「そなたに贈るものがある」
唐突に告げられて、エレノールは喜ぶというよりも不思議そうに大きな漆黒の瞳でアランを見返した。
長椅子にふたり寄り添いながら歓談を交わしているうちに夜はだいぶ更けていたが、
夫婦の寝室には大きな燭台がいくつも据えられているので
互いの姿や表情をたしかめるのに不自由はない。
すぐそこにある夫の端然とした面持ちはとくに冗談を言っているわけではなさそうだった。

「まあ、なんでしょう。
 何かのお祝いの日でもありませんのに」
彼らは婚礼からようやく半年を数えたばかりで、初めての記念日を迎えるにはまだ間があり、
まして今日はエレノール自身の誕生日でも彼女の洗礼名の由来である聖女の日でもない。
だがいぶかしげな妻の表情を尻目に、アランは寝台のそばの戸棚から正方形の箱を取り出してきた。
それはちょうど膝に乗るぐらいの大きさで、絹布張りの表面には色鮮やかな芥子の花の刺繍が施されており、
見るからに上等で舶来品らしい仕立てだった。
器でさえこうなのだから、中身はどれほどのものかとエレノールもつい気を引かれずにはいられなかった。

「先日、東方貿易の相手国のひとつから交易品目の拡大を打診する文書が
 あまたの珍貴な産品とともに宮中に送られてきた。
 今年中には正式に使節を迎えて交渉を始めることになると思うが、
 それはそなたにも話したな」
「ええ、陛下からご下賜いただいた品々のすばらしかったこと。
 織物も陶磁器も紙細工も、あれほど繊細で丈夫なものはこちらではなかなか入手できませんものね。
 でもそれでしたら、あなたはすでにわたくしにお贈りくださったではありませんか。
 蔓文様が施された羊毛織りの絨毯も、稀に見るほど大粒の真珠を連ねた首飾りも、
 侍女たちの間で評判になっておりますわ」
「まだ見せていないものがあったのだ。仕立て上がってからそなたに贈ろうと思っていた」
「まあ」

思わず声が高くなりかけ、エレノールは慌てて口元を押さえた。
それでも頬がほんのりと染まるのは隠しようがない。
(もう十八で人妻だというのに、童女のようにはしゃいだりしては見苦しいわ)
そうは思いつつも、
このいつも無関心そうな顔をしている夫が自分のために密かに装束を仕立ててくれたという事実がやはりうれしい。
それも世に名高い東方産の織物なのだ。
柔らかい光沢を放つ絹織物で、人間業とは思えぬようなこまやかな刺繍が施されているのだろう。
虚栄心の虜になってはいけない、罪深いことだわ、と自分を諌めつつも、
年若い王太子妃の心はすでに、それを纏って宮中に出でたときに捧げられる賞賛の辞を思い描こうとしていた。

「これだ」
淡々とした声で突然現物を提示されて、エレノールはアランの手元を見やった。
そしてそのまま視線を固まらせる。
「―――これ、でございますか」
「そうだ。美しいだろう」
「ええ、美しいことは美しいですけれど、でもあの、これは……
 こ、これでは、人前に出られませんわ」
「むろんだ。寝室で着るためのものなのだからな」
「し、寝室といっても、あなたや侍女たちの前でさえ着られのうございます」
「俺に遠慮することはない。今からでも着替えてくれ」
「できません!」

真っ赤になって拒絶すると、エレノールは顔を伏せたまま脇を向いた。
アランが箱から取り出した織物はたしかに、少し見て手触りをたしかめただけで、
卓絶した職工が最高級の素材を用いて完成させたものであろうと察せられたが、
しかし仮にも王女である自分がこんなものを身につけられるはずがない。
それは紗織りの軽やかなローブで、工芸品にも喩えうるほどの薄さはまさに透けるようだった。
いや実際、肌まで透けて見えるのに間違いなかった。
なにしろアランが彼女に向かってそれを掲げてみせたとき、彼の輪郭さえ布越しに見ることができたのだ。
こんな代物をいったい何のためにまとわなければならないのか。

