青竜の川の戦いから一ヶ月。
クリスティーナ率いるソレンスタム共和国軍は、ベルイマン王国王都を目指して西進を続け、王国軍と四度交戦をし、勝利を収めていた。
王女復帰以来の快進撃で、兵士達は戦勝への希望に沸き立っていたが、一方で首脳部はそうもいかなかった。
「わかっているとは思うが、私たちは余裕があるわけではない」
野営地に張られた天幕の中で、机に置かれた地図を叩きながら、クリスティーナは言った。
机を囲んでいるのはエイナルをはじめとした、クリスティーナへの忠義の厚い士官達である。
夕刻に始まった作戦会議は、喧々諤々としてまとまらず、すでに夜半を迎えていた。
議題となっているのは、地図上に刺された一本の針。
そこに位置する城砦都市、フェーンストレムの扱いについてであった。
「人も物も、何より時間も、一切の無駄は許されぬ。フェーンストレムについての対応の誤りは、最終的な戦争の敗北に繋がるだろう」
鋭い目で周囲の男達の顔を見渡しながら、クリスティーナは言う。
それに応じてある士官が言った。
「私は、フェーンストレムは友好的な都市だと考えます。かの都市の城主シーグル伯は、国を裏切るような方ではありませぬ。今後のためにも早急に合流し、補給と軍の再編を行うべき

かと思われます」
また別の士官が応じた。
「私は、フェーンストレムは敵性であると考えます。姫殿下の参戦以前では、彼らの支援さえあれば勝利したと思われる戦場もあります。それをしなかったのは、彼らがすでに敵に通じ

ていたからだと考えるのが妥当でしょう」
まったく逆の彼らの意見だが、どちらの言い分にも理があった。
今回の戦争におけるフェーンストレムの挙動には、判断を迷わせるものがあったのだ。
フェーンストレムは共和国西部に位置する都市であるため、共和国軍の敗走によって、戦争の初期に敵の勢力圏に置かれた。
とはいえ城砦都市の名は伊達ではなく、ベルイマン王国軍数万に囲まれてもその門を開かずに立て篭もり、結局王国軍はフェーンストレムを攻略することなく、わずかの兵を残して東進

することとなった。
王国軍のこの判断に、共和国軍は狂喜した。
敵兵力を背後に残したままで進軍するなど、挟撃してくださいと言っているようなもので、通常取られる手ではなかったからだ。
当時の軍首脳部はフェーンストレムの鉄壁の守りを称え、教科書通りに挟撃を計画した。
東進してきた王国軍を迎え撃つに当たり、フェーンストレムと呼応して戦い、勝利を収めようとしたのだ。
しかしこの計画は失敗した。
フェーンストレムは共和国軍の呼びかけに応じることなく、結局共和国軍は王国軍に正面から撃破されてしまったのだ。
これについては裏切りとも、そもそも連絡が成功していなかったのだとも言われ、共和国軍の間で諸説を呼んだ。
結局真実はわからぬままで、フェーンストレムは門戸を堅く閉ざして一切の動きを見せず、この度クリスティーナの進軍によってその姿を半年ぶりに共和国軍の前に晒すこととなったのである。
一連の報告を聞いていたクリスティーナは当初、フェーンストレムを敵性と判断し、攻略する心積もりでいた。
そうしなければ、王国軍を追ってさらに西進したところで、それこそ教科書通りの挟撃を受ける可能性があったからだ。
ただ、フェーンストレムは攻城兵器に対する備えも、魔法に対する防御力も、非常に優れた城砦都市で、どうやって攻略したものかと頭を痛めていた。
共和国軍はクリスティーナの活躍で連勝を続けているが、総兵力ではまだまだベルイマンに劣る。
攻城戦で兵を消費することは避けたかったし、敵が別働隊で首都を狙う可能性がある以上、いたずらに時間を費やすわけにもいかなかった。
フェーンストレムに近付く道中、悩み続けていたクリスティーナだったが、昨日思わぬ使者があった。
沈黙を守り続けたフェーンストレムから、開城を伝える使者がやってきたのだ。
「フェーンストレムは王女殿下と共和国軍による解放を待ち望んでおります」
使者はそう言って、クリスティーナの軍勢の全面的な受け入れと補給、フェーンストレムの擁する軍の共和国軍への合流を申し出た。
戦争中の先の挙動については、やはり連絡が取れていなかったことと、都市の防備で手一杯だったことを理由とした。
クリスティーナは笑顔で礼を言って使者を帰し、一晩悩んだ末に作戦会議を開き、今に至るというわけである。
フェーンストレムの友好敵性判断において、士官たちはうまい具合に半分に割れてしまっていた。
「クリスティーナ様、いかがなさいますか。明日には我が軍は、フェーンストレムに到達することになりますが」
エイナルが尋ねる。
全員の目が、金髪の王姫に向いた。
「ふん……。結局今のままでは、どちらとは決められぬか」
よし、とクリスティーナは身を起こした。
「先遣隊を出すことにする」
「先遣隊……ですか?」
「ああ。仮にフェーンストレムが敵性であった場合、奴らを警戒させることにはなるが仕方あるまい。信じるには足りぬし、いらぬ諍いを起こせるほどには我が軍は余裕が無い」
クリスティーナは腰に手を当てて、やや小さめの胸をぐいと突き出した。
「軍議は以上だ。フェーンストレムをいつでも攻められるよう準備は怠るな」
クリスティーナの言葉に、士官たちは一斉に敬礼をし、天幕を出て行った。
夜の闇の中、各々自分の部隊の陣へと戻っていく道中で、一人の士官が誰にともなく尋ねた。
「……前から疑問に思っていたんだがな、我らが姫殿下は、どうしていつも最後には、ああやって胸を強調するんだ?」
ああ、と答える声があった。
「エイナル様に聞いたことがあったんだがな。恐らく姫殿下なりの、威厳を高めるポーズなのではと仰ってたぞ」
「姫殿下は、今更そんなところで威厳を高めようとする必要もないだろうに」
「まったくだ」
「……それに、威厳を示すには小さすぎて駄目だよな」
「馬鹿! 聞かれたら殺されるぞ!」
士官たちは笑いながら、互いの武運を祈る挨拶をして別れた。
「くしゅんっ!」
「クリスティーナ様、お体の具合が悪いのですか?」
天幕の中でくしゃみをしたクリスティーナに、アーネとメルタが慌てて駆け寄った。
「すぐに上着を……」
「ああ、問題ない。どこかで誰かに過小評価を受けている……そんな予感だ」
「は?」
「とにかく、体調については大丈夫だ。下がれ」
二人の侍女がしずしずと下がっていく。
クリスティーナは机の脇に置かれた椅子に、どかと乱暴に腰を下ろした。
「さて……どうしたものかな、エイナルよ」
「先遣隊のメンバーですか?」
「ああ。相手の情報を正しく得て、なおかつ生きて帰る。優秀な者でなくては務まらん。まあ、一人は決まっているのだがな」
言ってクリスティーナは、アーネを見た。
「アーネ、行ってくれるか」
「お任せください、クリスティーナ様」
アーネはにこりと笑って頷いた。
エイナルもメルタも、特に驚くことはなかった。
アーネは性技に優れているだけでなく、会話や人心掌握にも優れ、男性向きの諜報員として活動することがこれまでにもあったのだ。
一方でメルタは拷問や調教に優れている。
二人の侍女はそれなりの役割分担をもって、クリスティーナに仕えていた。
「……しかし、アーネ一人ではまだ確度が足りぬ。危険性も高い。せめてもう一人……」
クリスティーナの呟きに、メルタが「それでしたら」と応じた。
「エイナル様はいかがでしょう」
「エイナルだと?」
クリスティーナは馬鹿馬鹿しいとばかりに首を振った。
「ありえぬ。エイナルは諜報に関しては、士官学校で訓練を受けた程度であろう」
「しかし、今回に限っては、適した人間関係をお持ちなのですよ」
ああ、とアーネも頷いた。
「確かにエイナル様は適任かもしれませんね。フェーンストレム城主の娘、ウルリーカ伯爵令嬢様は……」
「そう。エイナル様の御婚約者でいらっしゃいましたから」
何故だか嬉しそうにアーネとメルタは言った。
「婚約者……だと?」
クリスティーナは椅子に座ったままで脚を組み、エイナルを睨んだ。
いつもとどこか違った威圧感。
エイナルは思わずその場で姿勢を正してしまった。
「初耳だな。貴様、そんなものが居たのか」
「はい。しかし、過去のものです」
「どういうことだ?」
「既に解消しております。今現在、私と彼女は無関係です。……とはいえ、親交があったのは確かですし、他の者よりかは先遣隊に適任かも知れませんね」
