愛にすべてを ◆EGv2prCtI.


 何度か、非常に危険な銃声が聞こえて、しばらくは身を隠さざるを得なかった。
 朱広竜(男子二十番)は、映画館から東の集落の家に隠れ、休息を取っていた。
 あからさまに楽しんで殺したとしか思えない死に様の尻田堀夫が玄関のすぐ傍に転がっていたが、気にも止めなかった。
 死体なんて見慣れたものだからだ。
 失われた中指の痛みは相変わらずだったが、それでも他の部位や頭を落ち着かせることは出来た。
 軽い睡眠もとった後、四時頃になって、広竜は動き始めた。
 すると家を出る時、奇妙な違和感を覚えた。
 堀夫の死体から完全に血が消え失せていたのだ。
 元より顔面は青白くなっていたが、固まっていた血溜まりも、口から溢れた血もきれいさっぱり消えていたのだ。
 まるで血が普通の水のように自然に蒸散したみたいだった。
 誰かが家の中に入ってきた気配はない。
 ――すると、何故こんなことに?

 だが、それは考えても仕方のないことだ。
 異常な事態ではあるが、こんなことが起きている時点で異常な事態なのだ。
 今更、それ以上の不可思議な現象が起きても驚くべきではない。
 それは隙を作る因子になり、ほとんど自殺行為に通ずる。

 今は、勝ち残ることだけを考えるべきだった。
 つまり、どうしたら如何にこれ以上の消耗を少なく、残りのクラスメートを殺せるか、ということだ。
 この万全ではない状態、手元にあるモーゼルC96ミリタリーだけでどうにか済ませられるのだろうか?
 しかし出来ればなるべく甚振り尽くして殺したいところでもある。 

 ともかくなるべく、分校の近くには行きたくなかった。
 家に行く途中の山道で聞こえた、マシンガンの音。
 やはり生徒に渡されたマシンガンは鹿和太平に支給されたイングラムのみ、という訳ではなかったのだ。
 今の自分の状態だと、少なくとも激しい消耗は免れない。
 どうにか奪えれば御の字、しかしリスクも高い。
 万が一の奇襲も無い訳ではないのだ。
 そう思い、しばらくは禁止エリアのF-5を壁にするように海に沿うように移動していた。

 これは地図の右下端にあたる海岸、男子十番の如月兵馬が頭を撃ち破られ、死んでいた。
 これまた鹿川と同じように血が一切無くなっていた。
 エックス資料だかなんだか、そういうタイトルのドラマでこれに似たような話をしていたのを記憶していたが、それはあくまで作り物の世界での話だ。
 しかし――実際にそんな作り物じみた超常現象が広竜の目の前で起きてしまっている。
 立て続けに。
 二度も。

 そして山の中ではエヴィアン(女子三番)が例によって干涸らびて死んでいた。
 エヴィアンとは言うものの、顔が銃で撃たれて損壊していた為、広竜は背中の羽でそう判断した。
 改めて見ると、死体から全身、そして周りに飛び散った筈の血が一滴残らず抜き取られているようで、やはり余程の技術――
 否、魔術にも似た何かを持つ誰か、そしてこの殺し合いを企てた誰かが行ったに違いない。
 少なくとも、夜中の分校に居なかった三人、そして若狭に殺されたラトを除くクラスメートにこんなことが出来る生徒が居
たとは思えなかった。
 裏で色々動いている太田太郎丸忠信(男子六番)にも到底出来るとは思えないのだ。
 死んでミイラになった生徒が放送で名前を呼ばれるまでの時間とその前の放送からの時間照らし合わせると僅かに数時間。
 流石に広竜にも、せめて一日あれば不可能ではないが、そこまで短時間では出来ない。
 ――つまり、この島の何処か、或いは島の周りで広竜の理解の範疇では及ばない、何かが動いていることを確信出来る。