「なぜそう拒むのだ。そなたのために寸法をはかって仕立てさせたというのに」
「恩着せがましくおっしゃらないでください。
 あなたこそなぜこんなものをわたくしに着せたがるのです。
 こ、これではまるで、いかがわしい生業の婦人のようではありませんか」
「いや、あちらでは後宮の貴婦人たちもまとっているというぞ」
「嘘ばかり。一体何のためにです。
 こんなに薄くては肌着の役目さえ果たしませんわ」
「いや大丈夫だ。役に立つ」
「どのようにです」

「つまりだな、聞くところでは、この薄さと触感が血行を促進して婦人の身体によい影響を及ぼし、
 細かい医学的理論は省略するが、めぐりめぐって身ごもりやすい体質になるというのだ。
 あちらの使者から直接奏上されたのだから間違いない。
 国際的な善意を無にする気か」
「そんな、そんなことをおっしゃったって」

エレノールは少しとまどった。
善意うんぬんはともかく、身ごもりやすくなるといわれるとやはり無下に拒みきるのは気が引けた。
彼女とアランが結婚した最大の目的は、言うまでもなくこの国の未来を担う世継ぎをもうけることなのだ。
実際のところ、彼女の心身は妊娠の確実性を抜きにしても夫との同衾に歓びをおぼえるようになっていたが、
それをみとめれば姦淫を愉しんでいることになってしまい、
やはり努めて嗣子の問題を心にかけないわけにはいかなかった。
生来の信心深く貞潔な性格がまたそれに拍車をかける。

「それは、もちろん、世継ぎを授かるためにはあらゆる手を尽くさなくてはならないとは思いますけれど」
「そうだろうとも」
「で、でも、わたくし、侍医たちの協力も得て日ごろからそのための食事を心がけておりますし、
 体調管理には気を遣っておりますし」
「それらも大切なことだが、万全を期すためには外部から条件を整えるのも必要だと思わんか」
「それは、そう、かもしれませんが……」

妃の態度が軟化してきたことを察し、これならいつものように押し切れるだろうとアランはひとり見当をつける。
婚礼後半年にわたる断絶を経てようやく和解し、事実上の妻にしたばかりのこの娘は、
婚前に肌を許した恋人がいるとはいうもののまぎれもない処女で、
男女の具体的な営みに関してはほぼ全く無垢で無知な花嫁だった。
これが他の女なら、寝台の上でさえ貞淑を持そうとするその受動的な態度にアランは煩わしさをおぼえたかもしれないが、
この信心深く恥じらい深い王女に関しては、触れれば触れるほどに、
固い蕾をつけたばかりの薔薇をほころばせあでやかに花開かせていく喜びを深めていくばかりだった。

つまるところ、どれほどはしたない姿態を強いようと、
「子を授かりやすくするためだ」と耳元でささやけばこの生真面目な新妻は拒めないのだ。
義務感のために羞恥心をこらえると同時に快楽に溺れまいと悶える初々しい肉体を夜ごと責め抜くのは、
女遊びに慣れた王太子にとっても実にたまらないものがあった。

「そういうわけだ。とにかく着てみるといい。
 肌にじかに着けなければ効果はないということだ」
いまだ困惑しているような納得できないような顔をしている妻の手の中に強引にローブを押し付けると、
アランはさっさと後ろをむいてしまった。
(このかたはもう、本当に)
エレノールは本気で憤慨したが、懐妊という大義をかざされた上でここまで押し切られたらもう拒みきることはできなかった。
衣擦れの音を立てるのさえ恥ずかしい思いで立ち上がると自分の腰帯をそっとほどき、
寝衣と肌着を足元に脱ぎ捨て、贈られた薄布を手早く羽織る。

だが手早く作業する必要などなかったのだ、と彼女はすぐに気がついた。
ローブは想像以上に薄い代物で、着けても着けなくても同じというか、
微妙な陰影でぼんやりと透けている分、全裸よりもむしろ卑猥さが増していた。
そしてその感想はアランにおいても同じようだった。
妻のほうを振り返った彼は、笑みこそ見せなかったものの一瞬感嘆にも似た表情を浮かべ、
それこそ視姦というべき執拗さで恥らう妻の姿を頭から爪先までじっくりと眺めた。