ふむ、とクリスティーナは腕を組んだ。
「どのくらい親しいのだ、その何とかいう伯爵令嬢や、シーグル伯とは。関係が悪化して婚約解消となったのなら、適任とは言えぬぞ」
「そう、ですね……。ウルリーカやシーグル伯との付き合いは、長さで言うと婚約解消当時で六年ほどありました。それなりに良好な関係であったと思います。
婚約解消については、関係の悪化と言うよりかは、時世の流れといいますか……」
「何だ。はっきり言え」
逡巡するエイナルに、クリスティーナは二人の侍女を促した。
「知っているなら話せ」
「……クリスティーナ様の幽閉に伴って近い者が処分された際、エイナル様は領地を削られました。恐らくはその影響で、家格の釣り合いが取れなくなったのではないかと」
メルタの説明にクリスティーナは頷き、再びエイナルに目を向けた。
「迷惑をかけたな」
「いえ、そのようなことはございません」
「私と仲良くしたばかりに、未来の妻を失うとは。惜しいことをしたと思っているのだろう」
「親同士が決めた取り決めであり、私にとってはそれ以上でもそれ以下でもありません」
「正直に言えば、この戦争が終わった後で取り計らってやらぬこともないぞ?」
クリスティーナは笑って言ったが、声はあくまで冷たかった。
「……彼女に関しては、懐かしいという感情はありますが……わざわざ関係を戻す意志はありません。今はこの国を想うことで精一杯だというのが、私の正直な気持ちです」
「よろしい。シーグル伯が裏切っていて、その一族を処分することになった時には、貴様はウルリーカを切れるということだな」
「はい」
「わかった。納得した」
そう言いながら、クリスティーナは王女らしからぬ乱暴な仕草で頭を掻いた。
心のどこかにもやつくものがあったが、何を聞けばよいのか、彼女自身わかりかねていた。
「まあ……よい。エイナル、貴様を先遣隊のメンバーにする。シーグル伯とその娘ウルリーカの周囲を探れ」
「はい」
「以上だ。今日はもう下がれ」
エイナルは頭を下げて天幕を後にした。
残されたクリスティーナは、椅子に深くもたれかかる。
アーネとメルタが、覗き込むようにしてその顔を見た。
「……何だ? 何かおかしなことでもあったか?」
「い、いえ。そろそろ湯浴みの準備をしようかと思いまして……ねえ、アーネ?」
「そうね、メルタ」
言って、アーネとメルタは「ほほほ」と笑う。
あからさまにおかしな様子の二人ではあったが、クリスティーナは気にすることも無く、
「そうだな。今日は何だか疲れた……」
と椅子に身を沈めて息をついた。
慌しく湯浴みの支度を始めた二人を、クリスティーナはぼんやりと見ていた、が。
「むぅ……」
呻き声を出すと、手招きしてアーネを近くに呼び寄せた。
「アーネ、余裕があればの話だがな……」
アーネの耳元で何事か囁く。
アーネは心得たとばかりに大きく頷いた。
翌日、エイナルとアーネは数人の供の者を連れて、城砦都市フェーンストレムへ先遣隊として向かった。
馬に乗って半日。
そびえたつ城砦都市の姿は、エイナルにとっては懐かしいものでもあった。
「父に連れられて何度か訪れたことはあったが……改めて見るに、頑丈な造りの都市だな」
人口五万を擁し、共和国西部の経済の中心として発展してきた大規模都市。
その街並みは重厚な城壁に囲まれ、外部から見ることはかなわない。
城壁の上や、ところどころに開いた窓には、強力なバリスタや石弓が備え付けられている。
城壁を囲むように、防衛用の陣の組まれた陸地があり、その外側には敵の侵入を阻む二重に掘られた堀が水をたたえていた。
都市内部に至る道はわずか三本で、いずれも跳ね橋を上げてしまえば、フェーンストレムは完全な孤立した要塞となることができた。
「最後にシーグル伯とウルリーカ様にお会いしたのは、どれくらい前なのですか?」
トコトコと馬に乗ったアーネが近付いてきた。
「……四年前、クリスティーナ様とともにベルイマンへ攻勢をかける道中もここを通った。その時が最後かな」
「婚約解消の際は……?」
「手紙が一通送られてきただけだった」
「となると、四年ぶりの再会ですか。胸が高鳴りますね」
アーネは手綱を放し、うっとりとした目をして胸の前で手を組んだ。
「父親の決断で無理矢理仲を引き裂かれた婚約者二人。男は不屈の愛で再起し、一軍の雄として恋人を迎えに現れたのである……」
「昨晩も言ったが、私たちの場合はその仲を決めたのも父親同士だからな。君の言うようなことは何も無い」
苦笑しつつエイナルは言った。
「アーネもメルタも、この件に関してはやけに絡むな」
「そりゃあ私たちだって年頃の女ですもの。ラブロマンスは大好物でございますよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
「だが残念ながら、私に関しては期待されるものはないよ」
「さて、どうでしょうね……」
ふふふ、と妖しげに笑って、アーネは馬上で肩をゆらした。
そうこうしているうちに、一行は城門の前に着いた。
(封魔の建材か……さすがだな)
城壁の材質を横目で改めつつ、エイナルは城門を通過した。
長年城砦都市としての役割を果たしてきただけあって、防御に関する積み重ねは、ずば抜けたものがあるのだろう。
クリスティーナがこの都市の扱いに慎重になるのも頷けた。
(できるならば友好的であって欲しいが……)
エイナルは顔を上げる。
石造りの街並みの中に、一際大きな建物が見えた。
飾り気の無い砦のようなその城は、フェーンストレムの政治の中心であり、シーグル伯の居城でもあった。
城に入ってすぐに、エイナル他数人の代表者は、大会議室に通された。
アーネはというと、表向き下働きの者として入ってきたので、エイナルたちとは扱いが異なった。
彼女は代表者たちの泊まることになる部屋に他の下働きの者達と一緒に通され、荷物を広げることになった。
(予定通りではあるか……)
長方形のテーブルにずらりと顔を並べたフェーンストレムの評議会の面々を見つつ、エイナルは思った。
エイナル他代表者たちと、下働きの者達とで、二本の諜報の筋を作ることが、事前に話し合われていた方策であった。
(アーネはきっとうまくやるだろう)
三年前、彼女の諜報員としての仕事ぶりを目の当たりにしたことが何度かあったが、実に見事なものだった。
(問題はこちらか……)
エイナルは姿勢を正し、礼をした。
「この度は我々共和国第一軍の受け入れ及び支援の申し出をいただき、ありがとうございます。王女殿下の使いとしてやってまいりました、エイナル・グンナー・イェールオースです」
堂々とした声が会議室に響き渡る。
入り口から正面、一番奥の席に座っていた男が立ち上がった。
「ようこそおいでくださいました。我々フェーンストレムの評議会は、共和国軍による解放を心待ちにしておりました」
あごひげを豊かにたくわえた、鷹揚に笑う老人。
四年前と比べて老いた印象はあるが、紛れも無く、エイナルがかつて幾度となく会ったフェーンストレム城主、ロベルト・エクルンド・シーグル伯爵その人だった。
「受け入れにせよ支援にせよ、礼を言われることでもありませぬ。共和国臣民として、当然のことですからな」
シーグル伯爵はそう言って、エイナルたちに席に座るよう促した。
(まあ、型通りの挨拶か)
シーグル伯爵と真向かいの席に座りながら、エイナルは思った。
シーグル伯爵をはじめとした二十名からなるフェーンストレム評議会は、決して馬鹿ではない。
クリスティーナが入城する前にこうして先遣隊がやってきたことの意味をわかっているはずだった。
(従うつもりでも裏切るつもりでも、疑念を持たれているとわかった以上、心中穏やかではないだろう)
テーブルを囲む評議会の面々。
シーグル伯爵は一人にこにこと笑い、他の者たちは皆、じっとエイナルたち代表団を見つめていた。
「シーグル伯爵、王女殿下は大変お喜びになっております」
エイナルが口を開いた。
「ほう、そうですか」
「ただ、王女殿下なりに心配していることもございまして……」
「といいますと?」
シーグル伯爵はあくまで笑顔を崩さない。
食えない老人だと、エイナルは思った。
「王女殿下の連れている軍勢は、二万を越えます。それだけの人数が入城するとなると、フェーンストレムの負担はかなりのものになるはずです。
王女殿下は、申し出を受けることでフェーンストレムの民の重荷となるのではないかと、胸を痛めております」
