愛浜市内線は荻沢電鉄の軌道線である。



路線デ-タ

路線名 愛浜市内線
ラインカラー なし
正式路線名 下記
運営事業者名 荻沢電鉄株式会社
区間 愛浜-西坂車庫(愛浜市内本線)他
開業年月日 1925年9月1日
廃止年月日 1970年5月22日
再開業年月日 2005年4月1日
免許区分 軌道特許
路線距離 18.5km
軌間 1067mm
駅数 37駅
複線区間 全線
電化区間 全線
電気方式 直流1500V
閉塞方式 自動閉塞(専用軌道区間のみ)
保安装置 ATS-P
運転指令所 愛浜駅愛浜市内管区
最高速度 60km/h
営業係数 75
備考 愛浜市内線は路線系統名、正式路線名は下記。電気設備技術基準に抵触するため、国土交通省特例を受けている。

概要


愛浜市内線は荻沢電鉄グループ2番目の軌道線である。
この路線は、一度廃止されたものを再び復活させた路線である。路面電車復権が叫ばれる中、2005(平成17)年に再開業した。ルーツを辿れば1925(昭和元)年に愛浜市電車として愛浜県下初の路面電車として開業したものである。新規路線とはいえ、愛浜市内で保存されていた愛浜市電末期の車輛を復籍、動態化したものや、東浜支線(→東浜市内線)で鉄道線車輛化と同時に用途を失った車輛が集結しているため、車輛によっては60年以上用いられているものもある(※4・5)。車輛以外の設備については、2009年新設区間では最新のセンターリザベーション方式や緑化軌道の導入などを実施している。荻鉄社内をふくめ、そよかぜネットワーク内では、所謂普通の路面電車が走行する数少ない路線でもある。

運行形態


全線を通して普通のみであるが、直通先の愛浜みなと線・文原線では快速運転となる列車もある。運行間隔は下記。
運賃は、市内線が均一150(80)円(5系統乗り切りは50円)。愛浜みなと線などの鉄道線との乗継の場合は均一100(50)円となる。愛浜みなと線との直通運賃の場合、愛浜みなと線の運賃が別途必要。
なお単車では原則ワンマン運転であるが、連接車および多客時にはツーマン運転となる。

尚、この路線では系統分けがされている。経由は以下を参考に。又、系統間では行き先の違う(往復乗車にならない場合)系統との乗り継ぎが可能。乗り換え電停は、本ページでは灰色に塗りつぶしてある。(※3)

系統番号 経由 運行間隔 快速運転の有無 主な運用車種 備考
1 七口〜水道局前〜桜坂聖堂前〜西坂車庫 7分 - 単車
2 文原~愛浜港〜水道局前〜桜坂聖堂前〜西坂車庫 15分 ○(1時間間隔) 連接車 愛浜みなと線直通・8系統と交互運行
3 愛浜〜水道局前〜茶屋峠~久美沢 10分 - 単車・連接車 愛浜鉄道愛浜ライトレール線直通
5 水道局前〜外間町 15分 - 単車
6 愛浜〜水道局前〜七口〜国中車庫〜愛浜飛行場 15分 - 連接車 8系統と交互運行
7R 水道局前〜七口〜国中車庫〜桜坂聖堂前〜水道局前 15分 - 単車 環状運転
8 愛浜港〜水道局前〜七口〜国中車庫〜愛浜飛行場 30分 - 連接車 愛浜みなと線直通・2・6系統と交互運行
0 回送・貸切・系統を跨ぐ区間運転 不定期 - 単車・連接車・高床車

正式路線名


愛浜市内線は国土交通省告示による正式路線名ではなく、以下の路線を総称して呼称する際の愛称名である。なお、きっぷ印字の場合は(愛)愛浜市内線内となる。

  • 愛浜市内本線-狭義の愛浜市内線。愛浜~水道局前~桜坂聖堂前~西坂車庫間。2系統市内線区間と重複する。
  • 愛浜茶屋峠線-茶屋峠支線。水道局前~本萌木1丁目~茶屋峠。3系統区間と一部重複する。
  • 愛浜飛行場線-市民からの通称、愛浜空港線。桜坂聖堂前~樹田西~愛浜飛行場。
  • 城前支線-国中車庫~青亥門~七口。一部緑化軌道。
  • 外間町線-水道局前~外間町。5系統区間と重複。