「胸や脚の付け根を隠さずともいいだろう。手をはずしてくれ」
「いやです」
「頼むから」
「いやです」
「なら仕方ない」
アランは立ち上がると、呆然としているエレノールを抱き上げて寝台まで運びさっさと押し倒した。
そして彼女が抵抗するのを押さえつつ自分も手早く寝衣を脱ぎ捨てる。

「ひどいわ、お放しください!」
「そなたが強情だからだ」
口調こそはなんとか落ち着きを保っているが、荒い息も隆起した下腹部も、
彼の忍耐が早くも限界に近いということを歴然と示していた。
妻と同じ弱冠十八歳の身の上であれば、ある意味避けがたい反応だともいえる。

「しかし卑猥だな」
薄布の下に小ぶりな丘陵と桃色の乳首をうっすらと浮かび上がらせる妻の華奢な肢体を眺めながら、
アランはつくづく感心したように言った。
さらに少し目線を下げれば、可愛らしい臍のくぼみや黒々とした茂みの位置まで分かる。
「あなたのまなざしが卑猥なのです」
真っ赤な顔で言いながら、エレノールはなんとか胸だけでも覆い隠そうと腕をじたばたさせたが、
枕元に押さえつけた手首をアランが放してくれる見込みはなさそうだった。

「いい子でいるんだ。じっくり鑑賞させてくれ」
「いやったらいや!」
「そんなに身をよじって胸を揺すったら誘っているようにしか見えぬぞ、ほら」
そういうとアランは妻の乳房に顔を近づけ、その桃色の頂を布越しに優しく吸い上げた。
途端に抵抗する細腕の力が弱くなり、その敏感さに彼は思わず微笑を漏らす。
唇で挟んでやる前から乳首はすでにある程度こわばっていたが、
舌で円を描くように嬲っているうちに木の実のように硬くなり、
頭上からは妻の甘い吐息が漏れ聞こえてきた。

そして左右の乳房に同じ愛撫を施してから顔を上げると、濡れた布越しに屹立しながら透ける乳首は何にも増して卑猥に見え、
恥ずかしそうに顔を背ける妻の清楚な面立ちと見比べるとそれはいっそう強調された。
(恥毛もしっかり浮かび上がらせてやろう)
そう思いながら彼女のなだらかな下腹部に顔を近づけかけたが、ふと思いなおして止まった。
(ちょうどいい)
考えてみれば、これは実にいい機会だった。

「そんなに胸を見られるのがいやか」
「むろんです。わたくしを何だとお思いですの」
「俺の妻だ。だからそなたとの間に早く子をなしたい。
 そこでだ」
彼がつと顔を近づけてきたのでエレノールはどきりとした。
夫の美貌自体にはすでに慣れてしまっていたが、
こんな風に思いがけなく接近されると胸が高鳴るという事実に、
このかたを本当に好きになってしまったのだ、と思う。

「後ろから、試してみないか。
 そなたにしてみれば胸も隠せるし、悪くないだろう。俺としては惜しいが」
甘やかな感情を途端に雲散霧消させられて、彼女はさらに愕然とする。
「う、後ろとはつまり、あなたの前で、両肘と両膝を寝台の上につけて、ということですか」
「そうだ。いわゆる四つ這いだ」
「いやです!そんな獣のようなことはできません」
「獣とはいうが、この体位は侍医たちも絶賛奨励している。
 種子が子宮に流れ込みやすいのだそうだ。なんとなく分かるだろう」

「で、でも、わたくしが婚礼前に習った話では、子をもうけるのに肝要なのは営み方ではなく時期なのだと」
「こんなことをあえて言いたくはないが、
 そなたの生国は医学の水準においてわが国にやや遅れをとっているのではないか。
 五年前に編纂されたガルィアの医学叢書を翻訳する事業がつい先年始められたばかりだと聞いたが」
「それは本当のことですけれど、でも、臨床に関しては彼我にそれほど差はないと存じますし、
 それに、その、……そんな格好をしたなんてもし誰かに知られたら!」
「嫁に行けないか?もう俺の妻ではないか」
「ふ、父母に顔向けできません」
「そなたの父上母上は魔術師か?かの国の宮廷から透視でもできるというのか。
 ここには俺しかいない。安心して恥ずかしい姿勢をとるんだ」
「で、でも、わたくし、そんな」
「分かるだろう、子を授かるためだ」

