学校責任者・教師たち

2007-09-21 22:33
終局

今日学校はマスコミの前でいじめを認めた
以上

自殺当時、生徒会役員だった者のHP日記

(学校側がはじめて公式にいじめを認めた9月21日の謝罪会見)

理事長 瀧川好庸(たきがわよしのぶ)

1942年9月11日、兵庫県西宮市に生まれる。趣味は読書。創立者 瀧川辨三の血を引く瀧川学園の理事長。
帝国データバンクの人名録によると、現住所は東京都品川区東五反田3丁目、清泉女子大学に程近い閑静な住宅街であり、板宿の学校へ訪れることは入学式、卒業式などの公式行事などに限られていた。
1965年、上智大学外国語学部フランス語学科を卒業後、翻訳業に就く。「やさしいフランス語新聞(3)」「ヴェルサイユの歴史」などの翻訳出版も行っていた。また1991年まで、母校の上智大学仏文科で非常勤講師として「仏和翻訳演習」などの講義を担当していた。
1990年に学園理事長に就任。1992年~93年まで約1年間、学校長も務めた。名実ともに学園の最高責任者であったが、同事件に対する言及は最後まで見られなかった。
3月31日の教員学内処分報告では、4ヶ月間の減給処分となった。
ある大手学習塾HPに受験生へ以下のメッセージを送っている。

 「12歳のチャレンジ!自信をもって扉を叩け。 瀧川好庸」

学校長 桐山智夫(きりやまともお)

もともとは世界史の担当教諭。一教師時代の評判は悪いものではなかったが、「あほみたいに進学率を気にしていた」。
2005年4月に第11代学校長として就任。就任一年目の9月にウオッカ強要による校内アルコール中毒事件が起こるが、ウオッカを窃盗した生徒を自主退学処分、強要した生徒は停学処分とし、県教育課への報告を1年余り怠った。
生徒自殺後7月5日の学年集会では、

 「目を瞑っても見えるものはあります」
 「死んだ○○くんは心が弱かった、残念だ、皆さんは彼の分まで元気に生きてほしい」
 「こんな時だが我が校は今、大事な時を迎えている、滝川ルネッサンスを進めなければならない」

と訓示したという。7月20日には県に対し「いじめは認められなかった。成績が落ちたのが自殺の原因」との報告をする。
Hが逮捕された9月17日直後の記者会見では、
 「仲間内でのふざけあいだと思っていた」
 「いじめがあったと断定できない」
 「逮捕は青天の霹靂」
といじめが原因であったことを認めなかった。
H逮捕後に開かれた学年集会では、生徒の日記から以下のような発言をしていたことがわかる。

 「弁当のおかずが増えていたそうですがそれはやはり(逮捕された)彼と仲がよく彼があげたんでしょうね!!
  そう考えるとまったく信じられないです」
 「僕は親に頼んで棺を彼ら(逮捕されたグループ)に担がせてやりました」
 「逮捕と言ってもただ聴取してるだけだから大丈夫」

 なんか論点ズレまくって校舎の壁の色変えたとか言い出したからな 正直声聞き辛かったし、ほんま聞く価値なし。
 私はメールとかは苦手で(笑)とか言って苦笑?笑いましたよこのおっさん?  (生徒の日記より)

新聞記事によると、
 「彼が果たせなかった人生の一部を引き受ける気持ちでがんばってもらいたい」
と3年生に呼びかけたという。

H逮捕後の2回目の学校調査後の記者会見では、
 「再調査で男子生徒に対するいじめを確認した」 とし、初めていじめが自殺の原因の一つだったと認め、
 「亡くなった生徒の冥福を祈り、遺族におわびしたい」 と謝罪した。

しかし10月2日に放送されたフジTV「とくダネ」のインタビューでは
 「自殺した少年が『嘘をついたら1万円払う』という罰ゲームを作ったことが恐喝メールにつながった。 」
 「それはクラスの1/3が言っていることで残り2/3はなかったと言っているのだから、いじめはなかったと考えられる。 」
 「我々はあれをメモと言っている。遺書ではない。」

と答え、いじめについて再び否定した。
3月31日に発表された教員学内処分では、依願退職を申し出て受理、同日に退職した。この依願退職について、瀧川理事長は「引責辞任と考えている」と答えている。
自宅は滝川第二中学高校に程近い神戸市西区春日台。通勤ルートは被害生徒や逮捕された少年B、Yと同じ地下鉄であった。

教頭 徳元啓男(とくもとのりお)

