ナイトウォーク ◆QtdcapA5Mo
街灯はおろか、星明りすらない鬱蒼とした森の中。
闇は色濃く、虚空に伸ばした腕の先さえ確かには見てとれない程に辺りは暗い。
重なり合う枝葉の天蓋が見渡す限りに広がり、どこか窓のない密室を思わせる。
木々の梢が夜風にさざめいて、その中に混じる微かな潮の香りが、海が近いことを感じさせる。
肌の上を撫でていく湿った夜気の感触に、男子11番・楠森昭哉は歩く方向を若干左へと修正した。
当面のところ、楠森は海の香りが漂う方へと歩くことにしている。
出来ることなら、今後の予定の為にも町に向かって直進したいのだが、それはしない。しないというより、出来ない。
その理由はいたって単純、要は今自分がいる現在地が地図の中の何処に当たるのか、楠森には判らなかったからだ。
一応デイバッグの中の地図は見たのだが、どちらを向いても森の中という現状にあっては、さしたる意味も存在しなかった。
自分がいる場所も分からぬまま宛もなく突き進み、結果、遭難などという笑えない喜劇を演じるのは勿論のこと御免である。
それ故に仕方なく、現在のところ、楠森は森から出ることを第一目標として動いているのだった。
この島の地図を見る限り、殆どの町は東西南北の海に面した場所にある。
つまり、海沿いに歩いていけば、一・二時間程で必ず町に辿り着くということだ。
「急がば回れ、か……俺は常々思うんですけど、先人というのは偉大ですよね」
場にそぐわない感心を示しながら、楠森は制服の内ポケットへと手を差し込む。
気絶から目を覚ました後、最初に楠森が行ったのは携帯の確認だ。
楠森にとって、携帯とは友人とのコミュニケーションツールである前に仕事の道具である。
それ故、念の為に予備を含めて二機所有していたのだが、そのどちらもがポケットからは消えていた。
当然、外部との連絡手段を断つ目的で奪ったのだろうと、初めはそう考えた。
しかし、それから少し経って、楠森はその考えを否定するに至る。
彼に与えられた支給品が、別の意味を彼に提示したためだ。
今、その支給品は楠森の制服の内ポケット、かつて携帯が占有していた場所に入れてある。
差し込んだ手の指先で触れて、その存在が其処にあることを確認する。
それは小さく、また余りにも軽いので、移動する途中で落としてしまったとしても気付けない。
ちゃんと留金は付いているのだが、重さがないというのはそれだけで不安なものだ。
確認を終え、内ポケットから手を引き抜く。
「兎にも角にも、町に着いたら最優先で外部に電話をかけてみるとしますか」
呟いて、楠森は自分の首元に添えられた無骨なアクセサリーをコツコツとノックした。
この独り言も、或いは若狭吉雄が聞いているのだろうかと考えながら。
以前、楠森は、自身が営む古本屋で若い客から数十冊程の本を買い取ったことがある。
普段は買取はしていないのだが、その時は持ち込まれてきた本の中にマニア垂涎物の洋書、しかも初版が紛れ込んでいた。
恐らく、若い客は両親か祖父母の蔵書を、自分が遊ぶ金に換えるために無断で持ち出して来たのだろう。
浅知恵にも過ぎる行動だが、浅知恵なりに一つの棚からゴッソリと抜けば直ぐに発覚する程度のことは考えていたのか、
数多くの棚から少しずつ持ち出されて来たと思しきそれらの本は、価値もジャンルも見事なまでにバラバラであった。
その時、洋書のついでに買い取った本の中に、黒いカバーに赤字で表題が抜かれた600~700頁程度の本が混じっていた。
何となく気を惹かれて仕事の合間にそれを読んでいたのだが、いつの間にかなくしてしまい、今に至るまで見つけられていない。
他の店で買ってまで続きを読みたいとも思わなかったので、結局、その本のラストも知らないままである。
一つは既に嘘になってしまった訳だが。
楠森には、その時途中まで読んだ本の内容と、若狭吉雄が始めた今回のイベントには、符合する部分が多いように思えた。
爆薬が詰められた首輪。クラスメイト同士での殺し合い。隔絶された島という舞台。定時に行われる放送と禁止エリアの発表。
無論、偶然の一致でしかない可能性もあるが、楠森が知る若狭吉雄という男は生粋のビブリオマニアである。
