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「あら、今帰りかしら?」
 その声に振り向くと、そこには長く美しい黒髪をたたえた彼女が立っていた。
「あ、岩下先輩……」
 岩下明美。三年生で、私とはひょんなことから知り合い、今では仲良くお付き合いさせてもらっている。仲良く、とは言ったものの、それは私が一方的にそう思っているだけかも知れない。
「はい。そろそろ帰ろうかと」
「そう。だったら、一緒に帰りましょう?」
 その微笑みは、とても魅力的で、非常に妖しいものがある。
 私は「はい」と返事をしていた。

 昇降口の前で待ち合わせをしていると、数分で先輩がやってきた。
「待たせたわね」
 私の肩にそっと手を置き、先輩はそう言った。
 唇の動きだけで、私の心を魅了する。
「さ、行きましょうか」

 歩きながら、先輩が呟いた。
「ねぇ、恵美さん。貴女、こんな話を知っているかしら?」
 この話の始め方は、かつて新聞部で企画した『学校の七不思議』の会合を思い出させる。
 私は先輩から、何度もこういった語り出しで、様々な話を聴かされている。
『七不思議』どころではない数の、私の通う学校にまつわる話。あの時集まった人達は皆、どうしてかそういった話を知っていた。
 それは、ほんの少しだけ遅れて歩いている、岩下先輩も例外ではない。
 私は、先輩の顔を見た。それを返事と受け取ったのか、静かに語り出す。
「そう、こんな風に曇った日。今にも雨が降り出しそうな、夏の日の事──」

   ***

 あの日も、こんな風にどんよりと曇った日だったわ。
 いつ雨が降り出してもおかしくない。風も無く、ただじめじめとした空気が肌にまとわりつくだけ。
 私は、朝から不機嫌だったの。だって、夏なんだからただでさえ暑くて嫌なのに、こんな天気では気分も悪くなるというものよ。
 他の人だってそう。下敷きで扇いだり、風が無いのをわかっていながらも、僅かな空気の動きを期待して、窓を開けてそこに集まったり。
 私? 私は普段通りの生活を送っていたわ。自分の席に座って、図書室から借りた文庫を読んでいたの。
 ……友達がいないのか、ですって? 失礼なことを訊くのね。私にだって友達はいたわ。
 丁度その休み時間に話しかけてきた宮野さんだって、私の友達だったもの。

 宮野朱美。私と同じ読みの名前を持つ彼女は、いつも明るくて元気だったわ。そう、恵美さんみたいにね。
 その日も、仲良しグループの人達と一緒に、おしゃべりをしては笑っていたわ。
 私はその騒がしい教室を、結構気に入っていたのよ。だから、暑くても図書室や別の涼しい場所に移動せず、教室で読書していたのだから。
 文庫を読み終えたと同時に、宮野さんは私に近寄ってきて、こう言ったの。
「岩下さん、今夜ヒマ?」
 私は答えたわ。特に用事はないけど、って。すると、宮野さんは安心したように小さく溜め息をついたの。
「だったら、今夜学校に集まらない? みんなで肝試ししようって話になってさ」
「肝試し?」
「そう。旧校舎とか、体育館とか、ペアで回るの」
 心底楽しそうに宮野さんは言っていたわ。もう彼女の頭の中ではその場面が見えていたのね。夜の学校、月明かりに照らされる旧校舎、小さな物音とかに反応しては怖がったり笑ったりする自分。そこまで楽しそうな彼女をがっかりさせるのも悪いと思って、私は承諾の返事をしたわ。
「いいわよ。何時に集まればいい?」
 じゃあ、夜の九時に裏門に集合。そう言って、宮野さんはまたグループの輪の中に戻って行ったの。
 私はそんな彼女の後姿を見ながら、まるで猫みたい、って思ったものよ。

 夜になっても、あの澱んだ空気は変わらなかったわ。
 裏門に集合したのは、私と宮野さんを入れて八人。え? 内訳? 男子が三人で、女子が五人だったわ。恵美さんって変なことを気にするのね。……私が誰とペアになったかが気になったですって? ふふ、男子とでも組むと思ったのかしら。
 恵美さんが何を考えたかは聞かないでおくけど、私と組んだのは宮野さんだったわ。
 裏門から校舎を進んで、美術室と音楽室の中に入って、旧校舎の周りを回ってから体育館に行く。それがコースだったわ。
 学校の許可? それが、宮野さんは宿直の先生にきちんと許可を取っていたのよ。あの手回しの早さには感心したわ。

 私たちは三番目の出発だったわ。
 廊下を歩きながら、宮野さんはずっと「夜の校舎って怖いね」と連発していたのよ。肝試しなんだから当たり前じゃない、ねぇ? 恵美さんもそう思わないかしら?
 だって、恐怖を味わうためにわざわざ夜の校舎を選んだのだもの。怖くなかったら駄目じゃない。
 別に恐怖だけだったら夜じゃなくても味わえる場所なんて、いくらでもあったのに。先に私に言ってくれれば、教えてあげたのに。ふふ。
 あら、恵美さん、どうしたの? え? そんなにあるのかって? あるわよ。明日にでも美術準備室に行ってごらんなさい。沢山の石膏像や絵画が、恵美さんをずっと見ているから。うふふ……。

