翌朝のメイリンは、うって変わって静かだった。
朝食は、珍しく──というか、僕がこの邸に来てから初めて──メイリンの房室で、一緒に摂った。
けれど、メイリンはじっとあらぬ一点を見詰めたままで、箸も一向に進まない。
寝惚けているのか、旅の疲れが抜けないのか、それとも僕が何か粗々でもしたのか。ひどく気に
なったが、メイリンは「ユゥは食べて」と言ったきり動かない箸を持ち続けていた。
主人格であるメイリンが食べ終われば、僕も終わらざるを得ない。メイリンが、僕の食べ終わるのを
待ってくれているのは明白だった。
メイリンと初めて共にした朝食は、少し慌ただしく終わった。

「済まない、今朝はもう、食べられない。」
そう言って、硬い表情で皿を下げさせたメイリンは、長椅子へと移り、卓を挟んだ向かいの椅子に
僕を掛けさせた。
「今日は、話があると言った。──まずはよい報せから。」
メイリンは小さな平たい布包みを取り出した。手のひらに載るほどの大きさのそれを受け取り、
開けてみると、中には折り畳まれた紙が入っていた。
「読んで。」
促されてその紙を開いてみる。
「手紙……?」
そこに並んでいたのは、懐かしい筆跡。ふくよかで丸みのある母の字と、個性的で飛び跳ねる
ような妹のユイの字。懐かしさと温かさのあまり視界が滲む。
母と妹が、僕に手紙を書いてくれていたなんて。
蒲州を転々としながらも、労役は多いがさほど過酷ではなく、住むところにも食べるものにも
困っていないこと。
偉い姫様がやって来て、皆のこまごまとした不安や不満を聞いて、助けてくれたこと。何より、
僕の消息を知らせてくれたこと。その姫様が、通事も使わず、上手に僕らの言葉を話すので
吃驚したこと──
ユイの手紙にも、「きれいなお姫様が来て、みんなにお菓子を配ってくれた」と書いてあった。
「これが、メイリンの『頑張ったこと』?」
僕は素直に感嘆した。文面から、メイリンが僕の同胞のために心を砕いてくれた様子が
伝わってくる。
やっぱりメイリンは、お高く留まったお姫様ではなく、賢くて優しい、凄い女の子だ。
「いや、これは楽な仕事。父上が資金を調達してくださったので、大した交渉も必要なかった。」
「あの『偉い人』が?! 確かに僕にいくつか約束してくださったけど……こういうことまで、
してくれるものなの?」

「父上は慈善はなさらない。」
メイリンはきっぱりと言った。
「言うなれば、これは、投資だと。そのうち、ユゥにも分かる。──多分。」
「とうし?」
「その話は、あと。いいから、次を読んで。」


──ちゃんとしたお邸で、大事にされていると聞いて、安心しました。
  あの姫様の元で暮らしているなら、心配は要りませんね。
  桂花の民には、定住と耕作の権利が与えられると、姫様が教えてくださいました。
  どこへ行くのかはまだ分からないけれど、わたし達きっと頑張ります。
  落ち着いて生活できるようになったら、あなたもわたし達と一緒に、暮らしましょう──

「えっ? 定住? 耕作? 権利? 奴隷として、じゃなく??」
「そこはユゥの功績だな。
戦は最短で終わり、生き残りの収容にも、日数はかからなかった。
一日でも短く終わったということは、それだけ兵を動かす戦費がかからなかったということ。
当然、敗戦の民に課せられる賠償金も少なくて済む。」
「そうじゃなくて、戦に負けて連れて行かれたら、普通、奴隷として売られるんじゃあ……」
メイリンは驚いた表情で、目をまるくして僕を見た。
「ユゥ、いつの時代の話をしているの? スゥフォン兄様に、習わなかった?」
「……えっ」
法学、通商学、歴史学……今までに習った内容を必死に頭に思い浮かべてみる。
スゥフォン様の質問に答えられないときも、
『この頭の中に、ちゃんと脳味噌は詰まってるのかな? …一度、開けて調べてみようか…?』
と本気とも冗談ともつかぬ薄い笑みでぎっ、と頭を?まれたりして震え上がるけれど、
メイリンの質問に答えられないのは、ひどく申し訳ない気持ちになる。