 もちろん、それが分かったところで、どうなることでもない。
 死体より生きた誰かを捜し出さなければならない。
 広竜の目的は、そこにある。


 そうして山の中を歩いている内に、突如ミニバンが横を通り過ぎた。
 中に乗っていたのは太田太郎丸忠信と鬼崎喜佳。
 その時には既に周囲が暗くなり、雨が降り始めていたので茂みに隠れて相手に気付かれないようになんとかやり過ごせたようだ。
 直後に近くで連続して何発か銃声があり、忠信達と誰かが交戦したのが分かった。
 とにかく、銃声の数から考え、決着が付いたとしても最低生き残った側が何らかの形で消耗しているのは明らかだった。

 そうして、今、ミニバンを探している。
 当座の山の中は蒼暗い空のコントラストに合わせてほとんどダークグリーンに見える木々の塊。
 これだけ暗い上に雨で地面がぬかるんでいる。
 そんな状態でミニバンなんかで走っていたらすぐに気付くようなものだが、にも関わらずミニバンは中々見つからない。
 続けて広竜が銃声が聞こえたと思う方向を辿っていると、その内に、何か地面に黒っぽいものが二つ転がっているのが視界に入った。
 それに近付いて、懐中電灯の光をその暗い色の寝袋みたいな物体に向けた。

 内木聡右(男子二十二番)と鬼崎喜佳(女子七番)だった。
 二人とも、一発で仕留められていた。 
 しかし、意外なことに、この二つの死体にはまだ血がこびり付いていた。
 雨で広がって土を変色させている分も、まだ残っている。
 二人ともこれまで見かけた死体に比べれば大分状態がよかったのだ。

 血を抜かれているにせよ抜かれていないにせよ、どちらにせよ死んだのがつい先刻であるのははっきりしていた。
 死体の近くにはミニバンのタイヤの跡が地面に残っている。
 ということはこの跡を追って行けば――


 がさり、と少し高台になっている林の中から音が聞こえた。
 広竜は反射的にその方向に懐中電灯を投げ付けた。
 懐中電灯は途中で木にぶつかり、そのまま足元ぐらいの長さの草の中に落ちていった。
「広竜くん、偶然ですねえ」
 嫌に粘着質な声が耳に届いた。
 相手も懐中電灯を持っていて、その光が上向きになり、そして、顔が浮かび上がった。
 左目が潰れた、不気味な笑顔をこちらに向けていた。

 その顔は――記憶が正しければ太田のグループに居た変態女、吉良邑子(女子九番)だった。
 畜生、よりにもよってこんな奴に――

 広竜はモーゼルC96を腰の高さで構えると標準を素早く邑子に合わせ、引き金を引いた。
 ぱあん、と弾丸が邑子の懐中電灯を弾き飛ばし、瞬間に光がばちっとショートした挙げ句割れて消えた。
 もう僅かな物陰しか見えない中、広竜は聡右達の死体が有る場所から大きく迂回し、邑子の居た位置に間合いを詰めた。
 泥で足音が出てしまうが、これはどうしようもなかった。
 とにかく今居る場所を知られないのが大事だった。


「内木君はここで死んだのですね」
 思いの外、動いている広竜の後ろ側で声が聞こえた。
 邑子がいつの間にか聡右達の死体の傍にいて、それを懐中電灯で照らしていたのだ。
「内木君は卑怯にも私に不意打ちしてきたんですよ」

 ――誰だってお前のことは殺したくなる。
 広竜は邑子の言葉にそう反応したが、位置を悟られない為に決して口には出さなかった。

「……あなたもすぐに内木君の元に送ってあげますよ!」
 そう邑子が叫び、瞬く間にぶん、と何かが風を切って唸った

 広竜は咄嗟にモーゼルC96を持ち上げたが、その前に木刀か何かが広竜の右手に直撃していた。
 しかも恐らく普通に投げ付けた割には、かなり精確に木刀は広竜の手に向かってきたようだった。

