黄色いカナリヤ、栗色の仔猫。
おしゃべりといじっぱりには、ごようじん。
大きな大きな落とし穴に、いつか足もとすくわれる。

      ***


やはり、エルドは、図書室にいた。
行儀悪く長椅子に寝そべり、本を読んでいる。
物音を立てないように、こっそりと忍び込もうとしたが、
すぐに来訪者の気配を察したようで、彼はぱっと身を起こした。

「リア。また来たのか」
「ごきげんよう」

にっこり笑って、エルドの隣に座り、柔らかいクッションに身を沈めた。

エルドが読んでいる本をちらりと確認すると、『伝承文学』という題名だった。
彼の嗜好に一貫性はない。手当たりしだいに、いろんな本を読んでいるという印象だ。

以前は、『戦術学と政治学』とかいう小難しい本を読んでいたので、
その横で大人しく刺繍をしていたのだが、
装丁の美しいこの本は面白そうだったので、横から覗いてみた。
図々しい行為だったが、エルドは特に異論はなさそうだった。

『伝承文学』とは、リヴァー由来の伝説や昔話、慣習をまとめた本であった。
「ウィグノリアの花の妖女」や「小鳥の挨拶」などなど、
セシリアにとっては、馴染み深い話ばかりだったが、
綺麗な挿絵ともに、詳細な解説も付いていて、とても興味深かった。

二人は、本に頭を埋めて、顔を寄せ合い、
リヴァーに伝わる物語の数々を読んでいった。
セシリアが読み終えると、目で合図し、
エルドが次のページをめくるといった按配だ。
そのリズムは心地よく、気持ちは童心に帰っていく。

もし、自分とエルドがあんなにも仲が悪くなければ、
こんな風に、一冊の本を読み合うことだって、当然あったのかもしれない。
自分たちは友達になるのが、あまりにも遅すぎたのだ。
堅固な友情を築き上げるのに必要な時間の積み重ねというものを、
セシリアは、あっさりと反故にしてきた。

だからこそ今、その埋め合わせをしようと躍起になっている。
エルドは、そんな彼女を不思議そうに見つめるばかりなのだが。

「あら、なつかしい」
本の新たな章題に、セシリアは思わず目を細めた。
それは、『カナリヤと仔猫』という昔話だった。

「ねえ、ねえ。エルドって、この話に出てくる
 栗色の毛並みの仔猫にそっくりじゃなくって?」
「髪の色が同じだからか?」
「まあ、それもあるけれど」
ちょっと生意気そうな仔猫の挿絵を見ながら、セシリアは先を続けた。
「エルドは、『カナリヤを食べた仔猫』のような
 表情を作るのがとてもうまいと思うのよ」

エルドは、腑に落ちないようだが、セシリアは自信満々だ。
「カナリヤを食べた仔猫」とは、慣用句であり、
意味は、「無表情なのに、とても満足そうな顔」といったところだろうか。

「あなたって、本当に嬉しくて満足しているときは、
 それと悟られないように、心の中で笑っているタイプよ」

「へえ。じゃあ、リアは」
そこで、エルドは本をぱたんと閉じた。

「まさしくお喋りで知ったかぶりの黄色いカナリヤだな。
 うるさくキィキィ鳴くところが、驚くくらいによく似ているよ」
「まあ」
 反論しようとして勇むセシリアの肩を、エルドは突然引き寄せた。