「シン王朝になってからは、奴隷を耕作に従事させることは禁じられている。耕作させる場合は、
必ず臣民としての籍を与え、所有と報酬の権利を認めなければならない。
……なぜか分かる? ユゥ。」
僕は緊張して首を横に振った。今まで習ったことを必死に思い出そうとしているけど、
耕作に奴隷が使えないというのは初耳だ……と思う。
それを見てメイリンはぷくっ、と可愛く頬を膨らませる。
「もぉっ、兄上様ったら、大事なとこなのに、手を抜いたなー?
じゃあユゥ、前朝スイが滅んだ要因は?」
メイリンの次の質問だ。歴史か、歴史。ちょっと苦手だったんだけど。
「えと……、周辺国との戦…には勝った。けど最後の遠征で…戦費がかさんで…財政が傾いた。
その他に、大規模工事の乱発、急激な改革への不満、青徳農法の失敗──」
「そう、それ。」
メイリンの瞳が輝いた。でも僕は、書物に書かれていた言葉をそれほど深く理解している
わけでもなくて、どれのことだか分からず戸惑う。
「前朝は、周辺国との戦を繰り返し、そこそこ勝った。そして大量の戦争奴隷を獲得した。
国内に溢れる大量の奴隷をどうするか──一番簡単なのは、余っている土地を耕作させて、
穀物を生産させること。
前朝最後の皇帝は彼らを一箇所に集め、管理して広い農地を耕させることにした。そして
その地を青徳と名づけた。青々とした美しい農地の広がる土地にするつもりだったのだろう。」
「……しかし青徳は、十年あまりで失敗……。」
僕は、書物から憶えた言葉をそのまま口に出した。僕が知っているのは、その辺までだ。
「そう、結果的に、青徳はほんの十年あまりで失敗した。広大な農地の所有者は皇帝であり、
管理していたのは、鍬を振るったこともない一握りの司農官であった。
彼らは知りもしなかったのだ、土を育むということを。」
メイリンはそこでちょっと僕を見て、「これ習った?」と聞いた。
「全然。」
と僕が答えると、メイリンは兄の不手際にぷりぷり怒りながら話を続けた。

「ここは、ユゥにとっても重要なとこだから。
青徳では、土を触ったこともない小数の人間が、奴隷による強制労働で、広大な農地を
作物で一杯にしようとしたのだ。
司農官達は肥料を撒いて土を良好な状態に保つことなど知らなかったし、それは下々の者が
勝手にやる事だと思っていた。
一方、周辺国から連行された奴隷達には何の権限も与えられていなかったし、言葉も
禄に通じず、処罰を覚悟で新しい提案などする義理も、また余力もなかった。
結果、青徳では最初の数年は大きな実りがあり、それからだんだんと収量が落ちた。
司農官たちはその理由も分からぬまま翌年も、そのまた翌年も種蒔きを行わせ、奴隷達を
酷使した。何も採れなくなるまで。
そしてついに──一部の土地では灌漑の失敗により、塩が浮き出て不毛の土地になった。
そしてその他の地は、土の滋養を失い続け、草すら生えぬ硬く締まった土くれの塊になった。
今も青徳には、広大な不毛の地が広がる。」

「……えっ? 誰か、肥料を入れてやり直した人はいないの?」
僕は少し驚きの声を上げた。
「勿論シン王朝になってから、農法の研究は盛んに行われた。
しかし塩の浮いてしまった土地は、水を撒いてもどんどん塩が浮くだけだし、硬く締まった
土には肥料も水もほとんど入らなかった。
土くれの塊になってからでは遅い、というのが大方の司農博士達の意見だ。
研究はまだ続けられているが、青徳のようになった土地を再び緑で満たす方法は、分かっていない。
それゆえ、シン王朝になってからは、耕作するものは小作に至るまで、すべて自らの
権限の元に耕作する土地に責任を持ち、農地を良好な状態に保たねばたねばならぬ。何人(なんぴと)も、
耕作する者から権限を奪ってはならぬし、権限を持たぬものに耕作させる場合には、
新たに与えねばならぬ。」

たしか、その青徳の農地では数年間は豊富な収量があり、安価な穀物が大量に出回った。
そしてその後は供給量が急激に落ち込み、穀物の価格が乱高下した。市場は混乱し、農民の
作付けも、民の生活も混乱し、既に傾いていた国家財政への、最後の一撃になった──