「ははは。なるほどなるほど」
シーグル伯爵は二度三度と頷き、
「信用がありませんな、我がフェーンストレムも」
やはり笑いながら言った。
「大丈夫。二万の軍が増えたところで、それを養うだけの蓄えはあります」
「心強いお言葉です。しかし……」
「いやいや、わかりました。いっそ街を見てもらった方が早い。食料庫をはじめとしたいくつかの施設を見てください」
エイナルは頷いた。
(やはりこの老人はわかっているな……)
フェーンストレムの施設を見ることは、エイナルたちの望むところだった。
そしてそれは、共和国軍の疑念を打ち消したいフェーンストレムにとっても望むところのはずであった。
しかし、疑念を打ち消したいという想いがそのまま恭順の意を示すものとは限らない。
裏切る意図を持っていた場合も、同様のことが言えるのだ。
(ここまでは既定路線か)
ここからだとエイナルは思った。
「ではお言葉に甘えるとして、フェーンストレムの軍施設及び城砦の地図をお借りしてもよろしいですか?」
「よろしいでしょう」
「ではそれを手に、今日一日、街を歩かせていただきます」
「ええ、ええ。ご自由に。我々の誇るこの街の姿を思う存分ご覧になってください」
それ以上話すことは無かった。
シーグル伯爵以外の評議員は、やはりただじっとエイナルたちを見ているだけだった。
そしてシーグル伯爵は、終始その笑顔を崩さなかった。
数刻後、フェーンストレムの政務官から地図を受け取ったエイナルは、城の外に出た。
「さて、まずはどこから見るか……」
地図を広げて、各軍施設の位置を確認する。
これらを見て回ることは当然こなさなければならない仕事ではあったが、地図に記載されている軍施設が全てなのかを確認することこそが彼にとっての重要な任務だった。
軍施設と城砦の地図となると、敵の手に渡すのは非常に危険な情報である。
真に味方だったら包み隠さず情報を明かすだろうし、敵だったなら重要な部分は隠すだろう。
地図に描かれている情報と実際に自分が見て確認する情報を比べることで、フェーンストレムの敵性を判断することができるはずだった。
「どう回っていくのが効率がいいかな……」
地図を片手に思考するエイナルの前に、辻馬車が一台止まった。
「街を見て回るのでしたら、ご一緒にいかがですか?」
「え?」
馬車の中から声をかけられ、エイナルは戸惑ってしまう。
くすくすと忍び笑いが聞こえて、馬車の扉が開いた。
「もう私の声を忘れてしまったのかしら?」
狭い座席に、一輪の花のように、少女が座っていた。
淡い水色のドレスに細身を包み、静かに微笑みながら、どこか虚ろな、ぼんやりとした目でエイナルを見つめている。
「ちょっと薄情なんじゃないかしら、エイナル」
長い薄灰の髪を揺らして、少女は言った。
「ウルリーカ……」
「お久しぶり。さすがに名前は覚えていてくれたみたいね」
嬉しそうに笑うウルリーカに、エイナルは顔をしかめた。
「何をしに来たんだ?」
「あなたに会いに来たのよ。それ以外にあると思うの?」
「シーグル伯から聞いたのか」
「ええ」
「ならわかっているだろう。俺は今回遊びに来たわけじゃないんだ」
「ええ、わかってますとも。だからこそ、ご一緒にいかがと聞いたんじゃないの」
どうしようかと、エイナルは考えた。
ウルリーカに接触することで得られる情報もあるだろう。
しかし、これから行う地図の確認作業については、彼女の目があっては正直困るところもあった。
何も言わないまま思案に暮れるエイナルを見て、ウルリーカはまたくすくすと笑った。
「あなたのお仕事については理解しているから、大丈夫よ。邪魔をすることは絶対に無いわ」
「……」
「王女殿下はフェーンストレムをお疑いなのでしょう? もしあなたの邪魔なんてしようものなら、大変じゃないの」
「それはそうだがね……」
「それに、この街は広いわよ。徒歩よりかは馬車の方がいいし、この街で育った娘の道案内があった方が、お仕事も幾分か楽になるんじゃないかしら」
エイナルは嘆息して馬車に乗り込んだ。
「立場上、君の案内を受けることは出来ないがね」
「あら、悲しいわ」
そう言いながら、エイナルのために席を詰めるウルリーカは、どこか嬉しそうだった。
エイナルは地道に作業を進めていった。
地図に描かれた軍施設を見て回り、地図に描かれていない施設が無いかを丹念に調べた。
代表団の他の者たちと分担しているとはいえ、それでも見るべきところはかなりの広範囲に渡る。
軍事物資の蓄え、城砦内の兵員用通路、防御用の陣の組み方、備え付けの射撃武器の種類と数、各所に動員できる兵数など、渡された資料と相違がないか一つ一つ見ていった。
城砦都市を照らす午後の陽に汗を流しながら黙々と作業をこなすエイナルに、ウルリーカは笑って言った。
「相変わらず真面目なのね」
「真面目にならざるを得ないだろ。我が軍の命運がかかっているかもしれないんだから」
「暗黒神の娘、クリスティーナ王女殿下一の腹心、エイナル・グンナー・イェールオース、か……」
街の景色と地図を見比べ、なにやら書き込みをしているエイナルの傍にウルリーカは寄り添うように立った。
「ねえ、恨んでる? 私たちのこと」
「何をだ?」
「その……婚約破棄について。あなたを見捨てたことになるでしょう」
「当時の情勢なら仕方ないだろう。シーグル伯の判断は間違いでは無いよ。俺が今こうして再び身を立てることができているのは、本当にただの偶然だからな」
エイナルは空を見上げた。
気付けば日は大分傾いてしまっている。
城壁の作る大きな影が、二人の立っている広場を覆いつくそうとしていた。
「本当に……気にしていないのね」
ウルリーカの声の様子がそれまでと変わった気がした。
エイナルが振り返って見ると、ウルリーカは脱力したように肩を落としていた。
「少しは気にしていて欲しかったなぁ……」
「変わった人だな、君。恨まれたいのか」
「そうじゃなくて……執着して欲しかった。私に」
「執着?」
「もっと、怒ったり、悔しがったり、してくれてるかなって思っていたのだけれど……」
「さっきも言ったが、事情が事情だから、責める訳にもいかんしな」
困り顔のエイナルの肩を、ウルリーカはぱんぱんと叩いた。
そしてエイナルの肩に手を置いたままうなだれてしまった。
「いえ、そういうことじゃなくてね……」
「うん?」
「……いいわ。そういうところも、あなたのいいところだものね」
エイナルは何とも言えず、しばらくそのままで居た。
風がウルリーカの薄灰の髪を揺らす。
微かな香水の香りが、エイナルに届いた。
どれくらい経っただろうか。
ウルリーカが顔を上げ、エイナルから離れた。
その表情は元通り、遠くを見つめる瞳に、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ごめん、ちょっと仕事の邪魔しちゃったわね」
「気にしなくていいさ。もうほとんど終わりだ。次に行くところで最後だからね」
エイナルが最後に向かったのは、南の城壁だった。
それまでと同様に周囲の軍事施設、城壁内部の通路を調べ、最後には城壁の上部へと上った。
城壁上部には強力なバリスタが一定の間隔を置いて備え付けられ、見張りの兵が表の平原へと目を凝らしていた。
城壁はかなりの高さがあり、はるか遠くまで見通すことができた。
(これでは軍を動かしてもすぐに察知されてしまうな。そしてこの城壁……質は高くはないが、一応全て封魔の建材だ。
クリスティーナ様の魔法を防ぐまでは至らないが、多少効果は薄まるだろう)
エイナルは目を細めて、現在自軍が野営している地を見たが、さすがに目視することはできなかった。

「何を考えているの?」
ウルリーカが横に並んで尋ねた。
「いや、いい景色だなと思って」
「嘘つき。そんな顔じゃなかったわよ」
「……」
「あなたの考えていることだったら、大抵わかるわよ。幼い時からずっと一緒だったんだから。あなたのお母様の次にあなたを知っている女なんだから」
ウルリーカは城壁の淵に腕をおいて寄りかかり、はあ、とため息をついた。
「信頼は失うのは簡単で、取り戻すのは難しいって本当よね。フェーンストレムも私も、どうしたらあなたからの信頼を取り戻せるのかしら」
「ウルリーカ、ドレスが汚れるぞ」
「いいわよ。どうせ何を着ようがあなたは気に留めないのだろうし」