夫の顔と声がいつのまにか厳粛になってきたので、エレノールもつい抗弁をやめた。
「俺とて妻に恥ずかしい営みを強いるのは心苦しいんだ。
 できれば常に正常な作法でそなたを正妃らしく遇したいと思っている。
 何より、そなたを抱くときはちゃんと顔を合わせて恥じらう様子を確かめ―――というか、
 見つめあって気持ちを通じさせたい。
 それができないのは残念だが、しかし身ごもる可能性を高めるためなら何でも試すべきではないか。
 それは王族たるわれわれの務めでもあるのだから」
「そう……かもしれませんわね……で、でも、あの……」
「決まりだな」

そう言うとアランは押さえつけていたエレノールの両手首を離し、
代わりに彼女の身体をうつぶせにさせてから自分は膝立ちになり、しなやかな腰の両脇をつかんだ。
「きゃっ」
思いがけないほど腰を高く引き上げられて、エレノールは思わず驚きの声を上げた。
そして瞬時に羞恥心と紅潮が全身をかけめぐる。
「お、お放しください」
「後ろからするのに同意しただろう」
「ですけれど、このような姿勢とはうかがっておりません。
 こ、これではまるで」
「欲しがっている牝犬のよう、か?」
そんな問いに答えることさえ恥ずかしく、エレノールは首だけでうなずいた。
顔こそ見えないが、その真っ赤になった耳たぶだけでアランの欲情をかきたてるには十分だった。

「腰を高く持ち上げたほうが種子が奥まで流れ込みやすいんだ。
 位置的に理にかなっているだろう」
言いながら、彼は両手で薄布越しに形の良い臀部をまさぐりはじめる。
柔らかい尻肉の感触を楽しみながら、
すらりと伸びた太腿の付け根をそれとなく指で探ろうとすると慌てて両脚が閉じられそうになった。
仕方がないので悪いとは思いつつも無理やり開かせ、薄紅色の溝を眼前にたしかめることに成功する。
ヴェールをかけられたようなぼんやりとした色合いと形状は、
その曖昧さゆえにいっそう淫靡さを際立たせられているかのようであった。

「なんだ、もうずいぶん濡れているな」
最初のひと触れで湿り気を感じとると、アランは可笑しそうに妻に声をかけた。
むろん彼女は顔をシーツに押し付けんばかりに恥じ入っており、答えが返ってくるはずもない。
「ああ、もうこんなにはっきりと浮かび上がってきた。濡れ方が激しいからだな」
布越しにくちゅくちゅと音をたてながら、指を花びらの間に、そして花芯のなかへと行きつ戻りつさせ、
詰るような面白がるような声でアランはつぶやいた。

「い、や……あっ……」
「それにしても卑猥な眺めだ。布越しだというのに、花びらのかたちが隅々まではっきり分かるぞ。
 つぼみに至ってはもう剥かれているかのようだ。指で探られるだけでこんなに大きくなったのか。
 それともこれからされることを想像して欲情しているのか?
 このあいだ処女を失くしたばかりだというのに、本当に感じやすい身体だな」
「いや、いやっ」
「そうだな、指だけでは満足できまい。
 欲しがっているものをくれてやる。
 こんな、牝犬同然に腰を高く突き出して待ち受けているのだからな」
「だ、だってそれは、あなたが無理やり……あっ、あぁっ!!」

下半身を覆うローブがたくし上げられたかと思うと、猶予なく熱い先端が花園の入り口に押し付けられるのを感じ、
エレノールはもはや声を噛み殺してはいられなくなった。
「いや……あぁっ……だ、だめ……っ」
「だめなはずがあるか、こんなにすんなりと咥えこんでいるくせに」
「う、嘘……すんなり、なんて……」
「これだけ濡れていれば無理もない。俺が進むたびに音が立っているのが聞こえるだろう。
 ほら、奥まで届いているのが分かるか」
「そ、そんなの、分から……あぁっあっ」