「気をつけろよ。
 黄色いカナリヤは、あんまりにもうるさかったから、
 しまいには、栗色の仔猫に食べられてしまったんだぞ」

耳元で、そっと囁かれて、ぞくりとした。
その戦慄の理由は、恐怖だったのか、それとも期待だったのか。
考えようとする前に、セシリアの"くちばし"は奪われていた。

いつものように唇を貪られて、セシリアの胸は熱くなる。
エルドの行為は、いつも不意打ちで、
心の準備ができない内に、あっという間に、あちらのペースだ。

このままでは、本当に食べられてしまいそう。
心配になったセシリアが、"翼"をパタパタと震わせると、
エルドはようやく自分を解放してくれた。

ほら、やっぱり「カナリヤを食べた仔猫」のような顔をしている。
とすると、自分は本当にカナリヤになってしまうのかもしない。

「もう、エルドったら」
こちらが口を尖らし、にらみつけても、
あちらは、飄々としているのだから憎らしい。
でも、自分も、それほど怒っているわけではないのだ。

もしかしたら、とセシリアは考える。
自分がエルドに会いに来ている理由は、友情を構築するためではなくて、
ただ単に、キスしてもらいたいからだけなのかもしれない。

しかし、セシリアは、その難しい問題についても、深く考えることができなかった。
自分の胸元に、エルドの右手が、さりげなく、いやらしく伸びてきて、
途端に、セシリアの頭の中は、今朝の謎のことで一杯になったからだ。

「ねえ、エルド。私の胸は、大きくなったんですって」
「は?」

行き場を失ったエルドの手は、そのまま宙に浮いていた。

それは、今日の朝のこと。
侍女のトルテに手伝ってもらいながら、服を着替えているときだった。
セシリアは、自分のドレスの胸元が、どうも、きつくなっていることに気づいたのだ。

『成長期には、よくあることですよ』 トルテは笑ってそう言った。
『新しいドレスをたくさん作らなくてはなりませんね』


「―――で、私としては、成長期というよりは、
 エルドが、あんなも私の胸を触りすぎるから、
 大きくなったのではないかしら、と思いついたわけなのよ」

まったく世界は謎で溢れかえっている。
その謎全てに答えを見つけることは難しいだろうが、
せめて身近な疑問だけは解消していきたい思うのだ。

「どうかしら、この仮説は?」
「いや、それは生理学な知見からすれば、その……」
「なあに?」
「俺に、そんなことわかるわけないだろ!」

ぷいっとそっぽを向くと、エルドは、また本を開き始めた。
何でもない風を装っているが、その首筋は、真っ赤であった。

おや珍しい、彼がここまで動揺するなんて。
セシリアは目を丸くした。
同時に、昔からのよくない癖で、ついつい嬉しくなってしまう。

「……お前さ」 エルドは、どこか定まらない視点のまま口を開いた。
「何かしら?」
「まさか、お前の侍女に、その仮説のこと喋ってないだろうな」

「エルドが、私の胸を何回も触ったから大きくなったかもしれない、と?」
「だから、何回も口に出して言うなよ!」
「トルテには、話してないわ。
 確証がないのだから、まずエルドの判断を仰ごうと思ったの」

まあ、どちらにしろ、エルドとのことは言えないだろう。
いくらセシリアだって、ただの友人に胸を触られることが、
一般の範疇から外れていることくらいわかっている。

「ねえ、どう思って、エルド。
 何かあなたなりの考えがあるかしら」

「ああ。考えていたんだけど、決めたよ」 エルドは再び本を閉じた。
「俺は、もう絶対に、金輪際、リアの胸を触らないからな」

唐突なエルドの宣言に、セシリアは首をかしげた。

「エルドってば、論点がずれているわよ。
 私が質問したことは、つまりあなたが――――」
「君に論点なんて言葉は、似合わないから止めたほうがいいよ」
「何ですって!」
「論理の跳躍と超解釈は、リアの専売特許じゃないか」
「あなたって、本当に失礼ね。私の話は
 いつでも、ちゃんと整合性があるわよ」
「いいや。だいたいリアは、いつもいつも――――」


その日は、お決まりの口喧嘩に発展してしまい、
結局、二人が『カナリヤと仔猫』の続きを読むことはなかった。

    ***

――――――――このように、
お喋りなカナリヤと捻くれた仔猫は、
自分たちの欠点を認めることも、
直すこともなく、その関係を破綻させてしまう。

「カナリヤを食べた仔猫」
という慣用句を生み出したことでもお馴染みの
この話は、研究者たちのあいだでは、長年、
子供たちを躾ける目的で、作られたものだと考えられてきた。

実際、幼い読者たちは、この話の教訓から、
自他ともに欠点があることを認識し、
互いに、補い合う必要性を学んでいく。
それは人間関係を構築するための重要な要素であろう。

しかし、別の説によると、この話は、明らかに、
厄介な男女関係の理を暗示していて――――――――――

 

 

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最終更新:2009年05月15日 14:04