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<前日>
「あら、そういえば明日なのね」
 志摩子がカレンダーを見ながら呟いた。祐巳と由乃は「何の話?」と書類から顔を上げる。
「逆様の日よ」
「あれ、なんだっけ、それ」聖がのんびりと言う。すると、蓉子が答えた。
「今年から決まったのよ。毎年8月の第3月曜日は、逆様の日」
「だから、どんな日なのよ」
「呆れた……。斜めの日は覚えてる?」
「ああ、こんっなに斜めになる日でしょ?」
 聖は右腕を斜めに突き出した。
 斜めの日は7月の第3月曜日。とにかく、斜めになる日なのだ。
「だから、逆様の日は?」
「逆様だ」
「ご名答。……でもきっと授業あるのよね」珍しく、蓉子がため息をつく。
「そんな日くらい、休みたいわ」
 江利子の言葉に頷きながら、みんなは口々に色々なことを言う。

 ──しかし、この場にいる全員が、逆様の日を甘く見ていた。

<-02:21>
 逆様の日。いつものように登校して、いつものように授業を受け、いつものように薔薇の館に集まっていた山百合会幹部の面々は、いつ始まるかわからない逆様の日に恐怖を感じていた。
「絶対外出禁止にしたほうがよかったのにぃ」
「でも、だいたい一時間程度だと聞いたわよ」
 由乃と志摩子はそう話しながら、逆様になっては困る物を、テープで固定していた。カップなどの割れてしまう物は戸棚に仕舞い、動かないように固定している。
「下手に下校するのもアレだしね」
「ねぇ、まだ江利子が来ないんだけど」聖が言う。
「ええっ? しょうがないわねぇ……」呆れたように蓉子が言った。
「お姉さま、あそこに!」
 祥子の声を聞き、蓉子と聖が窓際に駆け寄る。江利子が、笑いながら手を振っていた。
「しょうがないなぁ、あのデコ!」
「お姉さま! 外は危険です!!」
 聖と令が、駆け出した。急がないと、逆様が始まるかもしれない。
「令!」祥子が叫ぶ。
「江利子! 早く戻っていらっしゃい!!」蓉子は、江利子に向かって言った。

<-01:13>
 薔薇の館が騒がしくなった。江利子はさすがにまずい、と感じたのか、薔薇の館に向かって歩き出す。しかし、まだ未練はあるのか歩みはゆっくりだった。
「お姉さま!」
「江利子!」
 令と聖が走り寄る。江利子も無意識に歩みが速くなり、そしてついに走り出した。「怖い」と江利子が感じたのである。
「江利子、早くこっちに!」
「中に入らないと……!」

 その瞬間。
 ゆっくりとだが、世界が斜めになり出した。

<00:03>
「まずい!」そう叫んだのは聖である。「江利子、戻るよ!!」
「お姉さま!!」令が悲痛な叫びを上げる。
「わ、わかったわよ!」
 薔薇の館に向かって三人は走り出す。館への道がだんだん坂道になっていく。それも、下り坂だ。
 下手に走ったのがまずかった。館に向けて、三人は加速していく。

<01:42>
 椅子と机が動き出した。
 祐巳は祥子に、志摩子は由乃に、互いにしがみついていた。
 蓉子だけが、窓の外を見ていた。三人が、薔薇の館に入るまでを見届けなければ安心はできなかった。
「由乃さん……怖いわ」
「大丈夫よ、志摩子さん。私も、怖い」
 ずずず、と音を立てて机が移動していく。だんだん床が斜めになる。しかし、ここまでは斜めの日と一緒である。問題はその先──つまり「逆様」だ。

<02:11>
 薔薇の館の扉に最初に飛びついたのは聖だ。焦りながらも扉を開き、道を確保する。
「早く!」
「お姉さま、先に!」
「ごめんなさい、令!」
 江利子が館に入ろうとした時、更に地表が斜めになった。外側に開いていた扉が、勢い良く閉じる。
「うわぁ!」
 聖がドアノブを持ったまま、宙吊りに近い形になる。ゆっくりと、足場を確保する。
 それと同時に、江利子が扉を、持ち上げるようにして開いた。
「ゆっくり! 急ぐと、落ちるよ!!」
 普段歩いていた床が壁に変わっていく。斜めは、逆様になるための回転の途中なのだ。
 江利子が館に入る。ゆっくり斜面を下り、壁に足をつく。
「令!」江利子が扉を見上げた。
 返事をしようとした令だが、バランスを崩してしまった。
 悲鳴もあげれず、令が入り口から落下する。

<04:53>
 斜めになりだして、そろそろ五分が経過する。だんだん床が垂直になりつつある。
 窓のある場所にいることは出来ない。蓉子たちは壁がある部分に移動する。
「そろそろ45度くらいね」
「江利子さまも中に入ったようですね」
「全く、江利子ったら!」
 椅子と机が、壁にくっついた。全ての移動するものが、館に片側に寄っている状態だ。
「教室は大変でしょうね」
「病院とかも」
「図書室なんか、目も当てられないわよ」
 意外とのんびりしている、二階の面々であった。

<05:21>
 一方、一階のメンバーはとんでもなく緊迫していた。
「大丈夫!?」聖が聞く。
「だ、大丈夫です」
 真っ直ぐ落下して、危うくステンドグラスを突き破るところだったが、なんとか階段にしがみついたのだ。
 今は踊り場の部分に避難している。
「令」
「なんですか、お姉さま」
「……ごめんね」
「いえ、いいんです。お姉さまが無事なら」令は、柔らかく微笑んだ。

<07:21>
 今度は、天井が床になって壁が壁に戻る。逆様への折り返しが始まった。
「世界が、逆になっていくわ」
「そ、外にいたら、どうなっちゃっていたんでしょうか……」
 祐巳が泣きそうな声で言う。すると、志摩子が由乃の耳元で、ぞっとするような低い声で呟いた。
「──空に、堕ちるのよ」
「や、止めてよ、志摩子さんっ」
「ごめんなさい、由乃さん」

<09:01>
 江利子は、聖にしがみついていた。
「あんまり、くっつかないで」
「私が落っこちたら、道連れよ」
「やめてよ、バカ」
「……」
「何。どうしたのよ」
「……ありがとう」
「それは、元に戻ってから言ってよね」
「うん」

<10:04>
 十分が経過した。逆様になったので、回転は終了したようだ。
 床となってしまった天井に、彼女達は座っていた。
「これは……とっても心臓に悪いわ」由乃はそう言うと、天井にのびる。
「本当ね。来年から廃止になればいいのだけれど」祥子は、祐巳の頭を撫でながら言った。
「空に堕ちるって、どんな感じなんだろう……」志摩子の言葉に魅せられた、祐巳が呟く。
「きっと、海を飛ぶようなものだと思うわ」志摩子の返事は、どこか哲学的でもあった。
「江利子たちも、大丈夫みたいだし」蓉子がそう言いながら、ビスケット扉を開いた。
「あら、令」目の前に、令がいた。「聖と江利子は?」
「ここここ」
「今からそっちに行くわ」
「気をつけて降りていらっしゃい」

<49:32>
 逆様の日が始まってから、もうすぐ一時間になる。ひっくり返った世界は、何だかんだで新鮮だった。
 パニック気味だった心も落ち着き、まったりしていた時、祥子に祐巳が言った。
「お姉さま」
「なぁに? 祐巳」
「いつ、元に戻るんでしょうね」
 誰かが、はっ、と息を飲んだ。

<50:00>
 世界が、斜めになり出した。