「しずくなげ! なんちゃって」
 はしゃぐように、邑子の口から高いトーンでそう飛び上った。 
「ちいっ!」
 広竜は舌打ちした。
 邑子に位置が掴まれていた――確かに特定される条件は揃ってはいたが、しかし、普通の一般的な女子生徒がここまで出来るだろうか?
 広竜は銃を拾い直し、左手で弾丸を発射した。
 こちらでの発砲は慣れないが、右手が手負いの以上仕方がなかった。
 案の定、邑子に弾が当たった気配は無い。
 上手く扱えない状況の銃など易々当たるものではないのだ。
 逆に邑子の手元が光り、広竜の頭に何か掠めた。
 音と、この暗さでなくても存在が視認出来ないであろう銃、多分、邑子が持っているのはデリンジャーだった。

 なら――
 攻勢に転じ、広竜はモーゼルC96を撃ち続け、走りながら邑子の元に近付いた。


 途中でモーゼルC96のグリップの脇の弾倉が低い音で爆発するように破裂した。
 デリンジャーの弾が命中したのだ。
 広竜はこの瞬間を待っていた。
 デリンジャーの装弾数は、往々にして二発。
 邑子は既に二発、広竜に向けて撃っている。
 今だ――

 広竜はモーゼルC96を捨て、一気に飛び掛かり邑子の立っている位置に横薙ぎに蹴りを入れた。
 がは、と邑子の口から息が漏れる音がした。
 間髪入れず、広竜は蹴りに入れた足の踵を落とした。
 ばき、と骨を折る手応えを感じた。
 そのまま追い打ちをかけるように広竜は邑子の身体を踏み付け、また足を持ち上げては落とし続ける。

 いける、いけるぞ――!


「甘いですよ、広竜く――」

 そう聞こえた時、どん、と近くで音が、更に間髪入れずにぱらららら、と遠くで、数時間前に聞こえた音が聞こえたと思った瞬間、広竜の顎に強烈な衝撃が走った。
 衝撃が顎から、一気に額へ広がっていく。
 最後に、冷たい風が顔の内側を通った。
 広竜の意識はそこで霧消した。



 朱広竜は、先程まで自らが蹴っていた鬼崎喜佳の死体の上に、転がった。
 広竜の額に穴が空き、そこからも、そして首元からも血が流れ出していた。

 内木聡右が持っていた筈のコルトパイソンが、硝煙を吐いていた。
 吉良邑子は、広竜から少し離れた聡右の死体に回り、そこに落ちていたコルトパイソンを拾い上げ、広竜目掛けて撃ったのだ。
 聡右の学生服を被っていたその銃を邑子は懐中電灯で運良く見つけることが出来た。
 しかし、吉良邑子もその時にはもはやこの世には存在していなかった。
 邑子の右脚の付け根から、左肩の辺りまでに不思議なことに穴がきれいに一直線、いつの間にか並んでいた。 
 予測など出来る訳も無かったに違いない。
 穴から血が脈打つようにぷしゅっぷしゅっと噴き出し、それをまるで邑子自身がこれまた不思議そうに見ている、ようだった。
 やがてそれも止んで、邑子の身体もまた、濡れた落ち葉の元に倒れて、血の池ををゆっくり広げ始めていた。


「あはははは、もうすぐですね、裕也くん!」
 ほとんど雨が混じった涎を垂れ流しながら、P-90を持った少女が笑った。
 その片手には、泥まみれの、海野裕也だったものがぶら下がっている。
 ――倉沢ほのか(女子十三番)だった。
 海岸に放置されていた小型船を見つけて、そこに行くために通りかかったところに二人の銃撃戦を聞きつけたほのかが邑子を狙撃したのだ。
 雨の音で、二人はほのかの接近に気付くことが出来なかった。

 そうしてもう残り少ない標的を探す為にほのかが足を動かそうとしたと同時に、またもや発砲音が響き、ほのかの左手の手首の辺りの骨と脇腹の肉が周囲に撒き散らされた。
 ついでにほのかに捕まれていた裕也の腕も若干抉れた。

 左手の神経がほとんど役立たずになっているのを理解しながら、ほのかは極限まで目を見開いて振り返った。
 十メートル程遠くに停車した車――ミニバンの中に、誰かが入っていた。
 その中から、誰かが長いものを構えている。