運用車両


運用中の車両に関しては車両紹介(荻沢電鉄・軌道線)も参考のこと。

愛浜市電時代は600V電圧が用いられていたが、再開業時に荻鉄既存路線との連絡や部品共用、電力融通を前提に建設されており、1500Vに昇圧されている。そのため、当時運行されていた車輛はすべて昇圧対応工事を受けている。なお、一部の車輛は注釈5にある近代化改造を受けているため、見かけの割に新車と遜色ない性能を持つ車輛も所属している。

歴史


この項目では、前身の愛浜市電に関しても記述する。
年号 できごと
1925(昭和元)年9月1日 愛浜県の県庁所在地である愛浜市の交通の円滑化を図る目的として、愛浜市交通局により、愛浜~桜坂1丁目間が開業する。
1964(昭和39)年ごろ モーターリゼーションの波に押されるように赤字転落。
1965(昭和40)年 公社化され、所有者が愛浜交通公社となる。しかし長くは続かず、赤字が市の運営を圧迫。 このころから撤去が始まる。同時に全線ワンマン化。
1967(昭和43)年 当時の屋良五郎愛浜市長の『市電は邪魔、撤去せよ』発言(※6)が波紋を呼び、さらに撤去が加速する。その際、合理化のため、専用軌道上にそのままアスファルトで埋め立てる工法がとられた(※7)。
1970(昭和45)年5月22日 愛浜市電としては廃止される。最盛期には56.2km、14系統を誇っていた路線も、末期には現在の愛浜市内本線の水道局前~桜坂1丁目間4.1kmのみが残されていた。これも軌道上のレールを撤去せずそのままコンクリートで埋めたのち、当時の市営バス専用路として用いられた。電停はバス停留所に転用された。
1996(平成8)年 金城さき愛浜市長(現職、2期おいて3期目)が個人的な旅行で行ったストラスブールで見かけたLRTに刺激され、『愛浜にもこのようなもの(LRT)が必要である』と発言。ゴムタイヤトラムや当時近隣(現在愛浜県下)で唯一現存していた荻鉄東浜支線(現、東浜市内線)などの視察を実施。愛浜市電復興研究委員会発足。
1998(平成10)年 当時の故・尾ノ井広市長により『市電復興宣言』が行われる。
1999(平成11)年 愛浜市電の復活が全会一致で決定し、荻鉄へ運営を打診。
2001(平成13)年10月1日 市電復興に協調的であったおぎてつバス・愛浜鉄道バス(※8)を除く市内を運行するバス会社の猛反発および市内バスのストライキ(当時の市営バスは地方公務員法によるスト禁止のため間引き運行など、いわゆる順法闘争)により、市電復興が一旦中断。しかしながらこれが新な争議の火種となり、市民によるバスボイコット運動に発展(※9・10)。
2003(平成15)年 正式に復興が決定し、バス路線の整理などが決定する。その際に、市電のレールがそのまま埋められたことが判明、公表された。そのレールはさすがに使いまわすことはできず、新規に調達したレールで再度敷設を実施した。
2005(平成17)年4月1日 荻沢電鉄の運行より再び開業。
2009(平成21)年3月15日 路線の拡張が行われ、2系統1路線(直通含まず)から7系統5路線へ拡充される。愛浜みなと線・文原線への直通が開始される。

駅名



愛浜市内本線(あいはましないほんせん)

