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「ごきげんよう、お姉さま」

  ──今野緒雪『マリア様がみてる』より

<3日目/佐藤聖/広間>

「おかえりなさい、お姉さま」

 ……背後から聞こえたのは、私のよく知っている者の声だった。私の最愛の妹、藤堂志摩子。
 視界に入った志摩子の手は、赤く汚れていた。それはすぐに血だとわかった。でも私は、それを信じたくはなかった。
「お姉さま?」
「……志摩子、無事……だったんだね」
「ええ。お姉さまもご無事で」
 普段の志摩子のしゃべり方だ。何かに怯えている様子も感じられない。

 ──まさか。まさか、志摩子が、この事件を起こした犯人?

「ねぇ、志摩子……いったい、何が、あったの……?」
 目の前に広がる光景は、異常以外の何物でもなかった。
 椅子に座るのは、祥子、令、そして祐巳ちゃん。しかし──全員、死んでいるのは明白だった。
 祥子はひどく驚いたような顔だった。細い首に、くっきりとした痕が残っている。令はひょっとすると生きていると言われても信じてしまうかも知れない。でも、顔面は真っ赤に染まり、頭部は無残にも割れていた。祐巳ちゃんは祥子と同じように、首に痕をつけている。とても苦しそうな顔で、私は見ていれずに視線をそらす。
「令さまが、祐巳さんを殺したんですよ」
「なん……だって……?」
 令が祐巳ちゃんを? とてもじゃないが信じられない。殺す理由はどこにもないはずだ。祐巳ちゃんが令の逆鱗に触れたのか、とも思った。姉妹を失った令が怒りに身を任せて祐巳ちゃんを襲ったのだろうか……。
「じゃあ、どうして令は死んでいるの……?」
「私が殺しました」
 そこで私の頭に衝撃が走る。志摩子が令を殺しただって!?
「祐巳さんの首を絞めている令さまの頭に向かって、椅子を振り下ろしました」
 志摩子は、さも当然かのように言う。
「何度も繰り返したら、令さまの動きが止まったので」
 志摩子、志摩子。嘘だと言ってくれ。もうそれ以上言わないでくれ。
「祥子さまは私が殺したんですけどね。うふふっ」
 私は、私の背後にいる少女が、志摩子の顔をした悪魔なんじゃないかと思った。
 志摩子はこんなことをするような子じゃない。祥子と令を殺すような子じゃない。
 そうだ。乃梨子ちゃんはどこだ。乃梨子ちゃんがいたなら、志摩子のこのような行動を許すはずが──。
「お姉さま、誰をお探しですか?」
 歌うようにささやく志摩子。私はできる限り静かに、
「……乃梨子ちゃんを」
「あら、何のお冗談ですか? 乃梨子なら、すぐそこにいるじゃないですか」
「えっ」
 私の首に巻かれていた手が動く。それはまっすぐに、開け放たれた窓を指していた。
「そうだ、お姉さまも乃梨子を見てあげてください。乃梨子ったら、私がどれだけ声をかけても起きないんですよ」
 志摩子は私から離れ、横を通り、窓へと向かった。私はふらふらと、その後に続く。
「乃梨子、乃梨子。お姉さまがいらしたわよ」
「ああ……」
 志摩子の背後から外を見た私は、目を閉じて、声を漏らした。
 悔しそうな表情の乃梨子ちゃんが、雨に濡れていた。片腕が、無い。私の部屋の床に転がっていたのは、乃梨子ちゃんの腕だったというのか。
「──う、うえぇっ!」
 私は吐き気を堪えることができなかった。床に、胃の内容物をぶちまける。
「お姉さま、大丈夫ですか?」
 志摩子が駆け寄る。
「今、お水をお持ち致しますね」
 厨房へと向かう志摩子。

 ……もし、志摩子が持ってくる水に、毒が入っていたらどうする。

 嫌な想像をしてしまった自分を殴りたくなる。
 でも──。

「志摩子、志摩子!」
 私は厨房へと、ガクガクと震える足を引きずるようにして向かった。

<3日目/藤堂志摩子/厨房>

 お姉さまったら、乃梨子のことを見て吐いてしまうなんて失礼だわ。
 でも、みんな死んでしまったのだもの。無理もないかもしれないわね。
 私は冷静。とても冷静。
 祐巳さんを殺そうとしていた令さまを私は殺したけれども、後悔はしていないわ。
 あら、でも私は怯えていた祥子さまを殺したのだっけ。
 ふふ、やっぱり私は狂っているのかしらね。
 だって、私の目の前には、死んだはずのあの方がいるのだもの。
 いけない。挨拶をするのを忘れていたわ。
「ごきげんよう、江利子さま」
 それが、私の最期に発した言葉だった。