 それが誰なのかは、もうほのかはどうでもよかった。
 反射的に、ほのかのP-90がミニバンに向かって伸ばされて吠えた。
 ミニバンの天井辺りの鉄板が半分ほど吹き飛んで、内側の後部座席にも大きな荒れ地を作り出した。


 そのままいきなりミニバンがほのかに向かって凄まじいスピードで強攻してきて、ほのかの全身がミニバンのボディを強烈に叩き付けられた。
 ほのかが倒れた。
 前輪のタイヤが、ほのかが掴んでいる裕也の右腕を引き千切り、ミニバンの一トン半近い全体重をかけてほのかの胸を踏み付けた。
 ぼきぼきと石に乗りかかるように前輪が浮きながら通り過ぎて、立て続けに後輪がほのかの身体を巻き込んだ。
 大木に激突して、ミニバンが止まった。
 内臓も骨格もぐちゃぐちゃになったほのかの身体は、もはや原型を留めていなかった。

 そして大破したミニバンの中、その運転席の男――太田太郎丸忠信の頭には一発の銃弾が入り込んでいた。
 脳漿が、サイドボックスに飛び散り、奇妙な水玉模様を描いていた。
 座席が赤く染まり、忠信はただ見開いた目を、車のアクセルを撃たれた痙攣で踏んだ自分の足下に向けている。
 まるきり、雨曝しになっている自分の髪から落ちてくる水滴を見ているようだった。

 そして山の中に、ただ静けさだけが、訪れた。 

【男子六番:太田太郎丸忠信 死亡】
【男子二十番:朱広竜 死亡】
【女子九番:吉良邑子 死亡】
【女子十三番:倉沢ほのか 死亡】
【残り2人】


 何度もしつこいぐらいに銃声があったが、それからはしんと静まり返り、真夜中のような不気味な雰囲気だけが島を支配していた。
 手掛かりを探してはいたが、宛てもない中で、英人は、もう疲労困憊していた。
 そして、もう地獄の時間が終わる時も近付いていた。
 神社の境内の怪しい儀式の跡の傍、英人は携帯電話をちらと見てしまった後、柱に腰を掛けていた。
 圏外、午後七時四十五分。
 普段なら、きっと温かい食事を取っているのだろう。

 しかし今英人は、どうすることもなく、ただここに座り込んでいるだけだ。
 より生き残りが少なくなるのを待っていたのもある。
 英人の武器はスティンガーとナイフ、スパナしかない。
 ……これで、残り八人を相手するなど、とても考えられない

 それならひたすら殺し合ってくれていた方がいい。

 スティンガーはとてもではないが銃撃戦に向いた武器ではない。
 百パーセント一撃で倒せるならいいが、スティンガーを撃って確実に相手に当てられる自信も腕も、英人には無い。
 反動は問題ないが、ミサイルの爆風も不安だ。
 ナイフ、スパナは、これらで、銃相手にどう戦えと言うのだろうか。
 スティンガーを外した場合、やむを得ず使うしかなくなるが、刺したり殴る前に撃たれて終わりだろう。
 戦力に不安があるし、どうにか他の生徒の死体から取り残された武器でも回収する必要があるのは明白だった。
 そうでもしなければ今のままの英人が生き残れる筈もない。


 とにもかくにも、何しろ――とにかく疲れた。
 これ以上、動きたくない。
 身体が鉛のように重い。
 身体中の感覚が休息を訴えているようだ。
 そもそも動かそうとしても全く動かない。
 ――機械でも疲れるものなんだな。
 英人は、自然にそう思っていた。

 森屋英太の言葉は、嘘でない。
 きっとその通りだ。
 自分には情というものがまるで無い。
 二階堂永遠に感じた恐怖は、自分の左腕を持っている事実以上にきっと自分と同じタイプの人間を見つけてしまったからだ

 自分と向き合ってしまったことこそコンプレックスになっているのだ。
 そして、由佳もフラウも失った今も、悲しみの感情すら沸いてこない。
 泣き声の一つも上げられない。
 涙すら流せない。
 機械だからだ。
 出てくるのは血とゲロだけだ。