どれ程のものかというと、楠森が買い取ったレア物の洋書も、電話一本で即日現金で買い取りに来た程だ。
一応、子供のお小遣いで手が出るような値段ではなかったことだけは保障しておこう。
そんな若狭吉雄であれば、本の内容になぞらえてイベントを作るくらいは普通にやりそうだと楠森は考える。
否、楠森は既に、このイベントはその本の内容をなぞって作られたものだと、半ば確信していた。
何故なら、楠森の支給品は、正しく『そのもの』だったのだから。
携帯がないことを確認した楠森が次にした行動は、デイバッグを開くことだった。
マイペースと評される楠森だが、人死にを見たのは初めてであり、流石に混乱を隠せない。
それでも冷静を保っていた頭の一部分が、僅かなりと現状の理解を促す為、楠森にそういう行動を取らせた。
だが、デイバッグの中に入っていた支給品を見た楠森は、一瞬困惑した後、僅かな間をおいて驚愕する。
そこにあったのは、黒いカバーに赤字で表題が抜かれた600~700頁程の本。
本を商売道具として10年間生きてきた習性に従い、反射的に奥付を確認する。
予想はしていたが、そこにはあの時の本と同じ発効日、同じ版数が書かれていた。
無論、発行日や版数が同じだからといって、それが同じ本であるとは限らない。
だが、楠森には紛れもなく、それが自分の本であると確信できた。
何故なら、奥付にはもう一つの付属品があったのだ。
縦に8cm、横に5cm程の長方形。
奥行きはほぼ零で、手の平を傷付けないように四隅の角は丸くなっている。
飾り気のないまっ白な表面に『F-4』と書かれたシンプルな形状のカードキーが、奥付の頁に貼り付けられていた。
この場において、カードキーその物は特に重要ではない。
問題は、これが奥付にあったということだ。
これだけ分厚い本になると、カードキーの厚みくらいでは大して読み心地は変わらない。
初めて読む人間なら、或いは読んだことがある人間でさえ、普通に読んでいてはその違和感に気付かないかも知れない。
しかし、楠森は違う。楠森は必ず本を奥付から開く。
無論、それは決して一般的な行動ではない。
本を奥付から開くのは、初版に価値を見出す無類の本好きか、そうでなければ本を商品とする楠森のような人間だけだ。
楠森は思い出す。自分が洋書を若狭吉雄に売った時、間違いなく、自分はこの本を読んでいた。
そして本を読んでいる自分の姿を、或いは、自分が読んでいる本を、若狭吉雄はじっと見ていた。
視線に気が付いた楠森が、どうかしましたかと声をかけるまで、じぃっと、興味深そうな目で見ていた。
楠森は確信していた。
若狭吉雄は、意図的にこのイベントを楠森の本に似せた。
そして、その上でこの本を楠森に支給したのだ。
果たして、それは妄想であろうか? いいや違う。
奥付のカードキーは、自分ならばすぐに見つけられる位置にある。
それは即ち、これらの行動が意図的であることを示している。
何故そんなことをするのかという理由には、一つの例を持って答えよう。
王様の耳はロバの耳の童話だ。
そう、要は自分だけが知っている秘密を人に自慢したいという幼稚な感情から為されている。
若狭吉雄は勝手に人を掃き溜めにして、自分だけ愉快になっているつもりなのだ。
楠森には判ってしまう。余りにも長く、若狭吉雄を見てきた楠森には。
他のクラスメイトはどうだか知らないが、楠森はそれなりに若狭吉雄を尊敬していた。
楠森の母も若狭と同様にビブリオマニアであり、そのツテで10年前から若狭と楠森の間には親交があった。
いつも陰気で卑屈なことばかり口にする男だったが、よく見れば良いところも沢山あることを楠森は知っている。
幼く、あらゆる面で未熟だった楠森に古本屋の経営を教えてくれたり、時には顧客を紹介してくれたりもした。
同年代にも敬語で話す楠森の口調は、若狭の影響を受けている部分が大きい。
幾度も迷惑をかけたが、その分だけ彼のことを深く理解出来たつもりだった。
それが、見事に裏切られた。
「友情に、後足で砂を掛けられた気分ですよ」
口調こそ穏やかだが、その胸中には若狭吉雄への憎悪が激しく燃えていた。
火のような憎悪を燃やしながら、だがやはり、頭の別の部分では冷静でもあった。
