※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 俺はまだ、家に帰れずにいた。
 玄関の窓から、女がじっと俺を見ているからだ。

 思えば、今日はずっと変だった。

 俺が勤務しているのは東京都内の高校である。やはりバレンタインデイだと盛り上がりが凄く、生徒たちの中では色々とドラマがあったようだ。
 俺もクラスの女子生徒から──義理なのは百も承知だが──チョコレートを貰い、多少は嬉しくもあった。他の男性教師も貰えたり貰えなかったり、何個貰えただの何だのと放課後に話していた。
 そんな時、俺の机の上に、一枚のメモがあるのに気付いた。
「これ、誰が置いたかわかりますか?」
 俺は左隣の席に座る飯野先生に尋ねてみたが、彼女は首を横に振る。
「いえ。私も少し席を外していたので。今さっき戻ってきたんですよ」
「そうですか。いや、どうも」
 飯野先生に礼を告げ、俺は椅子に深く腰掛け、メモをじっくりと眺める。

   玄関で待ってます

 メモにはたった一言だけ。特徴も無いような筆跡で、強いて挙げれば赤インクで書かれている位か。
 このメモを書いたのは誰なんだろうか。教員か、生徒か。本気のようにも見えるし、悪戯のようにも見える。第一、名前が書いていない。ひょっとしたら俺宛ではなく、例えば右隣の席の山口くんなら女子生徒にも普段から人気があるので、山口くんと間違えて俺の机に置かれた可能性もある。
「山口くん、これ、誰が置いたかわからない?」
「いえ、僕はずっとここにいましたけど──すみません、気付かなかったです」
「いや、いいんだ。ありがとう」
 違った。ずっと自席にいた山口くんに気付かない訳が無い。ならば、やはり俺宛なのだろうか。
 誰が書いたのか、誰に宛てたものなのかもわからないメモがこれだけ気になるというのは、これもバレンタインの力なんだろうか。恋人もいなく一人暮らしの俺としては、なんだかんだで義理でもチョコを貰えるのは嬉しいものだ。
 そういえば、と思い出す。一昨年までこの学校に勤めていた柏原先生は、転任先の学校で、バレンタインの時に女性教諭に告白されて、最終的に昨年結婚したはずだ。少しは期待してしまう。
 次に気になるのは、玄関はどこか、という事だ。生徒たちが登校する時に使う正面玄関か、あるいは職員用の玄関なのか。さほど離れていないので、正面玄関で待っていれば気付くだろう。
 時間は既に放課後。もし差出人が生徒であれば、先に待っている可能性もある。俺はさっさと荷物をまとめて、職員室を出た。

 それから、大体一時間は正面玄関にいただろうか。
 話し掛けられこそしたものの、やはり悪戯だったのか、俺に用事のある生徒はいなかった。
 悪戯だったとしたら、まぁ、生徒にからかわれるくらいで済むだろう。
 しかし、少し残念ではあった。
 俺は家に帰ることにした。
 義理とはいえチョコも貰えたし、別に機嫌は悪くも無い。
 電車に乗って家に帰る途中、上着のポケットに入れておいた、例のメモを見た。

   玄関で待ってます

 なんだか、最初に見たときよりも、文字の色が濃くなっている気がした。

 自宅であるアパートに到着するまで、すっかりメモの存在を忘れていた。
 電車の次に思い出したのは、自分の部屋のドアの前で玄関の鍵を探している時だった。
 ポケットから鍵と一緒にメモを取り出す。結局、差し出したのは誰だったのだろうか、と思いながらメモをくしゃりと丸めて、俺は鍵をドアノブに差し込もうとした。

 ──心臓が止まるかと思った。
 このアパートは玄関のドアの横に窓がある。
 そこが少し開いていて、そこから、女が俺を見ていた。
 見知らぬ女だ。大きく見開かれた目で、じっと俺を見ている。
 俺の部屋にいつ入り込んだのだろうか。
 中にいるのは確実だ。俺は鍵を持ったまま硬直していた。
 誰だ。
 誰なんだこいつは。
 正面玄関でも職員玄関でもなく、俺の部屋の玄関という事だったのか。
 一体どうやって俺の机にメモを置いたんだ。
 誰も気付かなかったはずはない。明らかにこいつは部外者だ。
 女の視線から目を逸らせない。
 心臓が苦しい。
 呆けたように開けたままの口から、息がひゅうひゅうと漏れる。
 誰なんだ。
 俺に何の用なんだ。
 嫌だ。
 嫌だ。
 身体が動かない。
 ドアノブが、ゆっくりと回転する。

 女が、笑った。