最悪の一日:~吉良邑子の場合~ ◆EGv2prCtI.


 修学旅行より二週間前。
 クラスは修学旅行の話題で持ちきりだった。
 森屋英太やフラウ辺りのようにはしゃいでたり。
 玉堤英人や片桐和夫のように仲間と黙々と計画を立てていたり。
 それに最後の青春の年だ。
 そりゃそれで何もしない生徒なんか居ないし、そうでなくとも少しは気には止めるイベントである筈だった。

 だが、そんなことなど初めから興味の無いかの如く、女子九番、吉良邑子はただ窓際の席から一点のみに視線を向けている。
 吉良邑子。
 恵まれた家庭に育ち、才覚に置いても一般的なラインよりは幾らか上に芽吹いていた。
 どんなスポーツでもどんな教科の勉学でも無理なくこなすことが出来る。
 そんな彼女の全てが狂い始めたのは三年前、中学三年生の頃だ。
 当時、受験によるプレッシャーが彼女にのしかかっていた。
 一応この高校は近くの学校と比べれば比較的学力を必要とされるので、それなりには高い倍率と試験が待ち構えている。
 それもエスカレーター式に大学に入れるというのだから、多くの中学生達がそれを狙わない筈がない。
 邑子もその一人だった。
 いや、そうであったと言うべきだったのか。

 その頃の邑子はすっかり自信、というかやる気を喪失していたのだ。
 思春期――だろうか? その時期によくある現象だ。
 見えない将来や、今の堕落した周囲。
 自分が生きていることに意味はあるのだろか?
 見いだせない答えがただ頭の中で錯綜し続ける。
 そして訪れるのは無限に広がる無。
 生きる意志すら飲み込んでしまいそうな広さの無だ。
 そこに邑子は全てを持って行かれようとしていた。


 その時に思い出したのだ。
 ――幼い頃の、あの記憶を。

 街角の占い屋。
 たまたま覗いた紫の内装の店の中で、これまた紫のヴェール、
 紫の手袋、紫のローブに身を包んだ女性が中央に座っている。
 怪しい香の匂いが立ち込め、異様な雰囲気が漂うその空間。
 その猫背の女性が「初回だからロハで」と自分のことを占ってくれた。

「愛した者にはずっと仕えると未来は明るい」

 これが、そのおおまかな内容だった。
 普通ならばただの恋愛占いの結果だと受け取ることになっていた。
 しかし――邑子は違った。
 自分の進むべき道が瞬間的に見えた――のだろう。
 恐らく、その記憶で。

 それからだった。
 邑子は、誰かに奉仕しようと努力し始めた。
 それが自分の存在意義で、そして自分の未来の為であるとでも確信したからだ。
 そうして中三、高一、高二の時間はすぐに過ぎていった。


 今度は以前から気になっていたあの猫族の女子生徒――テトを慕おうとしている。
 悪いことなどではない筈だ。
 テトに気に入って貰えるように邑子は数ヶ月前から手を回していた。
 そしてその日の昼休みを迎えた時、待ちに待った邑子はテトに体当たりを敢行した。

「あ……!?」
 テトの口元が、後一センチ、という所で邑子の顔が止まっていた。
 廊下でのすれ違いざま、邑子はテトと口吻を交わそうとした。
 しかし、頬に大きな抵抗を感じてそれ以上顔を近付けることが出来ない。
 両手でテトが邑子の顔を押さえているのだ。

 そのままテトは床に邑子の顔を受け流すと、廊下の奥向こうへ走り去る。
「待って! お願い!」
 邑子は頬を張られたようなショックを受けながら、叫んだ。
 周りの目など気にもならなかった。
 邑子にとってはテトは光の筋でテト以外は無――そう、あの受験の時に迫った死の虚無に等しかったのだから。

 にも関わらず、邑子は再びその虚無に囲まれてしまった。
 テトはもはや邑子が視認できない、何処かの角を曲がって行ってしまった。

 虚無から邑子に向けられるのは驚嘆。或いは嘲笑。
 気にはならなかった。
 それよりテトに裏切られた悲しみの方が邑子には大きかったからだ。
 深い深い深海の底に突然沈められたような感覚。
 それ程までに邑子は当座、テトに依存していた。

 だが、まだ手段が無い訳ではなかった。
 これまでも“主人”を作る為に仲間達に協力してもらっているのだ。
 今回もその仲間達に手を貸して貰う必要が出てきた。
 邑子が選んだ次の行動としてはそれだけだった。


 放課後。
 太田太郎丸忠信、壱里塚徳人、愛餓夫らと共に旧校舎裏でそれを待つ。
 そして来た。
 貝町ト子とテトだ。
 この太田の第三の手とも言える貝町ト子という人間は薬物中毒でもあるどうしようもないゴミクズで、それなのにテトの友人なのだ。
 邑子にはさっぱり理解出来なかった。
 早くテトとこんなゴミを離させたかった。

 餓夫が、テトを角材で殴りつけて気絶させる。
 それから前から太田がテトの肩を掴んで、制服を強引に脱がせ始める。
 ああ――いよいよテトは本当のテトを露わにしてくれるのだ。
 そう考えると邑子の身体に熱が帯び始める。

「で? 壱里塚や吉良はしねーのか? 子猫ちゃんの調教をよ」
 その為に邑子は太田ごときの仲間となったのだ。
 この誘いを断る理由など、無い。
「私は遠慮なくさせていただきますね! 太田君!」
「いや……や……めて……」
 邑子は、テトの背後から身体を密着させる。
 テトの尻尾を無理矢理掴んで、それを自分の顔の近くまでぐっと引っ張る。
 何度もそれを繰り返して、その度にテトは苦痛に顔を歪めた。

 それを加え、目の前で太田に蹂躙されるテトの表情を見ながら思った。
 ああ、自分は本当はこんなことを望んでいた訳ではない。
 だがテトのこの表情を見ていると、脳神経の奧から快感が巻き上がる。
 テトにはそんな魔力があるのだ。
 いや――魔力、と言うよりは魔性か。
 生まれ持っての魅力。己の意思とは無関係に人を惹き付ける情欲的な肉体。

 そう、悪いのはすべて――

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最終更新:2009年07月25日 12:38