Father ◆hhzYiwxC1.


離別なき人生からの離別は不可能である。
故に人は何かと離別しないように苦心するが、結局離別の運命から抗うことはできない。
抗うことは許されない。
そう。運命と言う高尚なものが決して。

「聡右~。早くしないと遅刻するわよ~」

「オイ待てよ喜佳。そんな急がなくても学校は逃げねーって」
「ハァ? 何言ってんの? 学校は逃げないけど単位は逃げるって!」

飄々とした態度を繰り返し、急ごうとはしない聡右とは対照的に、喜佳は極めて急いでいる。
鬼崎邸を出て5分。
学校までの距離もそれなりにあるため急がなければまず間に合わないだろうに。

「もういいよ。お前先行け。俺は一回の遅刻ごときを気にするほどちっちゃくねえからよ」
「一回じゃないだろうが常習犯が!! 私が何回お前の巻き添え喰ったと思ってんだ居候が!!」

「だったら行けよ。尚更」
「………………」

突然、喜佳は立ち止まる。
なんのこっちゃと、ゆっくり歩みを進めていた聡右も、素っ頓狂な面を伴って立ち止まる。
通学路のド真ん中。
既にほとんどの生徒が学校に着いている頃だ。ここには彼らしかいない。

「………どしたんだ? 喜佳――」

「アンタはさ……もし私が組継いだらどうする? 着いて来てくれる?」

「いやいやいやいや…親父さんがそりゃねえって…」

「もしもの話よ。どうなの? アンタは」

しばしの間の後、聡右は口を開きかけた。

「でも今は聞かない…………放課後に屋上に来てくれる?」
「そこで答え聞くからさ」


結局二人は遅刻した。
クラスメイトからは夫婦揃っての遅刻か?と茶化されもした。

そして放課後。
聡右は急いで屋上に向かっていた。
この場合、何か用事を任されて約束に遅れる。と言うのがセオリーだろうが、聡右のように狡い守銭奴男に何かを任せるような者は残念ながらいない。
だからこのような構成を期待した方々にはここで謝罪させていただこう。