小刻みに突き上げられ始めると、エレノールはまたも大きく背を反り返らせ、
無力で切なげな甘い声を上げるようになった。
そしてやがて両腕の力さえ抜けきったかのように上半身をシーツの上にぺたりと着け、
アランの力だけで下半身を高く支えられている格好に陥ってしまう。
本人に自覚はないのだろうが、これこそまさに彼女がどうしても拒もうとした「欲しがる牝犬」の姿だった。
「エレノール、なんと浅ましい姿だ」
「ゆ、許して……だって、あなたが……あぁっ!そこは、だめっ……」
「ここがいいんだな?
 奥まで突かれるとそんなに感じるのか。
 いやというまで責めてやろう」

ことばどおりに執拗な嬲りをつづけつつも、アラン自身かつてない興奮に高まっていく自分を抑えるすべはなかった。
きつく締まった肉襞を奥の奥までかきわけてゆく歓び、
濡れそぼった可憐な花びらのなかを自らの雄が出入りするさまを見下ろす快感、
そして日ごろ気品と淑美とを空気のように自然にまとっている新妻を今だけは牝犬同然に押さえつけ、
荒々しい暴漢のように後ろから「犯し」ぬいているという実感が彼の理性を剥ぎ取り、
自制心を徐々に崩壊させ、ついには極力射精を遅らせようとしていた楔を抜き取った。
出すぞ、と荒い息とともに彼が低くつぶやいたのは、達したのとほぼ同時だったかもしれない。
エレノールはむろん返事もなく、
ただただすすり泣くような喘ぎで夫の宣告と熱い白濁液とを従順に
―――それこそ姿態そのままの従順さで受け止めるばかりだった。

ようやく振動が収まると、アランは自らのものを温かい花芯から抜き出そうとゆっくり動き始めた。
それがいまだ力を保っていることは見ないでも分かっていたが、
少し引き出すたびに充血した花弁が物欲しそうにくちゅりと音を立てるのを聞くと、
彼の意思とは関係なくそれはますます硬直せざるを得ず、
まして花弁と抜き出した亀頭との間に蜜と白濁液の混ざり合ったか細い糸が引かれているのを目にすると、
一晩中でもこの清楚な妻を犯しぬきたいという獣的な情欲に駆り立てられるのだった。
さらに彼の視線は少しだけ上のほうへさまよった。
そこには愛らしい皺の寄った菊門があり、さらなる快楽を予感してひくついているようにさえ見えた。

(―――ああ)
たまらない思いをなんとか抑えながら、アランはエレノールがうつ伏せになっている隣に横たわった。
一見ひどく力ないようすで、ひょっとしてそこまで疲労させてしまったのかと彼は心配になったが、
よく見ると妻はまだ歓喜の余韻から覚めずにいるのだった。
そっと頬に触れてみるとびくりと身体を震わせたが、じきに意識らしい意識を取り戻したようだった。
アランが肩を抱くと、ごく自然に甘えるように身を寄せてくる。
豊かな黒髪がすぐ鼻先で揺れ、かぐわしい香りを放つ。

「よかったか」
「………」
「よかったのだろう」
「……はい……」
この娘は先ほどまで娼婦もかくやと思われるほどの浅ましい姿態を見せつけていたというのに、
今はこうしてうつむきながら消え入るような声で答えている。
その生まれたての仔兎のような恥じらいが、彼には耐え難いほどいとおしかった。
さらなる愛し方責め方を試してみたいという気持ちが下腹部の隆起と同様ますます高まってゆく。

「もっとよくしてやろう」
「そんな、もっと、だなんて……」
「恥ずかしがることはない。
 どこの夫婦もみんなしていることだ。いやみんなというか、多くというか、まあ少なくとも一部はだ。
 それぐらい普遍性のある営みなんだ」
「どのように、営むのですか……?」

妻は依然恥じらいながらも少しだけ興味を持ってきたようだと察し、アランは秘蔵の甘い微笑と囁きを向けた。
ふだん笑顔を見せない彼だけに、独身時代、大抵の貴婦人や令嬢はこれで落ちたものである。
「後ろの門だ」
「後ろ……?先ほど、なされたばかりでは……」
「いや、つながりかたではなく、つながる部位のことだ」
「え……?」
「まあ、意外かもしれんが、そういう方法もあるのだ」
「……後ろの門とは、つまり……」
「最初は怖いかもしれんが、じきによくなる。慣れれば女のほうが快感が激しいというぞ。
 大丈夫だ、時間をかけて優しくするから」
「……あの、それは子作りと何の関係が……」
「あ?ああ、つまりだな、ええとまあ、そちらのほうが開拓されると産道がほどよく圧迫されて子宮にもよい影響が」