「だから、桂花の民にも、土地に対する権限が与えられる、ということ?」
「そう、ユゥの働きもあって、桂花の民は、かなりの数の生き残りがいる。わが国では奴隷の
耕作を禁ずる国法の所為もあって、これだけの人数を捌く奴隷市場など存在せぬし、耕されて
いない国土はまだあるのだ。
朝廷としては、定住させて、税と共に戦費を回収した方が、確実だ。」
戦勝国であるシン国の、思っていたよりも寛大な措置に僕は驚いていた。それでもメイリンは
表情を緩めることなく言う。

「安心するのはまだ早い。桂花の民は山の民で、焼き畑で暮らしてきた。深耕する習慣すらない。
平地で農耕を営み、朝廷に税と戦費の返済分を納めながらの暮らしは、平坦ではありえない。」
「……もとの桂花山で暮らしながら、税を納めるという方法ではいけないの?」
僕は不思議に思った。農民としての権利を認められ、戦費を朝廷に返済することで許される
とするなら、慣れた土地のほうがはるかに効率が良いのではないだろうか。

「ふむ。先程、青徳の事例はユゥにとっても重要だと言った、その意味が分かる?」
僕はまた首を横に振った。メイリンからの質問はスゥフォン様のときみたいに震え上がる
ようなこともないけれど、メイリンの期待に添えていない自分がいたたまれなくなる。
けれどメイリンは、僕が答えられるかどうかにはあまり頓着していないようだった。かまわず
次の言葉を続ける。

「桂花山でも青徳と同じようなことが、起こりつつある。」


    *     *     *

茫然としてなにか言葉を探す僕を置いて、メイリンは自ら立って棚から細長い箱を取り出して
きた。
蓋を開けると、巻かれた布の地図が入っていて、彼女は卓上に丁寧にそれを広げた。
「長い話になるだろう。
ユゥにとっては初耳のことも、また聞いていたことと逆の事実もあるだろう。
しかし、まずは心をまっさらにして、我らの側の言い分を聞かねばならぬ。
おまえの一族の擁護はそのあとで、存分に聞くといい。」

メイリンの広げた地図には山河が描かれていて、細かくシン国の地名が書き入れてある。
うねる河筋の周りに、沢山の×印があって、数字が書いてある。一番大きく書かれている
地名は蒲州、山は──
「桂花山……」
懐かしい故郷の名前に、目が釘付けになる。僕らにとっては広すぎるくらいだった故郷の山も、
シン国の国土に囲まれて窮屈そうに縮こまっていた。
メイリンの白く細い指が河を示す線を辿る。
「これが鶴江[ホー・チアン]。蒲州中を蛇行し、潤す河だ。桂花山を水源とする。この河は、
桂花の言葉ではなんと呼ばれていた?」
「蔦川…。」
僕は桂花の言葉で答えた。そしてメイリンは難なくそれをシン国の読み方で発音する。
もう随分ふたつの言葉を使いこなしているようだ。
「鶴江には支流ごとに細かく名前がついている。蔦川[ニアオ・チュワン]もその扱いだ。
ただし蒲州の管轄下ではなかったので、この地図にその名は書かれていない。」
鶴江、と書かれたその河は、桂花山から出て、周りの細い川と合流を繰り返しながら、
地図の中を蛇行していた。

「水勢学はもう学んだな? 川の源流はどこから生まれる?」
「…土の中。」
突然、質問の分野がまたがって吃驚する。確か、スゥフォン様はそんな風に表現していた。
土から川? と印象深かったから憶えている。
「そう、土の中。地下に水がある。それが地上に出てきたのが、川あるいは河。
では、地下水の最も重要な入り口は?」
「…森。」
少し、鳥肌が立ってきた。メイリンがこれから語ることを聞きたい、でも少し怖い、そんな
気持ちだ。

「父上は十年ほど前から、鶴江に注目していらした。
いまは年が明けて光興十五年になったばかりだから、大体光興四年の頃からと考えてよい。
だから父上は桂花山の地形にも、言葉にも、人物関係にも既に精通していらして、戦が起こった
際には、是非にと軍師に推されたのだ。
かなり渋っていらしたが、結局は他に人材がおらず、母上も強く推されたので、仕方なく
お引き受けになった。」
十年ほど前──
一瞬、六歳の頃のメイリンと、七歳の頃の僕が、向かい合って座っているような錯覚を覚えた。
きっとメイリンは、その頃からとんでもなく可愛かったんだろうな。その頃から知り合って
いたら、どうなっていただろう。