言って、ウルリーカはまたため息をついた。
「ねえ、今日二人で街を巡って何も感じなかった? 私たちの思い出の場所だって、いくつも通り過ぎたのよ?」
「懐かしい思いはしたよ」
「昔、二人でこの街を駆けていたあの頃を、楽しかったと思ってくれてはいるということかしら」
「まあ、それはそうだな」
「だったら、これから先も、同じ風に思い出を作っていきたい……なんて思ったりはしない?」
ウルリーカはそれまでのぼんやりとした視線とは違い、はっきりとエイナルを見据えて言った。
緊張からか、細い唇の端が微かに震えていた。
「思い出、か」
「……念のため言っておくと、お散歩をしたいという意味じゃないのよ。私は……」
「いや、意味は通じてる。大体わかってる」
エイナルは地図を畳んだ。
「今更調子のいい話だと思うかもしれないけれど、私はあなたと……以前の関係に戻りたいと思ってる。あなたの婚約者に戻ることを……望んでいます」
「……」
「私は、あなたとの婚約を破棄するつもりなんてなかった。あの時、お父様が勝手に……」
ううん、とウルリーカは首を横に振った。
「あなたからしたら同じことよね。あの時私たちがあなたを見捨てたことに変わりはない。でも、できるなら、戻りたい。あの頃に」
「気持ちは嬉しいが、今は戦時だからな。そういった話をする時ではないよ」
「今でなければ、いつするのよ。あなたはすぐにここを通り過ぎていってしまうのに」
「……一応言っておくと、俺は元老院に睨まれている立場にあることは変わりはないんだ。俺と関係を戻したとしても、君に得になるとは限らないぞ」
「やっぱり意味が通じてないし、わかってないじゃない。私は損得の問題で言ってるんじゃないの。あなたを愛しているから、あなたの婚約者に戻りたいと言っているのよ」
エイナルは一瞬呆けてしまった。
予想外の言葉だった。
ウルリーカがこうして接近してくるのは、あくまで今回の疑惑を晴らすためと、今後の政治のためだと考えていたのだ。
これから国政において権力を握る可能性のあるクリスティーナと、その部下である自分と繋がりを作っておきたい。
そういう意図の下の行動だと思っていた。
「信じていない顔ね」
「い、いや……そういうわけでもないが、突然で……」
「突然のつもりは無かったんだけどな。でも昔からあなたは、愛だの恋だのには疎かったものね。ねえ、エイナル……」
ウルリーカは縋るように言った。
「どうしたら、もう一度私を信じてくれる? 何をしたらいい? 私、あなたの信頼を取り戻せるなら、なんだってできるわ」
女性にこのように正面切って情熱をぶつけられたことのなかったエイナルは、心中戸惑ってしまった。
が、あくまで任務でこの街に来ていることを思い起こし、努めて冷静にふるまった。
(どうしよう……彼女は本気なのか……? だとしたら……)
嬉しくないわけではなかった。
既に思いは断ったとはいえ、かつての婚約者であり、淡い恋心が無かったと言えなくはないのだ。
(彼女の言葉をそのまま信じる理由は何一つないが……)
ウルリーカは何でもすると言っている。
取引のしどころなのかも知れないと、エイナルは思った。
「ウルリーカ、君はお父上の……シーグル伯の私室に出入りは可能か?」
「え? ええ、それはできるけれど……」
「俺を手引きすることは?」
「……できるわ」
ウルリーカは察したのか、エイナルを見つめてはっきりと頷いた。
「それをしたら、あなたは私をもう一度信じてくれるの?」
「ああ。だが、いいのか? フェーンストレムのさらに重要な機密を晒すことになるんだぞ」
エイナルが手に入れたいと考えているのは、フェーンストレムの政治面の記録だった。
外交文書をはじめ、フェーンストレムの戦略規模での方針を明らかにする資料があると考えられた。
「かまわないわ。私はあなたの信頼を得られる。フェーンストレムへの疑いも晴れる。一石二鳥だもの」
もしウルリーカが本気で自分に好意を抱いてくれているなら、その気持ちを利用するようで胸が痛みもした。
しかし、彼女の言うとおり、この取引は双方に利益のあるもののはずだった。
「そろそろ風が冷たくなってきたな……」
太陽が西の空に沈もうとしている。
地平線がキラキラと橙赤色に輝いて見えた。
エイナルは、足元に気をつけるように言いながら、ウルリーカの手を取って城壁を下った。

その晩、城内の与えられた部屋で、エイナルはアーネに紙の束を渡した。
「何ですか、これは?」
「フェーンストレムの政治資料だ」
「ど、どこで手に入れたんですか、そのようなものを」
「まあ、どうにかな」
アーネは小さく笑った。
「ウルリーカ様ですか? どうにか仲良くやっているようですが」
「……この資料はすぐに戻さねばならん。速読の訓練は受けているんだろう?」
「ええ、一応ですけどね」
アーネは紙の束をぱらぱらとめくり始めた。
三十分もしないうちに、その作業は終わった。
かくして、城砦都市フェーンストレムは、政治面軍事面ともに、全ての情報を共和国軍の前に晒されたかに思われた。
「……これによりますと、どうやらフェーンストレムは友好的な方針にあるようですね」
「そうか」
エイナルはほっとしながら応じた。
「でも、最後に判断するのはクリスティーナ様ですから、まだわかりませんけど」
アーネは書類を閉じつつ、笑って言った。
「結論を言う。フェーンストレムを敵性と判断し、城主シーグル伯爵とその一族を処罰する」
翌日、調査結果を携えて帰還したエイナルたちの報告を聞いてクリスティーナの発した言葉は、それだった。
「え……?」
天幕の中にはクリスティーナとエイナルとアーネとメルタ。
いつものメンバーの中で、抗議の声をあげたのはエイナル一人だった。
「ちょ、ちょっと待ってください、クリスティーナ様。フェーンストレムが敵……なんですか?」
「ああ。何を驚いている? 元々その可能性は十分にあっただろう」
「いえ、し、しかし……」
昨日自分を含めた代表団が調査した結果と、エイナルがウルリーカを通して入手した資料から判断して、フェーンストレムは友好的な都市だとエイナルは報告していた。
「貴様の報告はあくまで判断材料の一つに過ぎない。決めるのは私だ、エイナル」
「それは……そうですが」
「アーネの方からの報告もあってな。敵と判断するのが適切だと考えた」
「アーネの調査結果は、どのようなものだったのですか?」
「食糧の流通に関する調査を命じていた」
クリスティーナは説明した。
「半年間、王国勢力圏内に孤立していたのだ。包囲されている以上物資の出入りは一切無い。市民の食糧事情に変化が出るのが普通だろう」
行政の資料はごまかせても、人々の経済活動はそうそうごまかすことはできない。
アーネは街の商店などを巡り、複数の商人が外部と商取引をしていたことを突き止めていた。
「つまりは、ベルイマン側の包囲はポーズだったということだ。本気で攻めるなら兵糧攻めをするはずだからな」
「しかし、私の調査では……」
「簡単な話だ。貴様は偽の情報を掴まされたということだろう」
クリスティーナは一言のもとにエイナルの意見を切った。
「奇襲をかけるぞ。フェーンストレムには既に私たちが向かうことを伝えてある。連中、城門で城主自ら出迎えてくれるそうだからな。出会い頭で首をとってやる」
「しかし……クリスティーナ様」
食い下がるエイナルに、クリスティーナは眉をぴくりと動かした。
いかにも不快だというような表情だった。
「なんだエイナル。随分しつこいな」
「問答無用で殺すには、若干証拠として薄いのではないのでしょうか。商人だって生活がかかっている以上、命がけで商売をやっているのです。
彼らの手法が、ベルイマンの監視を超えるものであったとしても不思議ではありません。実際、ベルイマンもフェーンストレムに残していた兵は少数だったわけですし……」
「そうだな。結局のところ、確証は持てん。だが、少しでも疑いがある以上、殺せる機会に殺しておいた方が楽で安全だ。だからそうするというだけのことだ」
「しかしそれでは、諸侯を怯えさせることになります」
「ほう?」
クリスティーナは椅子に座って脚を組んだ。
長年の経験から、アーネとメルタには、それが彼女がいらついている時の仕草だとわかっていた。
「また突然だな。まあいい、聞かせてみよ」
