※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

「こんな世界も、あるという事で」 by 桂

「ごきげんよう」
「ごきげんよう」

 さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
 マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
 けがれをしらない心身を包むのは深い色の制服。
 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒など存在していようはずもない。

 私立リリアン女学園。
 明治三十四年創立のこの学園は、もとは華族の令嬢のためにつくられたという、伝統あるカトリック系お嬢さま学校である。

 東京都下。武蔵野の面影を未だに残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、幼稚舎から大学までの一貫教育が受けられる乙女の園。
 時代は移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今日でさえ、十八年通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢さまが箱入りで出荷される、という仕組みが未だに残っている貴重な学園である。


 マリア像の前に、背の高い少女が立っている。
 リリアンの制服とは違うセーラー服を着ている彼女は、笑顔で通り過ぎていく天使たちを信じられないような表情で見ていた。
 これまで生きてきた世界とは違うことを感じ取った彼女は、銀杏並木の道を、校門に向かって歩き出す。早くこの場から立ち去りたい。そう思っていた。
 しかし、笑顔の天使は少々世話焼きであった。

「ごきげんよう」
 明らかに自分に向けて発せられた言葉。
 思わず止まる両足。
 無意識に出る舌打ち。

 ──変なコト言ってきたら、ぶん殴ってやる。

 小田桐硝子は、ゆっくりと振り返った。
 そこには髪の短い少女がいた。制服からしてリリアンの生徒だろうが、意外と眼光は鋭い。
「このお嬢様学校にも、こんな眼をした者がいるとは」と硝子は感心した。

「失礼ですが、リリアンの生徒ではないようですが」
 短髪の少女はそう言った。柔らかな笑顔だが、やはり隙は感じない。自分の所属するチームの総長を思い出させる。
 硝子は答えるが、それはやはりいつもの口調である。
「まだ生徒じゃねぇな。んで、それがどうかしたかよ」
「いえ。もし道に迷っているようであれば、ご案内しようかと思いまして」
 目の前の少女は、どうやらお節介なチーターらしい。そして、狙った獲物は逃がさないタイプのようだ。
「……職員室」
「わかりました」
 ニコッと笑った彼女は、一瞬で獣のオーラを消した。普段から獰猛さを出している自分とは違い、彼女は戦い方を熟知している。硝子は目の前の生徒を覚えた。まさかとは思うが、戦うとなれば厄介だ。

 その時、彼女の背後から声が聞こえた。
「令ちゃ……お姉さま?」
「由乃」
 短髪の少女は「令」という名前らしい。そしてその後ろで硝子を覗き込むように見ている、三つ編みの少女は「由乃」か。
「ごきげんよう」
 由乃は硝子に挨拶をした。どこか儚げな雰囲気の少女は、令程ではないが、オーラを持っていた。喩えるならば、羊の皮をかぶったなんとやら、である。

「由乃。私はこちらの方を職員室まで案内するから。だから……」
 心配そうに言う。外見通り、由乃は病弱なのか。
「いいわよ。私は一人で行けるから」
「それとも、一緒に」
「大丈夫よ。じゃあ、お先に失礼致します」
 由乃はマリア像に手を合わせ、去っていった。その後姿に軽くため息をつき、令は硝子を見た。
「私たちも行きましょうか」
 硝子は肯いただけで、無言だった。


 職員室に向かい、そこで令とは別れた。
 職員室で話がつくと思っていたのだが、学園長室に向かう事になった。学園長は人の良い女性で、学の無い硝子でも知っている「マザー・テレサ」を思い浮かべさせた。

 そして今は、とあるクラスにいた。一年桃組である。
「みなさん。これから一緒に勉強をする、小田桐硝子さんです」
 担任教師に紹介された硝子は、だるそうに一歩踏み出す。
「あー……小田桐です。ヨロシク」
 それだけ言うと、軽く頭を下げた。
「あと、まだ制服届いてないんで、しばらくこのカッコですが、ヨロシクです」

 印象は最悪だろう。それでもよかった。
 むしろ、それでよかった。
 硝子は担任に言われた席に移動して、椅子に座る。
「これからヨロシクね、硝子さん」
 少しミーハーそうだが、人の良さそうな生徒が話し掛けてくる。すぐ近くの、ツインテールの生徒も、硝子をチラチラと見ては微笑みかける。

 ──ま、いいか。

「ああ。ヨロシク」
 軽く睨む事も忘れない。
 硝子はそのまま机に伏した。


 こうして、小田桐硝子の、リリアンでの学園生活が始まった。
 彼女はこれから、様々な事件に巻き込まれたりするのだが、それは、またの機会に。