屋上に着き、しばらく辺りを見渡したが、誰もいない。

「喜佳ー!? いるのか喜佳ー!」

「上よ上」

聞きなれた声。それは頭上から降り注ぐ。
鬼崎喜佳は、すぐ上に仁王立ちしていた。
無論スカートの中は丸見えであるが、聡右は別に慌てることない。

「パンツ見えてんぞ。水色の」
「アンタに見られたトコで気にしないわよ」
「そっか。じゃあ一枚」

携帯を構えようとしたところで、今度は喜佳の蹴りが降ってきた。

「エロ聡右が……次やったら射殺するわよ?」
「お前が言うとマジ洒落にならんな」
やや引き気味の笑いを伴って、聡右は蹴りを喰らった右肩を庇う仕草をする。

「まあいいわ。アンタにだけは言っておこうと思ってたのよ」

何を?
とは聞き返さなかった。そのことが野暮に感じられたから。
そして明らかにそんな空気ではなかったから。


「…………私さ。修学旅行から帰ったらもう学校やめるつもりでいんのね」


「そんで…………組継ぐ。お爺ちゃんがそうしろって言ってたから」


狂言か?
そう思いたかった。
聡右は走り出していた。喜佳の静止する声も聞かずに、まっすぐ、もと来た道を引き返す。


「親父さん!! 親父さんいるか!!?」

肩で息をしながら、厳つい顔の組員に、鬼気迫る表情で聡右は聞く。

「い……今は連合総会中だ…」
「どこだ!!? 客間か!?」

組員の一人の胸倉をつかみ、聡右は声を荒げながら叫ぶ。

「そ……そうだよ。でも今入ったら殺されんぞ!」
「知るか!! こちとら一刻を争うだよ!」

組員たちの制止も聞かず、聡右は走り出す。
客間の障子が見えてきた。彼は入り口で一度立ち止まったりせずに、躊躇せず開け放つ。

「親父さん!!! ちょっと面貸せ!」

この叫びと共にだ。


「…………」

ブ厚い座布団の上に、明らかにカタギじゃないような男が何人も胡坐をかいて座っていた。
カタギではない者は、名前を聞いただけで震えあがるような大物が軒を連ねている。

無論聡右も、この総会がどれだけ大事か知らぬわけではない。
如何にこの糞餓鬼が、場の空気を読めていないか。

「オイ聡右。お前今自分が何してるか分かってるのか?」

いつものような口調ではない。表情もない極めて真剣。
日頃の親父さんからは窺えないほどに、親父さんは真剣だった。

「いいから……ちょっと話があんだ」

「オイ鬼崎の! お前その餓鬼ァ誰だ!?」
「どこぞの鉄砲玉か!?」
「よもやこの空気読めていないわけじゃああるまいな…」
「鬼崎のも堕ちたものよのぉ――」

聡右の乱入により、鬼崎組は非難轟々と言ったところだ。
親父さんと一緒に総会に出席していた幹部も、聡右に厳しい視線を向ける。
無論親父さん――鬼崎虎之佑の表情も然りだ。




「鎮まれや。小僧ども」

客間の奥、一人の男が立ち上がった瞬間、その場にいた聡右を除く全ての人物が口を閉じた。
ゆっくりと向かってくるその男を、聡右は知っている。
鬼崎嘉聖(きざき よしあきら) 連合を取り仕切る大御所にして、喜佳の祖父だ。