「失礼ながら、共和国貴族の中には、クリスティーナ様を恐れている者たちも多くおります。今回の件については、外部者の彼らから見れば、クリスティーナ様に対してあくまで従順な態度を示していたフェーンストレムが、いわれ無き処罰を受けたように見えるでしょう。
そうなると、クリスティーナ様は貴族に対して理不尽な行いをする人物として、さらに彼らの心が離れていくことになります。先のことを考えると、そのような事態は、決して望ましいことではないかと思われます。同じ戦うにせよ、敵を減らして味方を増やす戦いとするべきです」
懸命に思うところを伝えるエイナルに、クリスティーナは冷たかった。
「必死だな、エイナルよ」
「それは……クリスティーナ様の今後のためにも……」
「私のため? 例の女に裏切られたと思いたくないからではないのか?」
「例の女とは……?」
「あれだよ。貴様の元婚約者。ウルリーカとか言ったか。貴様の言う資料は、奴との接触の結果得られたものなのだろう?」
「そうですが……」
そうなのだろうかと、エイナルは思った。
自分はウルリーカに裏切られたと思いたくないゆえに、クリスティーナの判断に抗おうとしているのだろうか。
「……そんなことはありません。私が考えるのは、最終的な共和国軍の利益のことだけです」
「自分でも気付いていないだけだ。くだらん女にひっかかりおって。その女が工作活動として貴様に偽の資料を流したのでないと、どうして言える?」
「私もそれは常に考慮しておりましたが、信頼するに足ると判断をしました」
「だから、その根拠はどこにあるというのだ?」
「それは……」
あの時、何だってできると言った時に彼女が浮かべていた涙。
そこにエイナルは心を動かされていた。
そしてそこに、彼女を信じる論理的な根拠は何一つ無かった。
「言えぬのか」
「……彼女の態度から、です」
「態度、ね。女は自身の利益のためならいくらでも嘘をつく。平気な顔で男を騙し、利用する。わからぬか」
クリスティーナは吐き捨てるように言った。
「普段の貴様なら、もっと冷静に事の軽重を判断できるはずだ。今後のため? 明日殺されたら今後も何もないだろう。証拠が薄いだと? 私は自分が殺されてからでないと連中を処罰できぬのか」
「それは……」
「……これだけ言っても、貴様の考えは変わらぬか。連中を奇襲で殺す、この処罰には反対だと、言い続けるのか」
「いえ。私はクリスティーナ様の臣ですから。クリスティーナ様の決定に従います」
「私はそんなことを望んでいるんじゃない!」
クリスティーナはエイナルを怒鳴りつけ、机を拳で叩いた。
同時に、机の上に置かれていたティーポットが、触れられてもいないのに粉々に砕け散る。
感情が昂ぶるあまり、彼女の魔力が漏れ出てしまった結果だった。
「……よろしい。エイナルよ。私から貴様に証拠を示してやろう」
「証拠……ですか?」
「ああ。明日、フェーンストレム入城の折には、最低限の兵しか連れずに行く。出会い頭の奇襲は無しだ。連中が本性を露わす様を貴様に見せてやる」
「姫様……! そんな……!」
アーネとメルタが慌てて諫めに入った。
「危険です。おやめください」
「問題無い。エイナルに女を見る目を養っておくことこそ重要だ。この有様では、今後も色香に迷って判断を誤らないとも限らないからな」
クリスティーナはエイナルをぴしりと指でさし、命じた。
「明日、私と貴様と、近衛騎士団の選抜隊のみで先行して入城する。シーグル伯とその娘には、私がフェーンストレムでの歓待を大いに期待していると伝えておけ」
「クリスティーナ様……私は……」
「もう寝る。貴様も寝ておけ。剣の手入れを忘れるなよ」
エイナルの言葉を聞こうとはせず、クリスティーナは踵を返すと天幕の奥の寝所へと姿を消した。
クリスティーナが行った後もその場に佇んでいたエイナルに、アーネとメルタが声をかけた。
「姫様の言う通り、エイナル様もお休みなさいませ」
「そうです。気にしても始まりませんわ。これからできることは、万が一の時に姫様をしっかりとお守りすることだけです」
二人は笑顔でエイナルの肩にそれぞれの手を置いた。
「誰が悪いわけでもありません」
「姫様も人である以上、ああやって意固地になることがあるんですのよ」
どうやら慰めている様子の二人に礼を言い、エイナルは天幕を後にした。
翌日、クリスティーナは、エイナルと精兵二十名を連れて、フェーンストレムに入城した。
城主シーグル伯爵は、それを城門で出迎え、クリスティーナも笑顔で受けた。
クリスティーナの一行は早速街の中心の城に通され、歓待の宴が催されることとなった。
大広間へと案内され、眼下に広がるフェーンストレムの街並みを眺めながらの立食パーティで、貴族や商人たちと歓談する。
その中で、かねて命じられていた通り、エイナルはクリスティーナの傍を片時も離れなかった。
「私の傍を離れるなよ。酒も食べ物も我慢しろ。私と違って、お前は毒を盛られたらお終いだからな」
入城前のクリスティーナの言葉を思い返しながら、何か異変があった時にすぐに対応できるよう、注意深く周囲を見ていた。
エイナルたちと共に来た精兵たちは最低限の武装をし、普通に飲み食いをしていた。
彼らは魔術師としての能力を有する兵であり、クリスティーナほどではないにしろ毒に対する抵抗力を持っていたため、ある程度の自由が認められていたのだ。
とはいえ、あらかじめ相手からの奇襲を待ち受ける作戦であることを伝えられていたため、はめを外す者はいなかった。
クリスティーナのもとには、街の有力者たちが次々に挨拶に来た。
「クリスティーナ様……この街を、この国を、そのお力でどうかお守りください」
「私どもにできることがあれば、何なりとお申し付けください」
「今後はクリスティーナ様に、ますますの忠誠を誓います」
彼女の武勇を称え、恭順の意を示す貴族や商人たちに、クリスティーナはいかにも姫君らしい丁寧な仕草で応じた。
「こちらこそ、未熟な身でありますゆえ、皆様にお力添えをいただくことも多々あると思います。どうぞよろしくお願いいたします」
クリスティーナのその態度に、挨拶に来た者たちは一様に驚いた顔を見せていた。
「やれやれ。連中の想像の中では、私はよほど礼儀のなっていない小娘だったらしいな」
「彼らは、元老院の流した噂しか知りませんからね」
そういうエイナルも、普段さっぱりとした物言いをするクリスティーナが淑やかに話している様子を見ていると、つい可笑しく思ってしまう。
笑いをこらえるエイナルを不審げに見るクリスティーナに、また挨拶に来る者がいた。
「姫様、お初にお目にかかります」
薄灰の髪を揺らし、桃色のドレスをまとった少女が頭を下げる。
「私、フェーンストレム城主、シーグル伯が娘、ウルリーカでございます」
「貴様……あなたが、ウルリーカ嬢ですか。エイナルから話は聞いております」
緊張の面持ちのウルリーカに対し、クリスティーナは満面の笑みで応じた。
「このたびは、私たち共和国軍とフェーンストレムの友好のために、良く働いてくれたそうですね。心より礼を申し上げます」
「姫様、そんな……!」
頭を下げるクリスティーナに、ウルリーカは慌てた様子で、顔の前で手を振った。
「私たちはもとよりこの国の臣民です。結束することが当然なのです」
「そう言っていただけて何よりです」
クリスティーナがウルリーカに右手を差し出し、二人は穏やかに握手を交わす。
そうして、笑顔のまま、クリスティーナはウルリーカの右手を強く、強く握りしめた。
「っ……! 姫様……?」
「ウルリーカ嬢、お聞きしたいのですが、この広間は最近改築が行われましたか?」
「いえ、そのようなことはございませんが……」
「嘘をつくな。街の石工たちに確認済みだ。部屋の壁を張り替える工事を行ったのだろう」
不意に鋭い目つきになり、口調も変わったクリスティーナに、ウルリーカは思わず身を震わせた。
「……! ……はい。姫様をお出迎えするためということで、急ぎ飾り立てるように改築をいたしました。しかしもとは迎える準備が無かったなんて、身内の恥でありますので、伝えるのをためらってしまって……」
「なるほどな」
クリスティーナがウルリーカの右手を離した。
「あの……姫様……? 私……」
「話はわかった。気にせず行ってくれ。少し酔ってしまったようなのでな」
「でも……」
「去れ」
クリスティーナの視線の威圧感に耐えかねて、ウルリーカはそのまま退いた。