<3日目/対峙する二人/厨房>

 佐藤聖は厨房のドアを開いた時、夢を見ているのかと思った。
 そこにいたのは、先に厨房に入った藤堂志摩子ではなく、この館の中で一番最初に命を落としたはずの鳥居江利子だったのだ。
「──江利子……?」
「ごきげんよう、聖。無事でなによりだわ」
 江利子は相変わらずの笑顔と相変わらずの口調でそう言うと、手にしていた物を調理台に置いた。真っ赤に染まったナイフである。それは江利子の胸に刺さっていたはずのものだったが……。
「焦げてしまっても、切れ味は落ちないのね。一発だったわ」
「何を言ってるの? 江利子は生きていたの? でも、部屋で、確かに──」
「あら、こんな状況になっても貴女はわかっていないのね。そんなんじゃあホームズは無理ね。せいぜいワトスン止まりだわ」
「どういうこと? だって、江利子は部屋で」
「はぁーあ」
 江利子は大げさにため息をつき、肩をすくめた。
「聖ってば、まさか本当にわかっていないの?」
「──まさか」
「やっと気づいたのね。すぐわかりそうなもんだったけど。だって、私と瞳子ちゃんじゃ、どうやったって身長が違うでしょうに」
 聖はその場に崩れてしまいそうな身体を支えるべく、調理台に手をついた。
 その時、江利子の足元に倒れる志摩子を見つけた。柔らかな笑顔を浮かべたまま、血まみれとなっている志摩子。その首には横一線に深い切れ込みが入っている。
「江利子、まさか、志摩子を」
「志摩子『を』というか、志摩子『も』ね」
「そんな、まさか」
「だって、瞳子ちゃんを殺して燃やすこともできたのは私しかいないでしょ? 瞳子ちゃんだけじゃないわよ。みんな私が殺したんだから。だって私は『殺人犯人』の役割を背負っているわけだし」
 江利子はにっこりと笑う。
「でも、貴女は『探偵』としてはお粗末だわ。簡単に気絶させられちゃうし。スタンガンが貴女に綺麗に決まったときは驚いたわよ。まったく、一時の肉欲に溺れすぎ」
「……あの手紙は……」
「手紙? ああ、由乃ちゃんのことかしら? だって『貴女も蓉子も仲間』なのには変わりはないでしょう? 山百合会を背負ったことのある仲じゃないの」
 聖は無言で、江利子を睨みつけている。
「けど、一番の誤算は志摩子と令よね。まさか祥子や祐巳ちゃんを殺すなんて考えてもみなかったから。令はああ見えて脆いからね。まぁ、ひょっとしたら元々祐巳ちゃんを殺すことになってたのかも」
「……江利子の言っている意味が、わからないよ……」
「聖……。貴女ったら、本当にわかっていないの? ポケットの中、見てみなさいよ」
「ポケットの中……?」
 聖はハーフパンツのポケットを探った。すると、中から一枚のカードが出てきた。
「こんなの、私、知らない……」
「そう? 『探偵』は知らないのかしらね。ほら、見てみなさいよ」
 そのカードの真ん中には、『探偵』とだけ書かれていた。
「……なに、どういう、こと?」
「ほら、私のカード。『殺人犯人』って書いているでしょ?」
 江利子の差し出したカードには、確かにそう書かれていた。
「いいこと? これは『ゲーム』なのよ、聖。『探偵』は事件を解決しなければいけない。『犠牲者』の数を増やさないように、ね」
「ゲーム……? これがゲームだって? 冗談じゃない!!」
 聖は一気に江利子との距離をつける。胸倉をつかみ、江利子を睨む。
「こんなに人が死んで、それがゲームだって言うのか!! ふざけるな!!」
「ふざけてなんかいないわ」
「江利子!!」
「この最高にふざけた世界を終わらせるにはね、『探偵』が『殺人犯人』を捕まえるか、『全員死ぬ』しかないのよ」
 江利子は悲しそうにつぶやくと、目を閉じた。
「さぁ、聖。もう、終わりにしましょう……」

<3日目/佐藤聖/広間>

 私は、江利子を殺した。
 みんなを死に追いやった犯人は、もういない。
 しかし──誰も助けることはできなかった。

 自分以外の人間は生きてはいない。
 嵐の孤島、凄惨な事件、物言わぬ屍となった哀れな子羊たち。
 自分以外の人間は殺されている。それは即ち生き残っている者が他の者を殺害したということだ。
 私は両手を見る。汚れている。自分の血なのか、それとも──。