「蒲州では、河堰の決壊が増えていた。この地図には、遡って光興元年からの堰の決壊場所が
記されておる。
×印がそれで、横の数字が決壊した年だ。」
くねくねと曲がる大河に纏わり付くように、沢山の×印が書き込まれていた。×、×、×、
また×。一つの場所に沢山の×が書き込まれている所もある。二年、五年、六年、九年
、十年、十二年、十四年。

「何度も決壊しているのは、土砂が溜まり易い地形の所だ。上流から大量の土が流れてくる
ようになっていたのだ。上流とはすなわち──」
「桂花山?」
僕が最後の言葉を引き取り、メイリンが頷いた。

「桂花山にはシン国の支配の及ばぬ民が住んでいた。父上はすぐに人を遣って調べ始め、
数年のうちにこう結論付けた。すなわち、『桂花山に住む民は、この山の中だけで
暮らすには、増え過ぎた。』」
「増え過ぎ?! そんなっ…!!」
思わず僕は立ち上がっていた。
僕達にとって山は、まだ十分に広すぎた。僕が憶えているだけでも何人もの人が、山の中で
行方が分からなくなっていたし、そんなときに歩いて探し回るには何日もかかって、大人の
男たちをどれだけ狩りだしても、山のすべてを見て廻るには足りなかった。
それでも、メイリンの静かな目を見て我に返る。そうだ、まずは聞け、といわれたのだった。
「どうして…そんなことが、言えるの。」
僕がすとんと腰を下ろすとメイリンは何事もなかったように続けた。
「ふむ…、森が、荒れ始めていた。
桂花の民は森を焼き、畑を作って生きる。そして数年分作物を育て、木が生えてくるように
なったら、そこを放棄して次に移る。そうすると、そこの土地はいずれ再び森になる。おまえ達は
また移動して別の森を焼き、それを繰り返す……ここまでは、よいな?
畑地が再び森になるのと、森を焼いて畑地にする速さが、釣りあうまでならいい。
ところが、父上が調べたときには既に、回復よりも森を焼く速さの方が勝っていた。おまえ達は
限度を越えて畑地を増やし、結果として森になりきる前の裸地が増え、『涸れ谷』至る所に
見られた。従軍した折、わたしも沢山見た。」

『涸れ谷』は……習った。雨が地面を穿って、小さな谷のように土が削り取られてしまった場所。
流れるのは養分をたっぷりと含んだ土だ。これがあるのは、森としても耕地としても、
あまりよくない状態──
そうだ、僕の故郷の山にだって、そんな小さな谷がいくつもあったじゃないか。
そのすべては、またいずれ森に飲み込まれるものと思っていたけれど。

「じゃあ、桂花山の『涸れ谷』で削りとられた土が……蔦川を流れ下って、下流で堰を埋めた?」
「まあ、そうだ。しかしここで重要なのは、何度も堰が埋まるほどに、山から土が失われて
しまったということだ。
上から下へと流れ下ることは容易い。しかし下から上へと運び上げることは……困難だ。
今のまま土が流れ出し続ければ、いずれ桂花山すべてが不毛の地となる。
朝廷はこの報告を重く見、蒲州総督府を通じて桂花の民と交渉を試みた。五年前のことだ。」
「そんな……父さんから、聞いたこともない。そんなこと。」
メイリンは僕の言葉に頷いた。
「そこがお前たち一族の閉鎖的なところだ。外との折衝は限られたものだけが行い、その内容は
秘密にされた。父上の調べ上げた事実は多岐に渡り、わが国で多少なりとも学識のあるものならば
納得させるのに充分だったが、おまえ達にとっては、そうではなかった。」
「理解できなかったんだ、難しくて。」
そりゃそうだろう。それだけの内容を理解しうるような学問的素養は、桂花山には存在しない。
僕だってほんの四月(よつき)ほど前の知識で今の話を聞かされても、どこまでついて行けるか怪しい。
僕達にとって、森はあくまで美しく豊かで、ずっと変わらないものだった。急に他国の人間に、
おまえ達の森が壊れかけだと言われても、むきになって反発するのがおちだ。