不安げな眼差しでエイナルを見るも、エイナルは硬い表情のまま、何ら応じることはなかった。
ウルリーカが居なくなった後で、エイナルが苦々しげに呟いた。
「クリスティーナ様、今の話は……」
「ああ。石工の話もアーネが得てきたものだ。封魔の石材がこの広間全体に張り巡らされているようだな。
私が幽閉されていた間に少しは技術が進歩したのか……見た目には簡単にわからぬし、私も今に至るまで魔力を抑えられていることに気がつかなかった。遅効魔術というのだろうが、見事なものだ」
クリスティーナは不敵に笑った。
「連中、どうやらラベリを踏襲するつもりらしい」
「クリスティーナ様、申し訳ございません。私は……また……過ちを犯してしまったようです」
ラベリの名を聞き、エイナルは俯いた。
かつてクリスティーナをラベリの館に行かせ、死の危険にさらしてしまった自分――
あれだけ後悔をしながら、また同様のことをしてしまったのだという思いが、エイナルの心の内に強烈な自己嫌悪の感情を呼び起こしていた。
「暗い顔をするな、エイナルよ。こちらまで気が沈む」
「は……申し訳ございません」
ふむ、とクリスティーナは白いドレスに包まれた細腰に手をかけ、頷いてみせた。
「とはいえ、貴様は真面目な男だからな。落ち込むなというのも無理な話か」
「いえ。クリスティーナ様の仰ることでしたら、私は……」
エイナルの言葉を、クリスティーナは手で制した。
「待て。それ以上は言うな。また怒ってしまいそうだからな」
「……?」
クリスティーナは軽く咳払いをして、エイナルを正面から見つめた。
「……確かに今回のことで、貴様にはいくつか改めてもらわねばならないところはある。まあ、その、女を見る目はその最たるものだが……。いずれにせよ誤解して欲しくないのは、私は貴様に反省を求めても、服従は求めていないということだ」
クリスティーナの透き通った青い瞳が、エイナルをひたと見据える。
宴のざわめきの中、クリスティーナは静かに、しかし彼女の想いを込めて、言葉を紡いだ。
「今回はたまたま私が正しく、貴様が間違っていた。だが、私が間違っていることだってこの先いくらでもあるだろう。
その時に、正確な判断のもと私に意見するのは、貴様でなければならない。私が唯一最後まで信じると決めた、貴様でなければならないのだ」
「クリスティーナ様……」
「他の者が言ったのでは、私は自分が納得するまで決して考えを改めることはないだろう。しかし貴様の言うことなら、納得できなくでも信じて、考えを改めることができる。
だから、服従はするな。私に思う全てをぶつけて、必要なら私を導いてくれ。私は貴様に服従されても……貴様とそんな関係になっても、嬉しくないのだ」
クリスティーナは視線を逸らし、会場の遠く離れた場所にいるシーグル伯爵を見た。
ちょうど、ウルリーカと何やら話をしているところだった。
「……今回ここに来たのも、エイナル、貴様の言うことに一理あると思ったからなのだぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。貴族たちの反発心を煽るのはよろしくないと貴様は言ったな。あの時は私も少々気が荒れていて、あんな態度を取ってしまったが……貴様の言う通り、味方を増やす戦いをしようと決めたのだ」
しかし、とクリスティーナは続けた。
「絶対に許せない者たちもいる。それは仕方ないことだ」
遠く距離をおいて、クリスティーナとシーグル伯爵の目が合った。
次の瞬間、勢いよく大広間の扉が開け放たれ、銀の鎧を着込んだ兵士たちが流れこんできた。
会場のあちこちから驚きの悲鳴が上がる。
何が起こったのかと戸惑う人々がいる一方で、彼らを壁際に誘導する者たち、剣を抜き兵士たちに指示を出す者たちが迅速に動いていた。
宴の会場は一瞬のうちに、クリスティーナを包囲する戦陣へと変わった。
部屋の中央にクリスティーナとエイナル、近衛騎士団の精兵二十名が集まり、それを囲むようにフェーンストレムの貴族と数十名の兵が、さらにその外側に商人や貴族の子女たちが怯えた様子で立っていた。
「お互い猿芝居はここまでか」
クリスティーナが笑って言った。
「さすがは暗黒神の娘ですな。相当に毒を盛ったのに、酔ってしまったという程度とは……」
「そうか。毒も盛っていたか。ラベリのおかげで体が慣れたのかも知れぬな。大して変わりないようだ」
クリスティーナは自らを囲むフェーンストレムの一団を見回した。
「この程度の兵で足りるのか? ラベリは数百名は用意したぞ?」
「まだまだ、広間の外にたくさんの兵が控えております。姫様……ラベリ公爵は失敗したが、私は違う。準備に準備を重ねましたからな。もうお気づきのようだが、この広間に張られた封魔の結界は特殊なものです。
完全に効力を発揮するのには時間を要する。逆に言うと、今あなたを囲む我が城砦都市の精鋭たちは、しばらくの間は魔術を行使できるということです」
言って、シーグル伯爵は静かに剣を抜いた。
「ほう……自身も戦うのか」
「城砦都市の貴族がなぜ貴族たるか。それは街を守る力に優れていたからです。我々一人ひとりが強力な兵なのですよ。姫様……」
そこには鷹揚に笑う老人の姿は無かった。
数十年の長きにわたって要衝を守り抜いてきた、老獪な戦士の姿があった。
「我々の全力と、封魔に抑えられたあなた様のお力。勝負です」
シーグル伯爵が剣を振り上げる。
突撃の合図に備えて城砦都市の兵たちが身構え、鎧の鳴る音が響く。
「待て。シーグルよ。最後に一言言っておきたい」
「よろしいでしょう」
「ベルイマンに付いたのは、我が方が負けると、そう考えたからか」
「そうなりますな」
「力不足と見られたか……ならば」
クリスティーナは胸を張り、フェーンストレムの貴族たちを、商人たちを、その子弟たちを、鋭い眼で見た。
「聞け! フェーンストレムの臣民よ! これより我々は互いが決死の戦いに臨むことになる! この戦いの中で、私の……我々の力を認めたならば、即座に降伏するが良い! 今後の忠誠と引き換えに、命は助けてやる! 暗黒神の娘の力を、しかと確かめよ!」
朗々と響かせたクリスティーナの言葉が終わると同時に、シーグル伯爵は剣を振り下ろした。
フェーンストレムの兵と貴族が、一斉にクリスティーナたちに襲いかかった。
第一陣は、クリスティーナの放った炎に為す術も無く焼き払われ、全員が膝から下を残して塵となった。
「クリスティーナ様。魔力はいかがですか?」
「遠距離は無理だが、周囲には行使できるな。エイナル、兵たちを私の周囲から離さないようにせよ」
第二陣はさらに多人数で、クリスティーナたちを完全に囲むようにして切りかかって来た。
同時に、シーグル伯爵の前に控えた魔術師の一団が氷魔術を放ち、弓兵が周囲三百六十度から満遍なく矢を放つ。
クリスティーナの眼前に現れた無数の鋭い氷塊は黒い炎の前に消え失せ、向かってきた矢も見えない壁に阻まれたかのように弾かれたが、ほとんどの兵は打ち洩らされ、クリスティーナと近衛兵たちに刃が届くこととなった。
が、そこは選び抜かれた精兵というだけあり、エイナルも剣を振るって、難なく第二陣も撃破した。
「なるほど。確かにラベリよりは考えているようだな」
「あの氷魔術は厄介ですか?」
「正直、な。矢のように分散してくれれば周囲に均等に壁を張るだけで済むが、ああして一点突破の攻撃を混ぜられると、どうしてもそちらに力を傾けざるをえん。処理が複雑になる分、攻撃で打ち洩らしが出てしまう」
「そこまで計算してやっているのだとしたら、大したものですね」
「ああ。連中、今ので有効な攻撃方法と判断しただろう。どんどん仕掛けてくるぞ」
非戦闘員は広間の外に退避させられ、その分を進入した兵が埋める。
魔術師と弓兵と歩兵による、間断の無い波状攻撃が始まった。
クリスティーナたちも敵軍も、必死の戦いだった。
死体の山が積みあがるも、またすぐに兵は補充された。
圧倒的な多数対少数の戦いにも関わらず、クリスティーナの一団はよく戦ったが、次第に疲弊していくことは避けられなかった。
一人、また一人と負傷し、少しずつ包囲の輪を縮められることとなった。
「……やはり、あの魔術師どもを何とかせねばならぬな」
「ええ。一応、策はあります」
「申してみよ」
炎が肉を焦がす臭いの漂う中、クリスティーナとエイナルは肩を並べて戦いながら、言葉を交わした。