幼い頃から売り買いの世界に浸ってきた楠森は、一般人とは物の考え方が少し違う。
あらゆる感情の前に損得の計算が立つ、その長年の経験が、激昂する彼を押し留めていた。
「今ある符合が敢えて為されたものだと言うなら」
楠森は思考する。
「まだ表面には出てきていない、他の符合もあるかも知れません」
今は憎悪に息を潜めさせ、
「殆どは何らかの道具を必要としますが、幾つかはそうではない」
育まれた冷静さで己を律し、
「例えば、その一つには『外部への連絡手段』などがありますね」
どこか肉食の獣を思わせながら、
「放送があると言っていましたし、電気は通っていると考えられます」
楠森昭哉は歩みを続ける。
「ならば、先ずはそこへ行くのが適当というものです」
以前、楠森が読んだ黒い表紙の本の中には、電話で外部へ連絡を取るという行動をとった少女がいた。
しかし、少女の願いもむなしく、その電話は外部へと通じることはなく、主催者の男性の元へと通じるに留まった。
そう――――楠森が今もっとも声を聞きたい、『主催者の男性』の元へ、だ。
「こちらのカードキーも気にはなりますが、どの道、森の中ではどうしようもありません」
内ポケットに入っているのは、F-4とかかれたカードキーだ。
本のまま持ち歩くのは少し難を感じたので、奥付から剥がしてポケットに入れてある。
カードキーが貼り付けられていた本の方は、再びデイバッグの中だ。
一応、自分に支給された武器ではあるが、あんなもので戦うくらいなら木の枝で戦う方が未だマシである。
バッグの中で不安定に揺れる本の重みを感じながら、楠森は海を目指して進む。
胸にあるのは、嘗ての尊敬した相手と、時折楠森の店を訪れる一組の男女。
「海野さんと倉沢さんにも出来れば会いたいところですが、今は無理を出来ないですしね」
それ程親交があった訳ではないが、二人が来ると店の空気が華やぐようで、楠森は彼らを気に入っていた。
いつも一緒の二人を思い返して、今は彼らも別々に引き離されているのであろうと思うと、僅かに胸が痛む。
もしも途中で出会うことがあれば、目的が一致する限りは行動を共にしても良いだろう。
口に出したら若狭吉雄に嘲笑われる気がしたので、口には出さなかった。
結局、楠森は気付かない。
自分の行動が、思考が、たった一冊の本によってリードされていることを。
もしも本当に冷静だったなら、自分の論理が穴だらけであることに気づけたかも知れない。
だが、行き過ぎた憎悪が、彼を自分は冷静だという根拠のない妄信へと駆り立て、彼本来の思考を歪ませる。
そもそも、本当に相手を理解出来ているのなら、裏切られなどしないのだ。
本当の理解者を裏切る相手も、また存在しないように。
楠森は若狭吉雄を10年見てきたが、それは同様に、若狭も楠森昭哉を見てきたということ。
楠森昭哉が若狭吉雄のことを分かったつもりになったというなら、それは逆もまた然り。
だが、楠森昭哉が18年しか生きていないのに対し、若狭吉雄は43年生きている。
どう考え、行動するか、若狭吉雄には楠森の動きが手に取るように判る。
生きてきた時間が、越えてきた山の数が、培ってきた経験が余りにも違うが故に。
判った気になっていたのは、一人だけ。
踊らされて茶番を描くのも一人だけ。
騙され続けて、また騙されて、夜を往くのも一人だけ
【G‐6 森の中/一日目・深夜】
【11:楠森 昭哉(くすもり‐しょうや)】
【1:俺(達) 2:あなた(達) 3:彼(彼女)(達)、名字(さん)】
[状態]:健康、激しい憎悪 、裏切られた悲しみ
[装備]:木の枝(その辺で拾いました)
[道具]:カードキー、本(BR)、支給品一式
[思考・状況]
基本思考: 若狭吉雄を許さない(具体的にどうするかは決めていない)
0: 先ずは海へ出て、それから町へ
1: 電話を見つけて主催者に繋がるか試す
2: 海野と倉沢が少し心配
[備考欄]
※今回のイベントが本の内容をなぞったものだと考えています
※自分では冷静なつもりですが、その実かなり危ない状態です
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最終更新:2009年03月24日 13:34