ばふっという音とともに会話は中断された。
妻の渾身の力で振り下ろされた枕は枕といえどあまりに重く、
アランは顔の痺れから回復し唇を動かすのにしばらく間をおかなければならなかった。
「―――何をするんだ」
「この変態!虚言者!!」
「いや、聞いてくれ」
「聞く耳などありません!」
「なあ、エレ」
言いかけたとたん再び枕が振り下ろされ、彼は自分に発言権がないことを知った。
「信じ込んでいたわたくしが馬鹿でしたわ。
 『子を授かりやすくするため』だとあなたがおっしゃるから
 言われるままにあんな恥ずかしいことやこんな恥ずかしいことを受け入れてきたのに。
 後ろの門だなんて、そんな道に外れた営みが神に祝福されるべき受胎と関係あるはずはありません!
 仮にそれが夫婦愛の常道のひとつだというならこの国は天意によって即刻滅びます。ええまちがいなく滅びます。
 あなたは大概ろくでもない放蕩を重ねてきたかただとは思っていたけれどそこまで堕落しているとは思いもよりませんでしたわまったく
 男色者も同然ではありませんか一体何人の婦人とその罪を重ねたのですこの変質者大体よくも嘘つきのくせにひとの国の医療水準を馬鹿
 にしてくれたわねああもうお父様はどうしてこんな傲慢な罪人のもとにわたくしを嫁がせたのですかお母様レオノールはもう帰りとう
 ございます出戻りになってもお怒りにならないでくださいませわたくしその後はこのかたを呪いつつ修道院で清らかな半生を送りますから
 ああもうアラン本当にあなたなんて死後は地獄に落ちたきり業火に苛まれつづければいいのです罪相応に苦しみぬきなさい絶対に神様に
 嘆願なんかしてあげません!!」

最後のほうは彼女の母国語に切り替わっていたのでアランは必ずしもその意をすべて汲み取れたわけではなかったが、
とにかく破竹の勢いで罵倒されていることだけは分かった。
だが彼がぎょっとしたのはその呪詛の激しさに対してではなかった。
エレノールは途中からぽろぽろと泣き出していたのだ。
ふだんは滅多に自分から非をみとめない彼も、
この気位の高い妻が人前で涙を見せたという事実に胸を突かれないわけにはいかなかった。
枕殴打の最大半径に留意しつつ、彼女に近づいて静かに語りかけようと試みる。

「エレノール、俺が悪かった。もうあんなことは言い出さない。
 懐妊と結びつけて何かと丸め込んだりもしない。
 だからどうか泣かないでくれ。
 そなたがそんな顔をしていると、俺は」
「―――もう遅うございますわ」
涙声で短くそう言うと、エレノールは元から着ていた寝衣を手早く羽織って寝室を出て行ってしまった。
止めようと思えば止めることもできたが、彼女はひとりになりたいにちがいないと察し、
アランはそのまま華奢な背中を見送ることしかできなかった。

 

それぞれの夜が明けた。
その日エレノールは朝食の席に現れず、それはまあ仕方があるまいとアランは思ったが、
あろうことか昼餐にも晩餐にも欠席した。
政務の合間に侍従から聞いた話では、午後に予定されていた友人である貴婦人達との遠乗りもとりやめにしたらしい。
(大丈夫だろうか)
朝昼晩と妻のもとへ花籠を届けさせはしたが、
顔を合わせない時間が長引けば長引くほどにアランのなかでは不安が募ってゆく。
とうとう晩餐にほとんど口をつけないまま席を立つと、
彼はエレノールの居室へと早足で歩いていった。

「王太子殿下、いけません。お待ち下さい」
扉の前で彼を引き止めたのは妻が母国から連れてきた侍女のひとりイザベルだった。
もともと乳母姉でもあるということでエレノールから深い信頼を受けており、
控えめな中にもどこか芯の強さを感じさせる娘である。