「シーグル伯の周囲の魔術師たちも、そろそろ封魔の結界の影響を受けて魔術を使えなくなり、退くことになるでしょう」
「だが、またすぐに別の魔術師が補充されるのだろう?」
「補充されないようにすればよいのです。幸い、広間の扉は、あちらの一か所のみとなっております」
「……なるほどな。戦死者が出ることは避けられぬか」
クリスティーナはエイナルの策を瞬時に理解し、苦い顔をした。
「今我々が、一回の突撃に対して処理している敵は二十名ほど。この広間の中に入る敵は百名ほど。……数刻耐えられる面子であれば、どうにか生き残ることはできると思われます」
「よし。人選等は任せる。準備ができたら言ってくれ」
「クリスティーナ様、何名でしたら同時に飛ばせますか?」
「何人でも問題は無い。こちらの戦力との兼ね合い次第だな」
エイナルは頷いて、前線から退いた。
近衛騎士団の二十名は、まだ全員が生きて戦っていた。
エイナルはその中から、負傷の無い者を実力順に四名選び、防衛線の内側に招き入れた。
「これより君たちを、あちらの扉の付近に飛ばす。君たちはどうにかして扉を閉めた後、その状態を維持してくれ。外には敵がひしめいている……極めて危険な任務だが……」
選ばれた四名は一様に頷く。
近衛騎士団長である女性騎士、ディアナ・バルテルスが力強く言った。
「姫様が勝利するなら、我々はその務め、何としても果たしましょう。扉の外でなら、我々も魔術を行使できますので。戦い抜いてみせますよ」
笑ってみせる騎士たちに、エイナルは、
「すまない……。何としても数刻で終わらせる。必ず生き延びてくれ」
と頭を下げた。
そしてすぐに、他の兵たちにも指示を出した。
「これよりしばらく、クリスティーナ様の攻撃援護は無くなる。その間君たちには敵の全てを相手してもらわねばならないし、クリスティーナ様を守るために防衛線を広げてもらうことになる。辛い戦いになるが、今しばらく耐えてくれ」
「お任せを」
敵を切り捨てた一人が言った。
他の者は言葉を発する余裕は無かったが、エイナルの指示通り素早く防衛線を広げ、クリスティーナを前線から下げた。
「クリスティーナ様。準備が整いました」
「よし、いくぞ」
騎士団長のディアナを含んだ四名が、クリスティーナの周囲に立った。
「封魔の結界の中で私ができるのは、最初の一投だけだ。離れてしまえば力は及ばぬので、着地時の調整などはできない。各々上手くやってくれ」
四人が頷く。
次の瞬間、ちょうどラベリ公爵を処分した時のように、クリスティーナは見えない力で四人を扉の方向に向けて跳ね飛ばした。
取り囲む兵たちの頭上を越えて、近衛兵たちは扉の外へと一直線に投げ出された。
落下する直前、ディアナは空中で身をよじるようにして手を振るい、起こした風で敵兵を薙ぎ払って、敵中に空いた空間に着地した。
「扉を!」
ディアナの叫びに、シーグル伯爵は顔色を変えた。
「いかん! 奴らを殺せ!」
しかし、ディアナたちの行動は素早かった。
封魔の結界を逃れたディアナは、次いで起こした風刃で廊下に控えた敵兵を薙ぎ倒した。
間髪いれず、もう一人の近衛兵が風刃に耐えていた控えの魔術師の元まで駆けて、袈裟がけに斬り殺した。
残る二人は広間の扉を閉めて、内部から簡単に開かぬよう、床に氷塊を作り出した。
「よし。一人は扉を見張れ。内部から壊しにかかるなら、すぐに報告せよ」
言って、ディアナは廊下の先を見た。
数えきれない兵たちが、隊列を組んで向かってきていた。
「同時に相手をすることになる数は限られている。各個撃破を続ければ、我々の勝利だ」
必ず生き延びてくれ――
そう言ったエイナルの顔を、ディアナは思い返した。
「生きて帰りますよ。姫様と……あなたのために」四人を飛ばしたクリスティーナは、すぐに戦線に復帰した。
扉を閉められたシーグル伯爵は、数名に扉の破壊を言い渡し、他の者たちには総攻撃を命じた。
封魔の結界の影響下で魔術を行使できる者たちがいたからこそ、戦力が拮抗していたのだ。
今広間の中にいる魔術師たちの魔力が完全に封じられれば、勝負がどちらに流れるかは明らかだった。
いずれにせよ、増援を断たれたフェーンストレム軍は一回の突撃ごとに数を削られ、次第にクリスティーナたちに前進を許すことになった。
ついに魔術師の一人が氷魔術を放たなくなった時、クリスティーナはシーグル伯爵に呼びかけた。
「諦めろ。わかっているだろう。もう貴様は詰んでいる」
「まだまだ……外の四人さえ破ることができれば……!」
「そうだな。私も情けをかける余裕など無かったな」
クリスティーナの軍勢は攻撃をしのぎながら、少しずつシーグル伯爵に迫った。
ついにシーグル伯爵の周囲に配された魔術師たちが全員魔術を封じられた時、趨勢は決定的なものとなった。
クリスティーナは魔術の防御に当てていた力を完全に攻撃に回し、襲いかかる敵をあらかた焼き尽くした。
ここに至って、広間に留まって兵たちを指揮していたフェーンストレム貴族は、一人、また一人と降伏し、剣を捨てた。
「よし。武装を剥がしてまとめておけ」
近衛騎士団に一言命じて、クリスティーナはシーグル伯爵の元へと、血に染まった床の上を歩いて行った。
「貴様は最後まで降伏をしないのだな」
「許していただけるとは思っておりませぬゆえ」
「よろしい」
クリスティーナはシーグル伯爵も同様に捕虜とすることを命じると、扉へと向かった。
「行くぞ、エイナル。残敵の掃討だ」
「はっ……」
扉の外に呼びかけ、扉を開かせる。
ディアナたちは傷を負いながらも、どうにか敵を退けていた。
「姫様……!」
「待たせたな。少し休んでおけ」
「いえ。私は大丈夫です。姫様の戦、お供させていただきます」
クリスティーナとエイナル、ディアナの三人は、投降を呼びかけながら城内の敵を掃討していった。
シーグル伯爵が捕虜となったことから、ほとんどの敵は戦意を喪失していて、皆呼び掛けに応じて武器を捨てていった。
夕刻、共和国軍本隊の入城を前に、フェーンストレムは完全にクリスティーナの指揮下に置かれることとなった。
「さて……降伏しなかったのは貴様のみだ。シーグル伯爵よ」
両手を縛られて床に座らされたシーグル伯爵と、娘のウルリーカを前に、クリスティーナは言った。
広間にしつらわれた椅子に座り、傍にはアーネとメルタ、そしてエイナルが控えている。
先ほどの戦闘の跡は綺麗に片づけられていたが、広間には西日が差し込み、床を真っ赤に染め上げていた。
「私に反逆した以上、どうなるかはわかっているな」
「覚悟はできております」
シーグル伯爵は静かに続けた。
「しかし、ウルリーカの処刑はどうか許していただけないでしょうか。私はこの娘を使ってエイナル殿に偽の情報を流しましたが、娘は……ウルリーカは、私の意図など知らず、ただ己の感情に忠実に動いたのみなのです。私がこの娘の想いを利用しただけなのです」
シーグル伯爵とウルリーカがエイナルを見た。
エイナルは首を横に振った。
「シーグル伯爵、お分かりでしょう。反乱は一族全員が処罰されることが決まっております。あなたの言葉が本当であれ嘘であれ、ウルリーカは処罰を免れえない。それが抑止力であり、あなたのしたことはそれだけ大きなことなのです」
言って、エイナルは剣を抜いた。
「むぅう……」
「エイナル……」
シーグル伯爵が唸り声をあげる一方で、ウルリーカはエイナルの名を呟いて涙をこぼした。
「……仕方ないものね。いいわ。あなたに殺されるなら。ただ、信じてほしいの。私には、あなたを裏切るつもりは無かったと」
「……すまない」
エイナルが剣を振り上げた、その時。
「待て」
クリスティーナがあからさまに不機嫌そうな声で止めた。
「クリスティーナ様?」
「エイナル。貴様、信じたのか。今の、その女の言葉を」
「え、いえ……いずれにせよ、私は両名を切ることにためらいはありません」
「信じたのかどうなのか、聞いているのだ」
「正直、わかりません。私には彼女の言が真実なのか……判断しかねます」
「ふむ」
クリスティーナはメルタに視線をやった。
「薬の用意はあるか?」
「はい。大抵のものをお持ちしております」
「この女に一番強力な薬を注げ。壊れてもかまわぬ」
メルタはいそいそと、傍らに置かれた鞄を開き、いつか見た銀色の漏斗を取り出した。
アーネは心得たもので、ウルリーカの上体を床に押し倒すと、尻を突き出させる姿勢にして、するりと下着を下げた。
