2011-11-09 青壮年講座


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 今になって 親のありがたさ 怨みの転換

楽しむことは悪いことではない しかし喜びとなるかどうか

ご恩に築けるか ご都合主義のご恩でなく 親鸞 念仏の教えに出会う 会い方 9歳から29歳の歩み 行の道 尽くせなかったのではなく 行はたいてい先の話 今の問題ではなく 教行信証 行の巻 らくほうもんるい じゅようにしてたもち難し  夢のようでなく 真でなく 寿よう よう→もろいというサクン 呼吸の間にこれライショウ パチンコ 確変 今気付かなければ仏様でもどうしようもない 先の話でなく 今良かったねといえる世界 行の中に今の救いが見いだせなかった  ただ念仏して 政党は 当時 行 念仏は何もできない者の教え 片隅に置かれた者の教え 昔 能登の布教使 じじばば 威圧的に 偉そうに 死んじゃった布教使 カラスの鳴き声 カーカー 雀 チュンチュン ウサギの鳴き声 知らない 間髪おかず ウサギの鳴き声も知らぬ愚か者 念仏 何もできない者の道 そういうように受け止められてきた 念仏も行の一つ 

法然 念仏の受け止めを替えた 念仏 南無阿弥陀仏 インドの言葉 なかの先生 字を見てもダメだ 音写 眺めてもはっきりしたものはみつからない 言葉になった仏様 言葉を通さなきゃ分からないが 

結婚する時には言われたかも 愛してます 二人から どういう思いをもって言うのか 愛してるという言葉の背景 願いの背景 拝啓を訪ねることが弔問 よき人のおおせをかぶりて ただ念仏 法然の言葉 どういただいたか 親鸞 けんにんかのとの歴 ぞうぎようをすてて本願に帰す ナンマンダブツになった願い 浄土真宗 宗旨の名前になっているすが 宗旨として残したいのではない 歩み 生きていかれた 清浄 浄土 清らかであればあるほど バケツ 墨を落とすと墨が分かる 濁りを気づかせてくれる 偽 にせもの 本物だと握っておった 気づいたら固執しなくていい 偽なるものにしがみつさく ある人 70半ば 50年ぶりクラス会 頭のいいも悪いも 器量もいいも悪いも時効だ 時効になるものを握っていないか 学校 本物になろう 本物になろう ならない 偽物の自覚 錯覚 完全によくはならない 自分の都合 損得でしか見ていけない自分 鏡 何をを握りしめているのか 

どっかで幸せ? 思い通りにならないから 思い通りになることが幸せだと決めつけている 浄土を拠り所にする 自分が清らかになるのではない 浄土に触れる

歎異抄8章 教区定例 ひぎょうひぜん 非行 非善 7章 神からの解放 今年もあっというま 喜ばしい証拠 生きてた 正月 初詣にいく 6〜7割 ほとんど神社 お寺でない 都合 願いを満たしてくれる神社 お寺にはあまり来ない 受験 太宰府天満宮 菅原道真 人気スポット 道真が偉大だから祀ったのではない こうぶくじの奏上 法然親鸞 流罪 後鳥羽上皇 念仏弾圧したいわけではなかった? すずむしまつむし あんらくぼう じゅうれんぼうの所へ 帰って来なかった 怒り しんしゅうを立失 神名を軽んずる失 真宗門と 神を軽んずるのではなく 神は元々敬うもの 今は科学の時代 当時は分からないこと 畏敬 恐れ 敬う だんだん神を利用するように 

道真 九州に左遷 戻りたかった 亡くなった 京都で雷 病気 災害 天の神が怒っている 歌 書 いつのまにか学問の神様 敬ってるだけでなく 肖りたい 敬いから利用する 定員が増えるわけでない 落ちる 合格した者 効き目 落ちた人にとっては鬼神 人間の買ってな思い 利用することによって神の姿を失ってしまった てんじんちぎがひれふしたのではない 神を利用しなくなった 本来の神になった 神からの解放

非行非善 自分 念仏 いいことが怒ると期待 弱さ 切羽詰まると いいこと 思いがち 何もないときはいいが お金がかかってる時には 自分の根性 27日 飛行機 キャビンアテンダント 富士山が美しく見えます 左側の人しか見えない 同じお金払ってるのに損だね 余計なこと言うなよ 老病死 健康な時には 葬式出ても響かない 病気になって身近な問題になる 念仏 我が行いがいい 私の思い はからいでない 分別心からの解放 ひとえに他力にして〜 本願に触れる どこまでも我が思い 確かめられていく 一念多念 一遍 争う 言い合うこと自体が間違っている 一回がいいか多念がいいか 我が思いの主張 善根を頼む ピンピンコロリ ころっといかない 体を弱らせた方がいい 責任感のある人 無責任な人を嫌う 我が心を頼む 我が力をはげむ 業績 自分の支え 善根 自分を誇っていく いつまでも大事にできるか 無常 いつかは弱っていく 許せない なんでこんな身になっていくのか? 愚痴 御遠忌はイス なんで? 今の時代だから仕方ない 50年前は汽車 歩いて京都駅から 座ってお参り 今はイス 身命をかえりみずして〜 往生極楽の道を問いきかん 今は足の痛い人が増えた 昔は痛くなる前に死んだ 痛くなるまで生きた 広尾の住職 痛い思いをして 自分の親もこんな思いをして生きたんだな ご苦労を偲んでいけたら 子ども二人とも大学3年 お金かかる 自分の時には 親が惚け 兄貴が仕送り ありがたいとはまだ言えない 痛い 愚痴で終わってもいいが 自力というは わが 力を頼む 身の事実 いつか崩れ去っていく 我が思いからの解放 こただ念仏 法然 親鸞は ぞうぎょうを捨てて本願に帰す いつも問い返される道 浄土真宗を歩んでくださった親鸞