親和女子高校から、滝川高校へ赴任してきた。教頭就任は校長と同じく、2005年4月と思われる。
生徒の自殺直後の記者会見では、
 「今回のことは不幸な事故」
自殺直後の学年集会では
 「校長先生がおっしゃったように今は前を見て、元気に生きていくことが大切です」 といい、
H逮捕直後の記者会見では
 「陰湿なイジメがあったことは把握しているが(被害生徒と犯人は)仲の良い友達だった」
 「ほかの生徒をできるだけ早く平穏な生活に戻してあげることが大切。」 と発言した。

3月31日に発表された教員学内処分では、桐山校長(当時)とともに依願退職を申し出たが受理されず、教頭職を解職、滝川第二中学高校へ一般教員として降職配転された。

生徒指導部長 亀田敦宜

ソフトボール部顧問。国語科担当。通称「鬼の亀田」 と「まとめwiki」には記されている。
少年B、Y逮捕直後の記者会見で
「いわゆるパシリについてですが、あれは仲のいい生徒同士で 『すまんけどあれ買ってきて』とお遣いを頼んだものでイジメとかそういう事ではない」
と弁明した。
2度の学校調査を行いながら、少年Bと少年Iを無関係だと結論付けていた。
3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。

生活指導主任(当時の2年5組担任?) 栫隆保(かこい)

サッカー部顧問。被害生徒がいじめにあっているのを、自殺以前から知っていたとされ、校門で他の生徒が見ている前で、いじめについて注意をしたとされる。

 68 :実名攻撃大好きKITTY :sage :2007/07/05(木) 07:04:23 (p)ID:7uLWE14KO
  校門で
  ○○をいじめるなよ
  だけだぞ。

  それにいじめがあった事をかこいは知ってるじゃないか。
  学校の発表とは違いすぎる

弟は滝川第二高校サッカー部監督の栫裕保氏。2011年5月の県大会準々決勝では兄弟校かつ兄弟監督対決として、各種ニュース媒体に取り上げられた。

2年5組担任教諭

報道記事によると、生徒が2年次だったころに、被害生徒の名前を挙げて「もうこれ以上、彼をいじめるな」と教室で同級生の少年らに注意している場面を複数の生徒が目撃していたとされる。
また2年次の秋には、紙粘土の塊を被害生徒の机におかれているのを発見し、その場で「大丈夫か?」と尋ねたところ、被害生徒が「大丈夫です」と答えたため、嫌がらせをした生徒を注意することもなく、放置した。自殺後にもその事実を学校管理者に明らかにすることはなく、Hが逮捕された9月17日以降にようやく報告を行った。
3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。

3年5組担任教諭 三上健治(みかみけんじ)

自殺した生徒、少年H、少年Yのいた3年5組担任。少年Iが2年冬まで在籍していたアメフト部顧問。担当教科は化学および物理。
風貌は、めがねをかけ髭を生やし白衣をいつも着用していた。自身の学生当時は登山部だったという。
自殺前日の7月2日には、職員室に被害生徒が姿を見せ、何か言おうともじもじしていたところ
 「はよ、帰りーや」
といって、生徒を追い返してしまったという。
3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。関西学院大学理学部卒。

小黒顕(おぐろあきら)

国語科教諭。アーチェリー部顧問。アーチェリーの腕前はかなりのもので、今でも社会人大会で出場している。
息子が当時高3に在籍しており、自殺事件以前に部内で起きた窃盗事件での不可解な学校処分が、息子の行為を隠蔽したとされ、自殺直後に
リークされた。
H逮捕後には、兵庫県アーチェリー協会記録会事務局をしていたため、HP上に記載されていた連絡先(神戸市西区桜ヶ丘中町といった住所、
電話番号、FAX番号)が晒される。
4月28日におきたアーチェリー部での部員生徒の頭部に矢が刺さるという事故報道では、顧問としては取材に答えておらず若い教員が答えているが、複数顧問制をとっているためと思われる。現在も兵庫県アーチェリー協会理事を務めている。

3年学年主任 山本勝(やまもとまさる)

社会科教諭。剣道部顧問。生徒からの愛称は「勝海舟」、お受験板の過去ログでは「彼は真の武士さ。ジェントルマンさ。」との書き込みがある。
学年通信の発行責任者でもあり、生徒逮捕後に出された学年通信記事『「なに、くそっ」の精神』を書いた人物ともいわれている。
3月31日に発表された教員学内処分では、「生徒に近い立場にいながら、いじめの防止義務を怠った」として訓戒処分を受けた。京都大学卒。

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最終更新:2013年02月12日 00:08
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