「い、や……! 何を……!」
悲鳴を上げるウルリーカに、メルタが優しく囁きかけた。
「いいことですよ、ウルリーカ様。うまく姫様のお気に召せば、命が助かるかもしれません」
「え……?」
混乱の中にあるウルリーカをよそに、メルタはずぶずぶと彼女の尻の穴に金属の管を沈めていく。
そうして、慣れた手つきで漏斗に透明な液体を注ぎ始めた。
「あ、あ……なに……? やぁあ……」
薬の効果は劇的に表れた。
ウルリーカは床に顔を押しつけ、尻を突き出したままで身をよじり、悩ましげな声をあげた。
「ふぁあ……! あっ! んふぅう……! んん……!」
ぷしゅ、とはじけるような音を立てて、ウルリーカは小便を漏らしてしまう。
捉えどころのなかった虚ろな目を、さらにとろけさせて、ウルリーカは小便を垂れ流しながら腰を上下した。
「ああ……! や……熱い……あああ……!」
髪と同じ薄灰色の陰毛の中に、肉の花びらが真っ赤に充血しているのが見て取れる。
ウルリーカはたまらず、足を広げた蛙のような姿勢で小便に濡れた床に寝そべり、秘所を床にせわしなく擦りつけた。
「ああ……ああああ……! いい……! あそこ気持ちいい……!」
「ふふ……そこを弄ると解消されることは知っていたか。なかなか耳年増なご令嬢だな」
クリスティーナは笑いながら、シーグル伯爵を見た。
「さて……父娘相姦は先日見て飽きがあるからな。ここはまた違った余興と行くか」
「兵たちを呼びますか?」
メルタの問いに、クリスティーナは頷いた。
「そうだな。今回の戦いで勲功のある、近衛騎士団の四名を呼べ。……と、団長のディアナは女であったか」
「では、ディアナを除いた三名を?」
「そうだな。ディアナにはまた別に褒美をくれてやることとしよう。それ以外の三名を呼べ」
数刻後、部屋に通された近衛騎士団員は、一人だけであった。
「三人のうち二人は重傷を負っていて、怪我の治療中です」
「よろしい。一人いれば十分だ」
アーネの報告にクリスティーナは頷く。
騎士団員はというと、いまや父親の肩に股間を擦りつけて咽び泣く伯爵令嬢の姿を見て、唖然としていた。
「ひ、姫様、これは……」
「今回の戦利品だ。貴様が好きにしてよいぞ」
「はっ……しかし……」
「あまりに好みでないなら強制はできぬがな。ただ、私も昼の戦いでだいぶ魔力を消耗してしまったのでな。協力してもらえると非常にありがたい」
その言葉に、近衛騎士団員は頷いた。
クリスティーナの魔力の補充のためという大義名分を得て、良心の壁を乗り越えてウルリーカに近付く。
アーネとメルタが彼のためにウルリーカを床に引き倒し、その股を限界まで割り広げた。
「あ……ああ……!」
ぬらりと濡れた秘所が衆目に晒されるも、ウルリーカはもはや快楽のことしか考えられなかった。
「早く……! おまんこ早く何とかしてください……!」
薬に精神を壊され、ウルリーカは自らの秘所を両手の指で広げて懇願した。
「お願い……! 私を……気持ち良く……!」
団員がアーネに促されてズボンを下ろし、勃起したペニスをウルリーカの充血した秘所に押しあてた。
そうして腰を前に突き出し、伯爵令嬢の膣に一兵士のペニスが少しずつ呑みこまれていった。
「はぁ……ああぁあ……!」
初めての体験だというのに、ウルリーカは悦楽の声をあげてしまう。
団員は無我夢中で腰を動かした。
「は! ああ! んはぁあ! あああ……!」
間断なく声を上げて顔をのけぞらせるウルリーカを見ながら、クリスティーナはエイナルに問いかけた。
「どうだ。元婚約者が犯される姿は」
「特に感慨はありませんね」
「本当か?」
クリスティーナはエイナルの股間をちらりと見たが、これまでと変わらず、こんな状況を目にしても彼のそこは変化の無いままだった。
「ふむ……相変わらずだな、貴様は。だが、どうやらウルリーカに未練が無いというのは本当らしいな」
「はい。嘘偽りありません」
クリスティーナはウルリーカと騎士団員の方を見た。
ドレスを剥かれ、形の良い乳を揺らしながら、ウルリーカは後ろから突かれて涎を垂らしていた。
「いいっ……! いいっ! 来ちゃいますっ! あ、あ! 何か来るの! いいっ……!!」
肉と肉のぶつかる音がして、ウルリーカはがくがくと体を震わせた。
「そろそろか……」
クリスティーナは呟くとエイナルに命じ、四つん這いで乱れるウルリーカの前にシーグル伯爵を座らせた。
「どうだ。娘が初めての絶頂を迎えようとしているぞ」
「……」
俯いたまま、シーグル伯爵は答えなかった。
一方で、父親が目の前に居るというのに、ウルリーカはだらしない顔をさらしたままで性の快楽に完全にはまり込んでいた。
「あふ! んがっ! ふぅうぁああぁあっ〜! いくっ! まんこいくっ! いくっぅううう!」
舌を突き出して白目をむき、ウルリーカは再び小便を漏らしてしまった。
その瞬間、クリスティーナが鋭い声でエイナルに命じた。
「エイナル! シーグルの首をはねよ!」
「……!」
握っていた剣で、エイナルはシーグル伯爵の首をはねた。
苦々しい表情のままの首が床に転げ落ち、血が盛大に噴き出す。
その飛沫が、絶頂のただ中にあったウルリーカの舌に付いた。
「あひゃ! お、お父様ぁああぁいぃいいいっ! お、おと……! んひゃぁあ!」
涙を流しながら為す術も無くいかされるウルリーカを、クリスティーナが嘲るように笑った。
「父親の首が目の前で無くなっても絶頂は止まらぬか。業の深い女だな。エイナルよ、このような女に、今後引っ掛かってはならぬぞ」
「はっ……」
剣に付いた血を拭きながら、エイナルはしっかりとした声で返事をした。
その様子に満足げに頷くクリスティーナだったが、
「……クリスティーナ様。お気持ちはお察しいたしますが、これでは団員が続けられません」
メルタの言葉に表情を曇らせた。
見ると、先ほどまでウルリーカを突いていた騎士団員は、死体から顔を背けるようにしてウルリーカから離れてしまっていた。
「む……すまないことをしたな。せっかくの褒美だというのに」
「い、いえ。私のことならお気になさらずに」
固い顔で答える団員に、クリスティーナは笑いかけた。
「無理をするな。貴様のおかげで私の魔力もなかなかに溜まった。また別に褒美をとらせるから、考えておくように」
クリスティーナはアーネに団員の世話を言い渡し、メルタにはウルリーカを貧民街に捨て置くように命じた。
「貧民街に……ですか?」
「ああ。乞食どもの精液便所にしてやれ。自ら命を絶たない限りは、殺さずにおいてやる」
アーネとメルタが慌ただしく動きだす。
アーネと団員がシーグル伯爵の死体を運び出し、メルタは足腰の立たなくなっているウルリーカを連れだして、クリスティーナとエイナルの二人だけが広間に残された。
「……異存は無いな、エイナルよ」
窓の外、紫に染まる空を見上げて、クリスティーナは言った。
「今夜はゆっくりと休んでおけ。明日からこの城砦都市を把握する膨大な手続きが待っているからな」
「はい……」
一礼をして、エイナルは広間を去った。
その後ろ姿を見届けたクリスティーナは、椅子に腰かけて、深く息をついた。
「はぁ……やりすぎたかな」
「何がですか?」
応じたのは、団員を途中まで送って戻って来たアーネだった。
「いや……その……エイナルの様子はどうだった?」
「エイナル様ですか? ついさっきそこですれ違いましたけど……。そうですね、さすがに落ち込んでいた様子です」
「そうか……」
クリスティーナは浮かない顔で、また深くため息をついた。
「どうしたのですか? やはり戦いの後でお疲れに……? 湯浴みをいたしますか?」
「その、な。ウルリーカの件は、やりすぎたかな……と」
普段勇ましい美姫の、不安げな表情に、アーネは思わず微笑んでしまった。
あの時、先遣隊としてフェーンストレムに赴く前の夜、彼女にエイナルとウルリーカの仲を調べるよう言ってきた時のクリスティーナの表情も、ちょうど今のような具合だったと思い出す。
「姫様が気に病む必要はありませんよ。仕方のないことです」
「そう……なのか?」
「はい。それが女ってものですから」
にこりと笑って、アーネは床の血の掃除を始めたのだった。


 

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最終更新:2011年12月23日 22:42