 ――きっと、今のこの胸の痛みも偽物だ。
 咄嗟に押さえた右手に伝わる滲み出る血のぐっしょりとした感触も。
 そして、床に傾く脳の血流の乱れも。
 迫り来る死の鼓動も。



「あった……!」
 貝町ト子(女子五番)はつい数秒前にショットガンで撃ち倒した玉堤英人のデイパックから赤い液体の入った注射器を見つけた。
 これこそ、自分が追い求めているものだった。
 恐らく太田太郎丸忠信の荷物から支給品として英人に渡されていたのだ。
 頭のもやもやが膨大なうねりを伴って、ト子の神経を圧迫している。
 麻薬の禁断症状が完全に表に現れて、ト子の思考回路を完全に凍結させている。
 ト子は、もう限界を迎えていた。

 レミントンM870を放り出して、ト子は注射器を掴むと赤い液体を左手の動脈に一気に流し込んだ。
 そしてしばらくして、ようやく頭の中の熱が収まってきた。
 一息ついて、ト子は、英人の死体に目を向けた。
「これで一安心だが、若狭からの放送が無いのか」
 それは、まだ島にト子以外の生きている生徒が居るということである。
 午後六時の放送の時点で、まだ忠信も吉良邑子も生きていた。
「まだ生きているかも知れない……」
 ここまで装備をかき集めれば十分対抗は出来るかも知れない。
 それでも相手だってここまで生きてこられた分、ト子と条件が全く同じかも知れない。
 忠信の恐ろしさも、邑子の恐ろしさもト子は十分理解していた。
 もしも、忠信か邑子がが倉沢ほのかのようなマシンガンを使っていたら、そもそも勝負にならない。
 だが戦い方を工夫すればどうにかなるのではないのだろうか。
 これはスポーツではない。
 ゲームでもあるかも知れないが、しかし参加者同士のやり取りにルールなど無いのだ。
 そう、あらゆる手を使って自分は麻倉美意子も、和音さんも、サーシャも、暮員未幸も、今目の前に居る玉堤英人も葬ってきたのだ。
 いくら相手が忠信だろうと邑子だろうとほのかだろうと攻める術は残されている。


「とにかく動くしかないな。早く、こんな馬鹿げたクソゲームを終わらせないと」
「そうだ、だから君が死ねばいい」

 冷たい死の言葉。
 その直後には、ト子は既に地面に崩れ落ちていた。
 いや、“ト子だったもの”――だろうか。
 FIM-92スティンガーに撃ち出されたミサイルの直撃による爆風はト子の上半身を粉々に砕いたのだ。
 残った下半身ももはや黒こげになって黒煙を吹き出させ、まるきり調理に失敗した燻製肉のようになっていた。
 生きていられたら下手な戦闘用レプリカントより強固だと褒め称えられてもいい。


 玉堤英人は、俯せになりながら、しかし、しっかりとその手にスティンガーを握っていた。
 出血で朦朧としかけている中でも、距離としては十分命中させられるだけ近かった。
 だが、その爆風は英人の身体も吹き飛ばしていた。
 至近距離から高熱を帯びた風を受けた英人もまた、顔や、背筋や、更にその内の内臓を焼き尽くされていた。
 どう考えても、致命的な傷だった。


 熱どころか、寒さまで感じつつあった。
 震えが、全身を動かしていた。
 機械の身体が、死に瀕している。
 焼け焦げたト子や自分の身体の臭いももう届くことはない。
 動くはずのない腕を、背中に動かそうとしながら英人は思った。

 僕は、機械でありながら、人間としての感情に従ってしまった。
 それは、事故に遭って以来、初めてのことだったのかも知れない。
 ――由佳やフラウのことは自らも気付かない内に、きちんと悲しんでいたのだ。
 ――本当に悲しんでいなければ、少し前、疲労などと言って、放心している筈がなかった。
 現に、最低でもスティンガーの引き金を引くだけの力が残っていたのだ。
 本当の機械なら、さっさと神社から離れて、由佳のことも忘れて、最後の可能性だけを賭けて残りの相手を探しに行っているだろう。
 そうなっていたら、さっさとスクラップになっているか、ただの殺人マシーンになっている。


