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<1日目/二条乃梨子/一階広間>

「大丈夫ですか、黄薔薇さま」
 令さまを椅子に座らせる。普段は凛々しく強いイメージの黄薔薇さまは、両目をまるで獣のように見開き、全身を小さく震わせていた。何かをブツブツと言っているが、私には聞き取れなかったし、正直言って聞く気もなかった。
 ……いくら学校の中とはいえ、絆で結ばれた姉をあんなかたちで亡くしたのだ。もし、それが志摩子さんだったらと思うと、きっと私は令さまと同じかそれ以上に泣き叫び、狂うだろう。
「お水、お持ちしましょうか」
 返事はない。令さまは、遠くを見ているのだ。きっとそこには江利子さまがいるのだろう。
 一方、由乃さまも放心状態だった。普段なら真っ先に令さまに駆け寄るのだろうが、それすらもできない程にショックを受けたようだ。
「……失礼します」
 私は令さまに一言声をかけて、その場を離れた。
 人が死んだ。赤の他人ではあるが、見知らぬ人ではない。同じ屋根の下にいた、学校の先輩が──。
「うぅっ」
 私は咄嗟に口元を押さえた。吐き気が瞬間的にこみ上げてきた。小走りに食堂を突っ切って厨房に行くと、流し台に残っていた食器を左右に押し分け、上半身を突っ込み、げえげえと胃の中身を戻した。涙も流れ、すぐに息ができなくなった。
 ある程度戻したら今度は急激に喉が渇き、蛇口に直接口をつけて水をがぶがぶと飲んでいく。しかし途中でむせてしまい、激しく咳き込み、私は言いようのない脱力感に襲われ、床に座り込んだ。
(……何やってるんだろう、私)
 気づいて見れば、電気もつけずに私は──。
「……乃梨子?」
 聞きなれた声が耳に入った。志摩子さんが入口に立っている。
「志摩子さん」
「大丈夫? 乃梨子、大丈夫なの?」
「志摩子さん……、志摩子さぁん……」
 本当に心配そうな声に、私は再び涙を流しながら、まるで子供が自分の母親を呼ぶように、ただただ志摩子さんの名前を繰り返していた。

<1日目/松平瞳子/広間>

 乃梨子さんも志摩子さまも広間には戻ってこない。二人とも厨房にいるのか、ひょっとしたら二階のどちらかの部屋に閉じこもってしまったのかもしれない。
 可南子さんが私の隣に座り、額に手を当てて首を振っていた。ほんの十数分で。まるで一生分の疲れを背負ったみたいだった。ため息も聞こえる。
 蓉子さまはソファに寝かされていた。気がついたのか、両目はうっすらと開けていた。
「お姉さま、大丈夫ですか」
 祥子お姉さまが蓉子さまのそばに座り、声をかけている。すると、蓉子さまが左手を上げて、祥子お姉さまの頭を優しく撫でた。
 祐巳さまも浮かべていた涙を拭い、由乃さまの隣に座って手を握っていた。
 そんな中、一人だけ──聖さまだけ、窓際に立って外を見ていた。近寄りがたい雰囲気。声もかけることもできない。そう思った時、可南子さんが立ち上がり、聖さまの隣に立った。
「──聖さま。ちょっといいですか」
「……なぁに?」
 気だるそうな返事。少し睨むような目つき。
 気がつけば、部屋にいる人たちみんなの視線が二人に集まっていた。
「私、あの時見たんです」
「何を」
「江利子さまと聖さまのいざこざです」
 聖さまがピクリと反応した。
「……ふぅん、見たんだ。で? その腹いせに私が江利子を殺したとでも?」
「私はそこまでは言っていません。ですが、あれは一歩間違えたら聖さまが怪我を負っていたはずです。それの報復になにかがあったと考えても不思議では」
 パシン、と音が響いた。聖さまの右手が可南子さんの頬を打ったのだ。
「ふざけないで。貴方に江利子と私の何がわかるっていうのよ!」
「……何も知らないから、考えれたんです。ひょっとしたら、元々恨んでいたのかも」
「あんたなぁ!」
 聖さまが可南子さんに飛び掛った! 慌てて私や祐巳さま、祥子さまが二人を引き離しにかかる。由乃さまも令さまもさすがに正気に戻ったのか、しかし咄嗟に動けずにいた。
 騒ぎに気づいたのか、廊下側の入口から志摩子さまと乃梨子さんが入ってきたのが見えた。
「あんた、殺してやる! どうせ私が江利子を殺したって言うんなら、あんたも殺してやるわよ!!」
 聖さまが感情に任せて大声を出した時、それに負けないような声が私たちの背後から聞こえた。
「もうやめて!!」
 蓉子さまがソファから立ち上がり、頭を両手で抑えていた。
「もうやめて! もう沢山よ! もう嫌!」
「お姉さま……」
「蓉子……」
 聖さまの表情が普段のそれに戻った。可南子さんも「ごめんなさい、ごめんなさい聖さま」と小声で繰り返している。
「もう、嫌ぁ……。帰りたい……帰りたいわ、祥子……」
 ソファに座り、蓉子さまはうわ言のようにしばらくつぶやいていたが、急に立ち上がった。その表情は能面のようで、私は小さく「ひっ」と声を出したほどだ。
 蓉子さまは背筋を伸ばし、スタスタと食堂に入っていく。
「蓉子さま、あの、どこへ」
 令さまが尋ねると、蓉子さまは今度は聖母のような微笑みを浮かべて、言った。
「食器を、洗わないといけないでしょう?」

