vol.10 桐生眞輔 浮光 5 > 14-5 > 28

Vol.10 5/14-5/28 桐生眞輔


「カメラ製作技術の産業化の結果は、写真術がそもそもの始まりから受け継いできた約束、つまりあらゆる 経験を映像に翻訳する事 によって民主化するという約束の実現にほかならなかったのである。」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 『写真論』 昌文社 1979 から

この「経験を映像に翻訳する事」というプロセスに変化が
生じる事で、情報の共有とはちがった「経験の共有」について焦点を当てることができるか。

写真 →  翻訳(展示、構成)によって映像(写真イメージ)を経験に変えることについての考察を形にしたもの。

また文身表現における行為性の今までの自己の表現とは異なる一面を切り取って、
「そこに在った経験」である「痛覚」や「施術するという行為」に焦点を
当て展示を試みたものである。浮光とは「水面に浮かびあがる光」のこと
であるが、ビデオで用いた施術中の彼女の瞳に浮かんだ光を見て、
作品タイトルとして用いた。

「写真によって現実を確認し、経験を強めてもらう必要があるということは、いまや誰もがその中毒にかかっている美的消費者中心主義である。産業社会は市民を映像麻薬常用者に変えている。それはもっとも抵抗しがたい形の精神公害である。」(上記同書から)

写真とは、そこにあった「経験」を記録することであるが、同時にそこに含まれる「攻撃性」と「危険性」を併せ持つ場合がある。記録におけるそのようなことについての考察を背景に持ちながら、文身表現におけるプロジェクトの部分について触れ、自己でどのように消化できるかを考えていた中で試みて生じた展示である。



壁に配置された穴から左側は施術中の映像、右側は施術中の写真を見ることが出来る。


















最終更新:2009年06月21日 18:19
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