愛浜市内線の中核をなす路線であり、多くの本数が運行されている。歴史的建造物が多く沿線に存在する。なお、当初の愛浜市電時代からの路線をなぞるように建設されているため、旧来の設備が多く残っている。中でも水道局前~桜坂1丁目間は愛浜市電最末期まで運行されいた区間であり、廃止後もバス専用路として残っていたため、高床ホームを設置していた荻鉄博物館前電停を除き1960年代の愛浜市電時代を色濃く残している。そのため、ロケなどでよく用いられることがあり、しばしドラマや映画、アニメなどに登場する。
駅名 読み キロ数 快速停車 備考 駅ナンバリング
2系統の列車が愛浜みなと線直通
愛浜 あいはま 0.0km 愛浜市内本線起点 AH01
水道局前 すいどうきょくまえ 0.5km × 愛浜茶屋峠線・外間町線分岐 AH02/22/32
錦町 にしきまち 1.2km × AH03
荻鉄博物館前 おぎてつはくぶつかんまえ 1.8km 高床ホームあり
博物館への展示物搬送用の引込み線有り
AH04
産業会館 さんぎょうかいかん 2.3km × AH05
桜坂シネマ さくらざかしねま 3.1km × AH06
愛浜市役所前 あいはましやくしょまえ 3.5km × AH07
桜坂1丁目 さくらざかいっちょうめ 4.1km × 愛浜市電時代終点 AH08
桜坂聖堂前 さくらざかせいどうまえ 4.6km × 愛浜飛行場線分岐 AH09/59
西坂 にしざか 5.0km 下車のみ・高床ホーム有り AH10
西坂車庫 にしざかしゃこ 5.1km 乗車のみ・終点・西坂車庫隣接・高床ホーム有り AH11

愛浜茶屋峠線(あいはまさやとうげせん)

郊外の茶屋峠地区ニュータウンと市街地を結ぶ路線。
駅名 読み キロ数 備考 駅ナンバリング
水道局前 すいどうきょくまえ 0.0km 愛浜茶屋峠線起点 AH02/22/32
小尾門 おおもん 0.5km AH23
萌木 もえぎ 1.2km もえぎホールディングス本社最寄駅 AH24
本萌木1丁目 ほんもえぎいっちょうめ 1.6km AH25
櫻並木商店街 さくらなみきしょうてんがい 2.0km AH26
七口 ななくち 2.5km 城前支線分岐 AH26/50
小藤医院前 こどういいんまえ 3.0km AH27
灯田町2丁目 とうたちょうにちょうめ 3.2km AH28
蝶坂 ちょうざか 3.4km AH29
茶屋峠 さやとうげ 3.6km 終点 AH/AI30
3系統の列車が愛浜ライトレール線直通

愛浜飛行場線(あいはまくうこうせん)

愛浜飛行場(地元では愛浜空港と呼ばれている)へのアクセス路線として開設。通称、愛浜空港線。
駅名 読み キロ数 備考 駅ナンバリング
桜坂聖堂前 さくらざかせいどうまえ 0.0km 愛浜飛行場線起点・愛浜市内本線接続 AH09/59
旅越2丁目 りょごしにちょうめ 0.5km AH60
旅越1丁目 りょごしいっちょうめ 1.2km AH61
樹田西 じゅったにし 1.6km AH62
国中1丁目 くになかいっちょうめ 2.0km AH63
国中車庫 くになかしゃこ 2.5km 城前支線分岐・国中車庫隣接 AH64/41
航空会館前 こうくうかいかんまえ 3.0km AH65
元空 もとぞら 3.2km AH66
貨物ターミナル前 かもつたーみなるまえ 3.6km AH67
愛浜飛行場 あいはまひこうじょう 4.0km 終点 AH68

城前支線(しろまえしせん)

駅名 読み キロ数 備考 駅ナンバリング
国中車庫 くになかしゃこ 0.0km 城前支線起点・愛浜飛行場線接続・国中車庫隣接 AH41
国中4丁目 くになかにちょうめ 0.5km AH42
愛浜消防本部前 あいはましょうぼうほんぶまえ 1.2km AH43
愛浜県庁前 あいはまけんちょうまえ 1.6km AH44
青亥門 あおいもん 2.0km AH45
愛浜城公園入口 あいはまじょうこうえんいりぐち 2.5km AH46
愛浜警察署前 あいはまけいさつしょまえ 3.0km AH47
名波橋 ななみばし 3.2km AH48
小中西2丁目 おなかにしにちょうめ 3.6km AH49
七口 ななくち 4.0km 終点・愛浜茶屋峠線接続 AH26/50

外間町線(ほかまちょうせん)

駅名 読み キロ数 備考 駅ナンバリング
水道局前 すいどうきょくまえ 0.0km 外間町線起点・愛浜市内本線・愛浜茶屋峠線接続 AH02/22/32
家裁前 かさいまえ 0.5km AH33
すたじおみーや前 すたじおみーやまえ 1.2km すたじおみーや本社スタジオ最寄駅 AH34
外間町 ほかまちょう 1.8km 終点 AH35