「どうした。夫が夜に妻を訪うて何が悪い」
「姫様は、―――妃殿下はおひとりでいなければならないのです。それをお望みです」
「だがもう丸一日過ぎた。話をするぐらいはいいだろう。食事だって摂らせねばならん。通してくれ」
「お食事は摂っておられます」
「それならよいが、とにかく顔を見たい」
「精進食ですが」
「何だって?」

全く虚を突かれたという表情の王太子に、イザベルは不信と不満のまなざしを向ける。
「殿下におかれてはご承知おきのことだと存じておりましたが」
「いや全く知らん。どういうわけだ」
「妃殿下におかれては、今朝より祈祷のための斎戒月間に入っておいでです。ただひたすら殿下の御為に」
「俺のため?どういうことだ」
「何をおっしゃいます。まさかご存知ないだなんて。
 ―――知りたいのはわたくしでございます!」
主人を思う気持ちがたかぶるあまりか、イザベルはふだんの穏やかさに似ず突然声を荒げた。
相手が王太子だということさえ一瞬忘れてしまったのかもしれない。

「妃殿下は昨晩泣きながら突然わたくしの部屋にお寄りになったかと思うと、
 わたくしに縋り付いていっそうさめざめと泣かれるではありませんか。
 明け方近くになってようやく落ち着かれた頃にお話をうかがおうとすると、口を閉ざしてしまわれるのです。
 それでもなんとか聞き出したところでは、こんなふうにおおせになりました。
『アランがね、とても罪深い行いを重ねてきたことを今夜知ってしまったの。
 それでたったいま地獄に落ちよとばかりに力の限り罵倒してきたのだけれど、
 考えれば考えるほど、あのかたはもう地獄行きが確定しているのではないかと思って、
 それが悲しくてたまらないの。
 あのかたの魂はもう絶対に救われないのだわ』
『―――今ひとつ事情が分かりませんが、殿下の救済のために今からでもご祈祷を捧げられましたら』
『イザベルもやっぱりそう思う?
 実はさっき、あなたのために祈ってなんかあげないとアランに宣言してしまったのだけど、
 やっぱり強情を張っている場合ではないわね。
 あのかたは傲慢で尊大で淫蕩で顔と頭と生まれ以外いいところがぱっと思いつかないのだけれど、
 でもお優しいところもあるし、神様が御慈悲を垂れようと思ってくださる余地はあるわよね。
 そうだわ。明日からでも、いえもう今朝かしら、
 とにかく精進潔斎に入って、連日連夜あのかたのためにお祈りを捧げましょう。
 あの罪業の深さを考えたら一ヶ月は必要だわ。短すぎるくらいだけれど』
 こういうわけでございます」

アランはぽかんとした面持ちで聞いていたが、突然我に返ったように妻の侍女に訊き返した。
「月間というのは、三十日だな」
「ええ」
「三十日というのは、約四週間だな」
「ええ」
「四週間というのは、一週間の四倍だな。そして一日の二十八倍」
「―――ええ」
何をおっしゃるのかこのかたは、という目でイザベルはアランを見返した。
だがそれにも気づかぬかのように彼は茫洋と宙を見ていた。

「斎戒というのはつまり、身を清く持すということだな」
「さようです。肉も卵も乳製品も控えておいでです」
「夜のほうは」
「修道院の規則に準じて、真夜中までご祈祷をあげられることになっております」
「そうではなく、―――俺は?」
「殿下もご自分の魂のためにお祈りになりたいのでしたら、どうぞご自室か聖堂で」
険しい声で言い放つと、イサベルは王太子の鼻先でさっと扉を閉めてしまった。

アランは黙って扉と相対していた。
あまりに長い静止のため、傍目には生ける彫像かと疑われるほどであった。
が、やがて足元から崩れ落ちるようにしてその場にへたりこんだ。
近くに立っていた衛兵たちが駆け寄り手を貸そうとしたにもかかわらず、彼はそれを制してしばらく床に座っていた。
そして背の高い扉を見上げた。
一ヶ月がかくも長いものだとは、かつて思いもよらぬことであった。

 

(終)

 

 

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最終更新:2008年12月27日 06:00