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 ──あの日、私の学園生活は変わった。
 私の名前は纐纈みどり。リリアン女学園の高等部2年生。
 剣道部に所属していて、毎日が充実していた。

 そう、あの日までは。

 あの日、私は妹である水無瀬葉月に呼び出され、昼休みに体育館の裏へ向かった。
 そして、姉妹の証であるロザリオを返されたのだ。

『黄薔薇革命』と呼ばれる事件がその前日に起こった。
 山百合会の幹部であり、私と同じ部活の支倉令と、その妹の島津由乃さんの間で起こったそれは、マリア様の前で由乃さんが令にロザリオをつき返すという、前代未聞の事件だった。
 その日を境に、校内では似たような事件が沢山起こった。悲劇の幕開けである。
 そしてその悲劇は、私にも降りかかったのだ。

 結局、令と由乃さんは元の鞘におさまった。
 他の姉妹も、ほとんどが元の関係に戻った。
 だけど、一部の姉妹は分かれたままでもある。

 それは、私と葉月もそうだった。

「──はぁ」
 ため息をつく私に、「どうしたの? みどり」なんてのんきな口をきくのは、あの事件の当事者でもある令だ。
 貴女のせいで私は最悪の毎日を送っているのよ、なんて言えるはずもない。
 言ったら、絶対に令は私に謝る。それが嫌だった。
 別に令が悪いわけではない。それは私にだってわかっている。きっと私に悪いところがあったのだ。何の不満もなければ、葉月がロザリオを返すわけはない。
「なんでもないわよ」
「そう? なら、いいんだけど……」
 令は誰よりも繊細だ。それに、自分のことには鈍感なくせに、他人の変化にはいち早く気づく。気配りも上手だし、非の打ち所がない。少なくとも私はそう思っている。自慢の友達だ。

 だから、余計にむかついて仕方がないのだ。

「なんでもないって言ってるでしょ!」

 ──しまった。
 他の部員の視線が、一斉に私と令に向けられる。令は悪くない。令は何にも悪くないのに。
 けれど、私は。
「……っ!」
 何も言えずに、剣道場を逃げるように去ってしまった。
 まるで令を悪者にしたみたいで……嫌だった。

 きっと令は明日も笑顔で私と接するだろう。
 私はそんな令に、笑顔で話せるだろうか……?

「葉月」
「お姉さま」
 私はお姉さまの声に反応し、つい全身で振り返ってしまった。
 シスターが見ているわけでもないから、別にいいだろう。

 私の名前は水無瀬葉月。リリアンの高等部1年。
 演劇部の部活も順調。姉もいて、とても楽しい日々を送っている。
 ただ、目の前で笑顔を浮かべる私のお姉さまは、2人目だった。

 偶然の出会いから、すぐに姉妹となった纐纈みどりさま。その方が、私の最初の姉。
 そして、みどりさまとの姉妹関係を一方的に破棄した後、知り合ったのが今のお姉さま──真野智美さまだ。

『黄薔薇革命』が起こる一週間前、私はみどりさまと口論になった。
 きっかけはとても些細なことだったが、『お姉さまと口喧嘩になった』という事実は、ずっと私の中に残っていた。
 そして、黄薔薇のつぼみとその妹が姉妹関係をないものとしたあの日、私は私の姉妹関係を終わらせようと決意した。

 今思えば、とても安易で、とても愚かな考えだった。
 でも、あの時はその決断をした自分を信じていた。

 みどりさまにロザリオを返した。
 でも、私は溢れる涙を止めれずにいた。
 その時だった。智美お姉さまが、ハンカチを差し出してくれたのだ。
 私は植え込みの近く、お姉さまは校舎内。窓から身を乗り出したお姉さまはバランスを崩して落ちてしまいそうになったけど、友達の方が助けてくれたようだった。

 それから私とお姉さまの仲は急激に近くなり、そして、私はロザリオを首にかけていたのだ。
 ……私から、ロザリオをくれと言ったのだ。
 みどりさまにはロザリオを返し、智美さまにはロザリオをくれとせがむ。

 ──こんな自分が嫌だった。

 でも、そんな大嫌いな自分を隠して、私は笑顔を浮かべる。
 だって、お姉さまが喜んでくれるから──。

 葉月の笑顔は、部活の疲れも吹き飛ぶ。
 こんな妹が欲しかったんだよね。

 私は真野智美。リリアン高等部2年、バスケ部所属。言っちゃ悪いけどエース。
 毎日がとても楽しい。部活も絶好調だし、可愛い妹もできたし。
 腐れ縁の英美子には「ノロケてるんじゃないわよ、おバカ」と言われるけど、実際に楽しいからいいじゃないのよ。

