 広竜じゃなかったの?
 どうして広竜じゃなくてこんな奴と会うの?
 なんで、私はこんな奴を広竜だと思いこんだの?

 ってかこいつ誰――


「げうっ」
 次の瞬間には、悠の鼻先から後頭部まで九ミリパラベラム弾が貫いていた。
 銃声が完全に止む前に、悠は後ろにのめり込むように倒れて
いた。
 鼻が潰れ、顔面の内部を破壊された衝撃で瞳孔が完全に瞼の裏にひっくり返り、もう悠の顔は完全に崩れて見られたもので
はなくなっていた。
 というわけで、自分に極度の自信を持ち、他人を見下し過ぎていた客観的に言えば愚かな女、卜部悠はあっさりと死んだ。


 苗村都月(女子二十番)は、卜部悠が自分に近付いていることを、悠が飛び出してくる前から気付いていた。
 光がちらちら見えていたのもあったので、直線的な動きも計算出来て、待ち伏せはあまりのも容易だったのだ。
 待ち伏せはゲームでの基本戦法だ。
 表立って戦うにはそれなりの装備が必要だが、一発で決着が付くこれならそんな必要が無い。
 これで、自分の優勝にまた近付いたことになる。

 エルフィの言葉は、都月はきちんと受け取っていた。
 ラスボスに会う為にはやはり、まず周りの敵から打ち倒さなければならない。
 確実な勝利――それが、都月の、勝利条件、なのだろう。

 そうして、都月の精神と、シティーの幻影の融合がますます進行していく。
 自らが狂いかけているのも、悠が元はこの殺し合いを画策した人物だとも気付かず、ただ、“元の世界”に帰る為に歩いていく。
 こんな夢など、早く終わらせればいい。
 そして自分はまた、シティーとして夢から目覚める。
 “元の世界”こそ自分の帰るべき場所なのだから。 
 シティーこそ、自分の真の姿であり、真の意志なのだから。


 それから、悠の死体の脇、何かが光っているのが見えた。
 近頃の携帯電話のような何か。
 都月は、その携帯電話――レーダーに近付いた。

 ここは、若狭が禁止エリアになると言っていた森に入っている可能性があったのは考慮出来た筈だが、都月はそんなことは関係なかった。
 そもそも、放送すら真実かどうか疑っていたのだ。
 禁止エリアのことはほとんど、すっかり都月の頭の中からは消え失せていた。
 ただ、偶然でもなんでも、自分のすぐ目の前に禁止エリアが広がっていることを全く考えていなかった。
 何故なら、そこは都月にとってはただの地面でしかなかったのだから。


 数秒後、もう一度大きな、火薬が破裂がする音が響いた。
 都月の全ての感覚と意識が熱と共に消え、無に帰っていた。
 同時に、悠が持っていたレーダーのディスプレイから、一つだけあった首輪の反応がぽん、と消え失せた。
 苗村都月が“夢”から醒めることも、若狭吉雄の放送が真実だったと気付くことも、もはや永遠に無くなった。

【女子二番:卜部悠 死亡】
【女子二十番:苗村都月 死亡】
【残り6人】

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最終更新:2009年09月10日 05:48