「そうだ、異文化圏との交渉の際には、共通の認識がどこまであるかが肝要だ。
しかし我が国と桂花の民との間には交流がなく、言葉も違い、おまえ達の言葉で説明しようにも、
対応しうるだけの語彙が、桂花の文化にそもそもなかった。」
なるほど…と僕も頷いた。僕らの間では、山を下りた麓の世界は遠い世界で、ほとんど
別世界だった。商品のやり取りすら、ほとんどない。
僕は首長家の素養としてかろうじて片言のシン国語が喋れるが、ほかの多くの桂花の民は、
言葉も知らず、山の外にどんな国があるのか、見たこともなかった。

「そして桂花側はそのとき、我が国の示した懸念を、すべて嘘と断じた。
父上は……っ、父上は、いつだって根拠のあることしか仰らないのに!! 山奥の蛮族が、
無礼なことを!!!!」
突如怒り出したメイリンに僕が吃驚していると、彼女はそこでふぅ、と言葉を切った。
「……当時はわたしも、このように思っておった。なにぶん、父上のことについては
譲れぬ性質(たち)ゆえ。
しかし、今なら、少し分かる気もするのだ。相手の側にも同じように譲れぬものが
あったのではと。
当時の我々の要求は、『飢饉に対して食糧を援助する。代わりに民の三分の一を、
下山させよ。』というものだった。」
「そんな! 下山って、僕らは桂花山しか知らないのに、そんな簡単に…っ?!
他国の言動に簡単に従って故郷を捨てるくらいなら、死んだ方がまし…?!」
あれ、こんな言葉を、どこかで聞いたような。
僕はそうか、と思った。
五年前、僕らは旱魃に苦しめられ、飢饉だった。
僕たちの困窮に乗じて、シン国は交渉を行った。
きっと僕たちの側は、「足元を見られた」と思った。
足元を見られ、騙されそうになっているのだと。
そして必死に、頑なに、撥ね付けた。

「我が国と桂花の民との間には、共通の概念が決定的に不足していた。
知っているか、ユゥ。我が国は、朝貢して帰順する国にはすべて、王族から
『留学生』か『出仕者』を出すことを義務付けておる。我が国の論理を学ばせ、
交渉を容易にするためにだ。
ユゥは年の頃もちょうどよいし、もし五年前に桂花の民との交渉が上手く行っていれば、
ユゥは『留学生』として、盛陽の学院でわたしと卓を並べていたやも知れぬ。」
「……えっ? メイリンの通っている学院って、身分が高くて優秀な人しか、
入れないんじゃないの?」
僕には想像が出来なかった。あのゆったりと、気品のある人たちの中に……僕がいる図を。
「留学生枠というものがあるのだ。勿論入る前も、入った後もみっちりとしごかれるがな。
だが、そうやって同じ空気を吸い、苦楽を共にし、同じ釜の飯を分け合って、共通の土台
というものを築くのだ。
ふふ……何を隠そう、私の母上様も、『留学生』であらせられた。西方の国からいらしたのだぞ。
そして盛陽学院で父上に、見初められた。」
メイリンは両親の自慢話をするいつもの姿勢で、誇らしげに胸を張った。

「共通の概念……共通の土台……。それが、僕がここで学問を修めた理由?」
あのとき、僕がここに来てすぐに、メイリンはなんと言っていたっけ?
「僕たちの『クニ』とメイリンの国が何故戦わなければならなかったのか……その理由を、
いまなら僕は、答えられるかな?」
「それは、もういいのだ。」
メイリンはゆっくりとかぶりを振った。
「ユゥと一緒に暮らして、いろんなことを話し合って、ずっと見ていれば……わたしにも分かる。
桂花の民は、別に戦が好きなわけではなかったのだと。殊更にシン国の国土を傷つけて、
同胞を傷つけることを望んでいたのでは、なかったのだと。
おまえ達はただ、静かに生きて、森を愛して、家族を愛して、ずっとずっと、そうして生きて
ゆきたかっただけ。
いままで長い間そうして生きてこれたのに、なぜ今になってそれが出来なくなったのか、
分からなかっただけ。
わたしもそれが理解できたから……」
メイリンはそこではっと言葉を切った。

「……そんなことより、急いでせねばならぬ話があった。わたしはそのために、急いで
帰ってきたのだ。」
メイリンはきゅっと唇を引き結んだ。
「ユゥ、心して聞いて。」

彼女は急に視線を落とし、充分に間を取ってから、悲しげに、重々しげに次の一言を押し出した。
「ユゥの父、ウォン・フェイが間もなく処刑される。ユゥは父上に、会わねばならない。」




     ──続く──

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最終更新:2012年02月25日 19:40