 ──みんなを殺したのは、私ということでもあるのかも知れない──。

 開けられたままの窓から、光が射してきた。
 嵐は過ぎ、眩しいくらいの光が、外には立ち込めている。

 その光は、やがて私を包んで……。


 私の意識は途切れた。

<12月20日/山百合会幹部/リリアン女学園>

 パチ、と目が開かれる。
「いかがでしたか、聖さま」
 大きな眼鏡の少女が、目覚めたばかりの佐藤聖を顔を覗き込んでいた。科学部の星ノ宮あずさである。隣には文芸部の横須賀千晴もいる。
「──目覚めた時に可愛い女の子がそばにいるってのは最高だけど、夢の内容は最悪だったね」
 聖は身体を起こして、そう呟いた。
「もっと、いい夢ってのはないの?」
「すみません。私が用意できたのはこのミステリしか」
「次は、さ。もっといいのをお願いしたいなぁ。私と志摩子のラブラブなやつとか──」
 そう言うと同時に、咳払いが聞こえた。二条乃梨子だ。乃梨子は聖に言う。
「志摩子さんとラブラブなんて禁止ですからね、禁止!!」
「おお、怖い怖い。祐巳ちゃーん、乃梨子ちゃんがいじめるよー」
「あはは、聖さまったら。って、ぎゃう!」
「ん~、やっぱり祐巳ちゃんはもちもちしてて気持ちいいねぇ」
 福沢祐巳がじたばたしていると、小笠原祥子が頭に大きな怒りのマークを浮かべながらゆっくりと近づいていく。
「聖さま? 悪夢の続きをお見せ致しましょうか?」
「冗談だよ、冗談。あ、でも祐巳ちゃんが気持ちいいのは本当だからね?」
「うう、嬉しくないです……」

「ちょっといいかしら」
 水野蓉子が、あずさに話しかける。
「このようなマシンはとても素晴らしいのだけど、今回の内容はちょっと刺激が強かったわ。聖ではないけれど、もっといいお話があれば、と思うわね」
「えー? 私は楽しかったわよ? 架空の世界だから思いっきり暴れれたし」
「江利子は黙ってなさい。大体ねぇ、貴女が私を殺すっていうのが納得いかないのよ!」
「あれは自分の不注意でしょ? 毒入りのコップにひっかかるなんて素人もいいとこよ」
「それを仕掛けたのは江利子でしょうが!!」
 二人を見ながら、島津由乃が呟いた。
「あーあ。被害者なんてつまんないの。私が探偵やりたかたなぁ」
「まあまあ。クジで決めた役割だったんだから仕方ないじゃない。それに、結局は協力者だったんでしょ?」
「そうよ。それだって結局騙されてたんだもん。江利子さまが『ドッキリをしかける』とか言うんだもの」
「そういうシナリオだったんだから仕方ないじゃないの。ねぇ、美晴さん?」
 支倉令が美晴の方向を向いた時、由乃は思いっきり令の足を踏みつけた。
「いった!! 何するのよ由乃!!」
「ふーんだ、令ちゃんの馬鹿」

「それにしても、こんな機械があるんですね」
 細川可南子は自分の頭につながれていた小さなマシンを手に取って言った。
「脳波に働きかけて、人工的に夢を見れるんでしたっけ?」
「まぁ、大体は合ってます。麻帆良学園の大学と共同で開発したんですよ」
 あずさは眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。
「それにしても、瞳子の出番が少なかったですわ」
 松平瞳子がプリプリと怒りながら言う。
「せっかく私の演技の本領を発揮できると思いましたのに」
「でも、夢なんだから演じるもなにもないじゃないの」
「ですが……」
「死体役じゃ不満?」
「……不満もなにも、刺されるわ燃やされるわ、散々な目にしか合っていません」
「まぁ、演技は夢じゃなくて現実で行ったほうがいいわよ」
「可南子さんは聖さまとベッドシーンまで行ったから」
「だ、だってそういうシナリオなんだもの! 本当だったら、その、祐巳さまと……」

「乃梨子」
 藤堂志摩子は乃梨子の肩を優しく触る。
「いくらシナリオ通りとは言え、乃梨子が死んでしまうのは悲しいわ」
「私だって、志摩子さんが死ぬのは嫌だったよ」
「それに、令さまにも謝らなくては」
「私も一緒に謝るよ」
「乃梨子、ごめんなさいね」
「ううん、いいよ志摩子さん」
「乃梨子……」
「志摩子さん……」
「ストップストップ!!」
 いい雰囲気に聖が割り込んでくる。
「せめてそういうのは、私がいないときにやってくれないかな」
「聖さまは、私がいても志摩子さんにキスするじゃないですか」
「そりゃあ、志摩子は私のものだもん」
「横暴! 志摩子さんは私のです!!」
「……あの、私はどちらも好きなのだけど……」
 困ったような志摩子の声は、姉と妹の口論にかき消されてしまった。


 ずっとこの光景を見ていたあずさは、「やっぱりこの方々には、血なまぐさい話は似合わない」と思った。それは美晴も同感のようで、「次があれば楽しい話を用意する」と言っている。
 あずさは、この場に集まる全員に言った。
「もし次があれば、ミステリではないシナリオをご用意しますね」


<山百合会孤島事件/殺人事件編・完>