 そしてこれも、本当の機械なら有り得ない現象が起こっていた。
 少しずつ、英人から記憶が消えていっていた。
 脳細胞が徐々に死んでいっているのだ。
 もう、数秒後には英人も森屋英太達のように物言わぬ屍と化す。

 そんな中でも、英人は脳細胞の死体の山をかき分けて、必死に思い出そうとした。
 ただ、思い出したかったものは一つだけ。
 ようやくそこまで辿り着いた時には、もう、英人の伝達神経は完全に、途絶えていた。

 ――最後に、脳裏にはっきりと、虹色に浮かんだ。






 由佳……


【男子十九番:玉堤英人 死亡】
【女子五番:貝町ト子 死亡】
【残り0人/ゲーム終了・以上本部選手確認モニタより】



 黒い海に浮かぶ観光船の中。
 全体の電気が通っていて、夜の海とは対照的に船は鮮やかな光を放っていた。
 だが、中にはほとんど誰もおらず、船内の部屋の一室、灰色の猫族の少女が膝を畳んで座り込んでいる。
 何も纏っていない身体はただ時々思い出したかのように毛がふわりと浮かぶだけだった。
 そして、その少女の膝の上に、黒い猫族の少年もぬいぐるみのように座っていた。
 こちらも何も着ていない猫族の少年は、一切目を開けることも無く、ただ少女の胸元に抱かれて、子猫のように静かな寝息を立てている。
 少女は少年の母親であるかのように、ただやわらかな腕で抱きしめ、そのまま離そうともしない。

「テト」
 部屋に、長い銀髪の少女が入ってきた。
 その顔には生気が無く、濁ったような瞳がたださえざえと電光の光を跳ね返している。
 服も赤黒い何かですっかり汚れきっていた。
 テトと呼ばれた少女は、静かに顔を上げて、そして、無表情のままその銀髪の少女を見続けている。
「永遠よ。銀鏖院水晶の死体に乗り移って、ゲームを観戦した後に小型船に乗って帰ってきた」
 永遠は、続けて言った。
「ゲームは終わった。これから死体を回収しに行く」
「卜部ちゃんは?」
 ただ淡々と、事務的な会話が続けられた。
 本当に、非常にあっさりとしている。
 永遠はその性質上、それは至極、当然のことであったが、ただ、テトもまるきり永遠のような、感情がこもっていないような話し方だった。
「悠は、私達のように島に行って死んでしまった」
 ――悠の死も、テトが神社で何をしたかも、永遠は分かっていた。
 小型船を発見したきっかけも悠の死体を見つけたからだったし、途中で自分の身体――銀鏖院水晶の身体から突然血が失われていく感覚から考えて、テトが何かを行ったのだと考えるのが妥当だった。
 とにかく、全ては永遠の考え通りに動いていると言っても良かった。

 ――テトはそれを聞いて頷き、そして、嘲笑するように口の端を上げながら永遠を見据えた。
 その反応に、永遠は些か違和感を感じていた。
「……そう。二階堂さん、あなたも愚かだわ……人を信じるから痛い目に遭うの……」
「え……――!?」

 その時にようやく、永遠は気付いた。
 永遠の、銀鏖院水晶の肉体が――崩れていっていた。
 身体中から水分が抜け出し、結合を失った細胞がバラバラになり、そして床に溶けていく。
 ゼラチン質なピンクの塊の中に永遠は沈み込もうとしていた。
「……馬鹿、な!」
 それを見た永遠は顔に驚愕の表情を上げてはいなかったが、しかし、口調から狼狽していたのは明らかだった。
 もがくように上半身を動かして、テトの元へ、這いずるように身体を引き摺っていった。

「あな、たは! 力の、反動を……」


 それが言い終わることは無かった。
 二階堂永遠という存在はものの二十秒で完全に消失し、テトの目の前にはにはただのできそこないのゼリーみたいなものしか残っていなかった。