「虎坊の拾った餓鬼かい。オメエさん今自分が何しようとしてるのか分かってんのか?」

この男は、人のよさそうな顔をしている。だが違う。
空気自体が不愉快で息苦しくなるような絶対的威圧感と存在感をこの男は常に場に充満させている。

「何が目当てだ? 小遣いか? 商売女か?」
「アンタ言ったんだってな。喜佳に組継げって」

聡右は、前々からこの男の存在が気に食わなかった。
未だ親父さんや芙美江さん延いては喜佳の全てさえ支配しようとする、強欲な老獪。

「それがどうした? 喜佳は実の娘だから当然だろ?」

その瞬間、聡右は怒りを抑える事を忘れていた。
拳を振り上げ、この男に――――
その瞬間、一発の乾いた音――銃声が木霊した。
鬼崎虎之佑は、聡右を銃撃していた。


「おい虎坊。何で殺さねえんだよ」

聡右は、虎之佑に額を銃撃され、倒れたが、その額には弾痕はついてはいない。
もちろん血も一滴も流れていない。

「何で、ゴム弾で済ませるよ? 殺しちまえばいいだろ? 糞餓鬼の一人や二人くらい」


「………すいません。うちのバカ息子が迷惑掛けちまって」

「息子だ? 何馬鹿ぬかしてやがる」

そう言って虎之佑は、嘉聖に頭を下げる。

「ええそうです。うちは娘一人に息子一人。夫婦の仲睦まじい理想の家庭でしてね」
「溝鼠ごときに情が移ったのか? 虎坊よ」

「そうかもしれませんね。ですが溝鼠も可愛いもんですよ」

「少なくとも私はそう思いますよ。それにこの溝鼠を殺したら、こいつにご執心な娘に殺されちまいますからね」


嘉聖は、その後一貫して何も喋らなかった。
何も喋らず聡右が開けた戸から、堂々と出て行った。

「……………」

言うまでもないが、結局総会は中断だ。



「オイ。起きろ聡右」

聡右は、ようやく意識を取り戻した。
ゴム弾は殺傷性こそないが、肉体にダメージを与えることに関しては実弾よりも優秀だ。
彼がすぐに起き上がれないのも無理はない。

そして、彼が目を覚ましたのは、総会の出席者が全て立ち去った後の客間。
虎之佑の付き添いで出席していた幹部の一人に、頬を叩かれ彼は目を覚ました。

「エラい事してくれたなぁ……聡右よ」

虎之佑の声を、脳が認識してすぐに、彼の頭には拳骨が降り注いでいた。

「ちょっと面貸せ」






鬼崎邸を出た二人は、しばらく無言のまま近くをブラついた。
会話の種などあるはずがない。
場にはひたすら重い空気が流れる。

「…………」

先ほどまで鼻息の荒かった聡右も、今やその見る影はない。
縮こまってしまっている。
虎之佑の出す無言の威圧感を前にして。

「なあ聡右よ――」

沈黙は遂に破られた。

「正直な。俺も喜佳が組を継げるなんて思っちゃいねえ」

「俺はあの爺のやり方には反対だ」

「…………じゃあ何でさっき殴ったんですか?」

聡右は半笑いを伴って虎之佑にそう質問をした。

「オメエが俺のしようとした事するからだよ。餓鬼がでしゃばんじゃねえ」

「あ……あんた俺を出しに――」

聡右が顔を真っ赤にして怒ろうとしたまさにその瞬間だ。
彼らは一人の男と擦れ違った。ブ厚いコートに身を包んだ男だ。
その次の瞬間、虎之佑は倒れていた。



「お……親父さん!!?」

虎之佑の腹部には、ナイフで刺したような傷が付いていた。
傷口から止めどなく血は流れ出てゆく。
すれ違った男の方を見てみたが、奴はもう既にいない。
顔を見ていない。ここで逃がしたら追えなくなる。
そんな焦りで胸がいっぱいになり、すぐに追おうとする。
だが止められる。虎之佑が、ズボンのすそを掴み、彼を制止させていた。

「放してくれよ親父さん。アイツ…………追わねえと…」

「いや…………分かってた…さ。爺に歯向かい続けたらいずれこうなるってな……」

「悪……い…な。オメエと喜佳に…………迷……惑…掛…………け…」

「親父さん!? 親父さん! 親父!! 起きろよクソ親父!! たかが刺されたぐらいで………死ぬんじゃねえよ!!」





鬼崎虎之佑は、その後すぐに病院に搬送されたが、結局6時間後に死亡した。
享年46歳である。


鬼崎虎之佑の葬儀の場に、妻芙美江は出席することはなかった。
容体が悪化し、今まさに手術と言うことらしい。
組員は全員出席していた。
その場には聡右や喜佳の姿もあった。

だが、喜佳と聡右は、この場で、互いに言い知れぬ孤独感を抱いていた。
皆いるのに、誰もいない。

終始無言だった。




「……父さんも殺生だよね…これじゃますます喜佳組長誕生!が信憑性帯びちゃったじゃん…」

葬儀が終わり、会場の外で喜佳はそう溢した。
目の下には隈ができており、いつものような笑顔とは一線を画している。
そのわけを聡右は知っている。
前の日に喜佳は、浴びるほどの涙を流したと言う事を。
通夜の日には、寝込んでしまい出席できなかったということも。

聡右は、今は何も言えない。
そして今は、彼女を抱きしめ、彼女を守る事を自らに誓うことしかできなかった。

場所は変わり、葬儀会場の裏。
鬼崎嘉聖は、杖を突いて意気揚々とそこに向かっていた。

「ようやってくれたのう。アンタの働きにはいつも助かっとるわい」
「ヤクザ狩りの活躍に便乗する形で、今一番消したい邪魔者を俺に消させる……か」
「まさかアンタに人殺しをさせられるとは思わなかったぜ」

そこには、喜佳と聡右のクラスメイトであり、黒い噂が囁かれ続ける太田太郎丸忠信の姿があった。

「初めてにしちゃあ随分と手際がよかったなぁ。ホントに初めてかえ? まあいいさ。ほれ。いつも通りヤクと金じゃ」
「助かりますよ。ヒヒヒ」

嘉聖から麻薬の入った袋と、札束を、太田は黒いデイパックに詰め、裏口からそそくさと消えて行った。

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最終更新:2009年05月04日 12:19