 でも、私は気づいているんだ。
 葉月は今でも、前の姉を追っている。
 本当は、私では代わりにもなっていないことはわかっている。
 剣道部五強に入る腕前の彼女──纐纈みどり。葉月の前の姉。
 葉月はずっと彼女を求めている。

 だって、たまに葉月の笑顔に、陰がさすんだ。
 悲しい笑顔を見せるときがあるんだ。

 本当の葉月の笑顔は、きっとみどりさんにしか出せないと思う。

 だから私、葉月との関係を終わらせることにしている。

 でも、ごめんなさい、みどりさん。
 今日だけは、今だけは、葉月の笑顔を私に見せてちょうだい。
 そうじゃないと、私があの時の葉月みたいに泣いてしまいそうだから。

「……みどりさん?」
 私、厨川英美子は、剣道着姿の纐纈みどりさんを見つけて、思わず声をかけていた。
 みどりさんは私を見たが、その顔はいつもの凛々しい表情ではなく、涙で歪んだ顔だった。
「いったいどうしたって言うのよ、みどりさん」
「……英美子、さん……」
 みどりさんは私の名を呼び、私に泣きついてきた。
 私はとても驚いたけれども、今は黙って胸を貸すことにした。

 しばらくその状態が続いただろうか。
「もう、大丈夫」
 そう言ってみどりさんは、いつもの晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。でも、それは少し悲しそうな笑顔だった。
「ねぇ、何があったか話してくれない、かな」
「えっ?」
「いや、ほら。仮にも中学が一緒だったんだし、知らない間柄でもないし」

 ……いったい私はなにを言っているんだろうか。
 私は必死にみどりさんを説得しようとしていた。そんなにみどりさんの泣いている理由が知りたいのか。

 いや、違う。
 私はみどりさんの声を聞きたいんだ。
 もっとみどりさんの隣にいたいんだ。

 中学の頃から、私はみどりさんに憧れ以上の感情を抱いていた。
 みどりさんがリリアンに進むと言ったから、私は第一志望の高校を蹴って、リリアンに入ったのだ。
 残念ながら1年も2年も同じクラスにはならなかったけど、それでもたまに逢っては話をするし、互いの家に遊びに行くこともある。
 みどりさんの力になりたいから、なんて建前。みどりさんの弱いところにつけこんで、もっと親密になりたいと言うのが、本音。

 みどりさんは『黄薔薇革命』の時に、妹と別れた。
 姉妹ができた、と2年に上がってすぐに聞かされた時は、その顔も知らない相手に嫉妬したものだ。
 その時はすぐに元の関係に戻るのだろう、と思っていたが、正直言ってそのままでもいいのに、とも思っていた。
 結局、みどりさんは妹とよりを戻さなかった。
 ましてや、その妹だった水無瀬葉月が、よりにもよって私の幼馴染の真野智美と姉妹になったのだ。それを知った瞬間、私は小さくガッツポーズをした。

 これでみどりさんはフリー。また妹候補ができるかもしれなかったけど、みどりさんがそんな過ちを犯す前に、私のモノにしなくては。
 もう私なしでは生きていけないようにしなくては。

 だから私は、笑顔を浮かべるのだ。
 みどりさんの視線を、私だけに注がせるために。

 纐纈みどりは、未だに自分を想ってくれる葉月の心に気づいていない。
 自分と葉月のことを気にかけてくれている智美の心を知らない。
 そして、真摯に話を聞いてくれている英美子の本心に気づいていない。

 水無瀬葉月は、自分の行動のせいでみどりの心が不安定になっていることをまだ知らない。
 智美が偽りの笑顔に気づいていることを知らない。
 そして、英美子があの出来事を喜んでいることを知らない。

 真野智美は、みどり以上に自分が葉月を想っていることに気づいていない。
 葉月が自分のために無理に笑顔を浮かべていることを知らない。
 そして、小さな頃から一緒にいた英美子の心に宿る闇に気づいていない。

 厨川英美子は、みどりの心に残る葉月のことを取り除くことができないということに気づいていない。
 葉月の心の中にあるみどりへの想いが予想以上に大きいことに気づいていない。
 そして、智美を利用してしまっていることに今はまだ気づいていない。

 様々な想いがもつれ、絡んでいく。
 しかし、希望と絶望が紙一重だということを、今はまだ、誰も気づいていない。