注記


※1 西坂停留所は降車のみ、西坂車庫停留所は乗車のみなので西坂停留所は厳密な意味では中間駅だが、終点として扱っているため計上していない。又、快速運転は日中のみとなる。
※2 西坂車庫ではスペースの都合上検修施設を設置できないためと、荻鉄の車輛製造部が併設されており、設備が充実しているため。
※3 系統番号4は忌み数字のため欠番。尚、荻鉄では、伝統的に忌数として、列車番号の4219と、対になる1219を欠番(死に行(逝)く)としている。
※4 このため、愛浜市電廃止時に東浜市電に移籍し、2009年の移籍で結果的に里帰りとなった車輛もある。
※5 荻鉄電車では、保存車輛の恒久保存やメンテナンスフリー化、省エネルギー化、部品メーカー撤退などによる部品入手困難のため、レストア時に制御機器(抵抗制御・サイリスタ制御・チョッパ制御からVVVF制御、IGBT素子への変更)、補助電源(MGからSIVへの換装)や走り装置(つりかけ駆動からTD平行カルダン駆動・WNドライブ駆動への変更や台車換装)を現在入手可能なのものに交換した車輛もある(近代化工事)。なお、車体や車籍については改造前のものを引き続き使用している。そのため、見かけは40年前の車輛がVVVF制御車の特徴である磁励音を立てて走るという一見不可解な現象が発生している。なお、この制御機器・補助電源・走り装置改造工事については荻鉄の保存車輛のほとんどに実施(70年以上使用されており、県指定産業遺産として認定されている100系1000番台車、を除く)する予定であり、これにより路線全体の速達化を図る見込み。なお、従来の車輛でもGTO素子を搭載している車輛についてもIGBT素子への交換を図る。これは荻鉄の方針として、車体はできるだけ製造当初のものを残しつつ、速達化を図るための苦肉の策としてあみだされたもの。愛浜市内線の車輛についても例外ではなく、また特に愛浜市からの旧愛浜市電車の保存を強く要請されているためこのような方式がとられている。
※6 「今や赤字で市民の税金の無駄遣いとなっている市電なんてこの際切り捨てるべきだ。それよりは市営バスに力を注ぎたい。市電なんて邪魔者だ、そんなの撤去してしまえ。」愛浜市議会発言録、1967年6月21日、愛浜日報1967年6月22日付朝刊掲載。
※7 当時は秘密裡に実行されたため、市民も何故このように撤去が早いのか不思議に思っていた。なお、当時の作業員の一部から情報が漏れたが、都市伝説の1つとしてまことしやかに語られていた。なお、2005年の再敷設の際に公表されているため、都市伝説の域については脱している。1967年以降に埋められた区間では、愛浜市内線として復活した区間以外は現在のところ掘り起こす予定はない。
※8 おぎてつバスは受託予定である荻鉄の直営、愛浜鉄道バスは元鉄道会社系であるため今回の事業については協調路線だった。
※9 そのためこの日はまともに運行していたおぎてつバスおよび愛浜鉄道バスに客が殺到し、長蛇の列が発生した。また、余りにも車輛が不足したため廃車する予定だった車輛を急遽復籍したり、他地区や他地区同業他社から借り入れたりしたがそれでも間に合わなかった。そのためこの日を「暗黒の月曜」と報道された(愛浜日報、東浜新聞、田原日報、南部共同通信など)。
※10 このボイコット運動には、市交通局や運営会社の財政が悪化したため協調路線に転じる発表をする2002年3月15日までの、のべ165日間にわたって行われた。
※11 大見氏は学生時代に元愛浜市電の車掌を経験したことがあり、学生時代に愛着のあった同車(67号車)を購入し、展示に踏み切ったという。愛浜市電復興を聞いた大見氏は『また動くこいつ(67号車)に乗れるのならぜひ』と譲渡を決意したとのこと。

関連項目



編集履歴ノート


  • ページ新設 -- 亀山茂則 (2009-03-08 11:31:51)
  • 車輛について拡充。歴史欄拡充。 -- 亀山茂則 (2012-02-10 16:21:28)
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最終更新:2014年10月10日 14:33