<1日目/水野蓉子/厨房>

 厨房に入ると、私は流しに向かった。汚れていたので、水道の蛇口を捻る。水を流しながら、皿を手にした。
 結局江利子が食べることはなかった料理。令や祐巳ちゃんが腕によりをかけて作ったのに、残念。とても美味しかったのに。
「蓉子」
 声をかけられた。振り向くと、そこにはヘアバンドの似合う彼女がいた。右手にはコップを持ち、左手には胸に刺さっていただろう、刃物を持って。
「江利子」
「蓉子、お料理、美味しかった?」
「ええ。貴方も、死んでなければ食べれたのにね」
 ああ、きっとこれは夢なのだ。そうでなければ、部屋であんな姿になっていた江利子が、この場にいる訳がない。
「喉渇かない?」
 江利子はスタスタと流しに向かい、手にしていたコップに水を注ぐ。
「はい、蓉子」
 目の前の江利子はとても優しい。
「これは夢なのかしら」
「うふふ、どうかしらね。ひょっとしたら、私が死んでいるのが夢かもよ」
「ふふ、そうだったら嬉しいわね」
 江利子が手渡してくれたコップを一気にあおる。喉を鳴らして水を飲み干す。
「蓉子」
「江利子……」
 江利子は、微笑んで言った。
「バイバイ」
 ぐらり、と世界が回った。ああ、きっと夢から覚めるのね。起きたら、江利子の部屋にいかなくちゃ──。
 喉が、とても熱かった。

<1日目/支倉令/広間>

 誰も動こうとしない。聖さますら、蓉子さまの後に続かない。追おうともしない。
「……由乃。蓉子さまの様子を見てくるよ」
「令ちゃん」
「大丈夫。すぐ戻るから。祥子、ここを頼んだよ」
 食堂を通り、厨房に入った。
 大きな調理テーブルを迂回するように歩き、流しに向かう。

 ──そこに、あの方がいた。割れたコップ、床に広がった水。
 両手で自分の首を何度も引っ掻いたらしく、首に血が滲んでいた。
 あまりの苦しさに顔を歪め、大きく開かれた口からは舌がだらりと覗いている。
 口元は真っ赤だった。血を吐いたらしく、胸元や床に点々と垂れた痕があった。
「ふ、ふふふふふふふふふ、うふふふふふふふふふふふふふふふ、あはははははははははははははははははははは」
 私はこみ上げる笑いが我慢できなかった。おかしくて仕方がない。
「令!?」
「令ちゃん!!」
 広間から、祥子や由乃の声がして、バタバタと駆け寄る音もする。
 私は笑いながら流しの前に倒れた物言わぬ死体を指差し、集まる皆に言った。
「蓉子さまが、蓉子さまが! あっははははははははははははははははははは!!」
 私はおかしくなんかなっていない。
 自分が狂ったことを冷静に捉えているのだから。

<1日目/???/???>

 ああ、可愛そうな二人。
 いつも知的な魅力に溢れていた水野蓉子はコップに仕込んだ毒にかかり、凛々しくて頼もしい支倉令はあちらの世界に行ってしまった。
 それにしても。彼女には本当に、鳥居江利子の姿が見えていたのだろうか?
 毒を仕込んだコップを厨房に持ち込んだのは事実だが、さて。
 私は調子の外れた笑い声を聞きながら、心の中で微笑んだ。