「あなたは、本気で本物の神の力を利用出来るつもりだったの?」
 ただ、テトはゼリーに向かって、そう放語した。
 神の力――は、永遠が予想したよりも遥に強く、そして、永遠が予想出来ない自体をも招いていた。

 部屋には、テトと、猫族の少年――ラトしか、居なかった。
 跡形も無く消え去った永遠などいざ知らず、テトはただ愛おしそうにラトを抱きしめ直し、その胸元でラトの鼓動をはっきりと感じている。
 その中から自然と、幸福がじわりと湧き出してきた。


 ラトさえ一度殺せれば、太田太郎丸忠信達に復讐出来れば、そして一度そのラトの身体を清める為の血が手に入れば永遠達は、もう用済みだった。
 テト自身、初めから永遠や悠を利用していたに過ぎなかった。
 確かにこれはテトだけでは実行出来なかっただろう。
 永遠達の協力があったからこそ、全ての条件を満たすことが出来たのだ。

 ――その後は、神の力で、永遠達を始末するだけだった。

「私はラトが居るから耐えられる……」
 最後に永遠が言おうとした、力の反動。
 永遠の予想通り、テトはあまりにも大きすぎる神の力に制限を受けていた。
 だが今は本来テトが受けるべき代償は全てラトの身体が全て受け止めている。
 神の力を扱いきれないテトとは違い、完成された神の器――ラトは、その肉体自体にももはや常人とは異なる力が宿っていた。
 ラトの身体が有れば、島中の死体から血を抜き出すことも、二階堂永遠の肉体を溶かすことも訳が無かったのだ。

 そして、この島で流されていた血で清められたラトの身体は生きている。
 肉体はまだ以前との寸分の狂い無く、生体活動を続けている……
 自分の望む姿のまま、自分が望む、自分がなすがままのラトが。

 テトはもう一度、ラトに口付けた。
 それから、横になって、目を閉じたまま――この先も、目覚めることはないであろうラトを見つめながら、テト自身も瞳を閉じた。

 暗い。
 そう、自分は暗い闇の底に一人ぼっちだった。
 明るい太陽――ラトが来てくれるまでは。
 その太陽の熱を今、全身で受け止めている。
 だから、本当はもう暗くなどない筈だ。
 この先も、近くで太陽が照らし続けられる限り。
 そして二人を邪魔する咎人も、全て聖なる太陽の炎が焼き尽くすだろう。


「ああ、ラト……これからは、ずっと一緒。私達は、ずっと……」



【女子二十二番:二階堂永遠 死亡】


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狂乱祭 神崎健二 死亡
思い通りにいかないのが世の中だなんて割り切りたくないから サーシャ 死亡
思い通りにいかないのが世の中だなんて割り切りたくないから 和音さん 死亡
思い通りにいかないのが世の中だなんて割り切りたくないから 暮員未幸 死亡
永遠に、美しく 日向有人 死亡
DOUBT 白崎篠一郎 死亡
DOUBT 長谷川沙羅 死亡
楠森昭哉は苦悩する/内木聡右は疑心する/そしてケトルは盲進する 楠森昭哉 死亡
楠森昭哉は苦悩する/内木聡右は疑心する/そしてケトルは盲進する ケトル 死亡
楠森昭哉は苦悩する/内木聡右は疑心する/そしてケトルは盲進する 内木聡右 死亡
永遠に、美しく 鬼崎喜佳 死亡
永遠に、美しく 卜部悠 死亡
胡蝶の夢 苗村都月 死亡
永遠に、美しく 太田太郎丸忠信 死亡
Panic Theater 朱広竜 死亡
水晶の間欠泉 吉良邑子 死亡
狂乱祭 倉沢ほのか 死亡
スカーフェイスと摩利支天 玉堤英人 死亡
狂乱祭 貝町ト子 死亡
永遠に、美しく 二階堂永遠 死亡
永遠に、美しく テト 生還

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最終更新:2009年09月15日 09:26