 その時は準備室には入らなかったけれど、夜の美術室は確かに怖いものはあったわ。両腕の無い石膏像や、笑顔を浮かべたまま時間が止められた女性が、暗闇に浮かんでいる。宮野さんは入口からあまり進もうとしなかったわ。
「岩下さん、もう行こう」
 なんて言うのよ。ふふ。企画の発案者が一番怖がっていたんじゃないかしら。私はもう少しその恐怖の中にいたかったのだけど、宮野さんがあまりに怖がっているから、そこを後にしたわ。
 でも、その次の化学室だって、人体模型や骨格の標本があるのよ? 宮野さんは途中で化学室を飛ばして、もう外に出ようとまで言い出したわ。
 私は何て言ったと思う?

 ……ふふ、そうよ。折角の機会なんだから、行かないと損よね。
 私は宮野さんの手を取って、化学室に向かったわ。
「岩下さん、怖くないの?」
 宮野さんは、次になにかあったら泣くんじゃないかといった感じの声だったわ。
「怖いわよ。肝試しは成功ね」
 そう答えて、私は廊下を駆け出したわ。宮野さんを置いてね。
「ま、待って! 待ってよ!!」
 ひょっとしたら、泣いていたんじゃないかしら。宮野さんは私を全力で追ってきたの。すぐに私は捕まったわ。
「岩下さんの意地悪」
「ふふ。急いだおかげで、もう化学室よ」
 少し前に、化学室のドアが見えたわ。宮野さんは私を怒ることも忘れて、そこで動かなくなってしまったのよ。
 あら、言うじゃない、恵美さん。私に性格が悪いだなんて言ったのは、恵美さんがはじめてかしらね。私は少しでも楽しもうとしただけよ? 別にその場に宮野さんを置き去りにしようだなんて思ってないわ。うふふ。
 宮野さんがあまりに怖がる物だから、私は化学室のドアを開けて、中を少し覗くだけにしたわ。確かに、中に入ればもっと怖がれたでしょうけど、月明かりに浮かぶホルマリン漬けなんて見たら、宮野さんだったら失神していたかも知れないわね。失神なんてされたら、最後までできないもの。

 でも、肝試しは最後までできなかった。
 それは、渡り廊下から外に出て、旧校舎の周囲を回っている時だったわ。
 基本的に、旧校舎は立ち入り禁止になっているのは知っているわよね? 木造は確かに頑丈とはいえ、造られたのは戦前のことだもの。床だって抜けている部分もあるし、窓ガラスだって割れている。夜じゃなくても不気味でしかたない場所だもの。
 さすがに宮野さんも、最初から入ろうとは考えていなかったし、たとえ入ることにしていても、先生が許さなかったでしょうね。
 私たちは、少し足早に歩いていたわ。実を言うとね、私も旧校舎だけは本当に怖いのよ。外から見ているだけでも寒気がするわ。あの時だけは、暑さもどこかに吹き飛んだわね。

 旧校舎の裏側、裏門から一番離れた場所で、物音がしたの。
「ひっ」
 宮野さんが小さく悲鳴をあげた。私も歩くのを止めて、宮野さんと同じ方向を見ていたわ。
 割れた窓ガラスの奥には、月明かりですら届かない深い闇があったわ。でも、あの物音は、明らかにその闇の中から聞こえてきた。
 今思えば、ネズミか何かの類だったのでしょうけど、さすがに私もあの時は怖くてしかたなかったわ。
「ねぇ、宮野さん……」
 私が話しかけた時だったわ。もう一度、物音がしたの。それも、限りなく窓に近い場所から。
 その時、宮野さんはどうしたと思う?

 そうよ。宮野さんは、私を置いて走り出したのよ。
 悲鳴も上げれなかったんでしょうね。口を大きく開けたまま、宮野さんは全速力で走り出した。でも、今来た場所を戻るんじゃなく、真っ直ぐ進んでいったのよ。体育館に向かったのね。
「宮野さん!」
 私は一人残されて、本当の恐怖というものを感じたわ。化学室の前の宮野さんもあんな感じだったのかしら。今謝ることができたら、心の底から謝るわ。
 とにかく、私は宮野さんを追って走り出した。それでも、宮野さんの姿はどこにもなかった。廊下ですぐに追いつかれた私が、全力で走った宮野さんに追いつける訳がないものね。
 角を曲がると、体育館までは直線だった。でも、そこにも宮野さんはいない。もう体育館の中に入ったのかしら。私はそう思って、体育館に向かったわ。
 すると、中から出てくる人影があったの。それは、私たちの前に出発した二人だったわ。
「あれ? 岩下さんじゃない」
「ねぇ、宮野さんは来なかった?」
「朱美? 来てないわよ? それより追いつかれるなんて、よほど急いだのね」
 確かに、化学室前を走ったり、中に入らなかったりした私たちは、他のペアよりもずっと速い時間でコースを進んだんでしょうから、追いついたのには納得がいったわ。
 でも、宮野さんは真っ直ぐ行けるはずの体育館に来ていないことに、私は疑問を感じていた。
 私は正直に言ったわ。
「宮野さんがいなくなったの。一緒に探してもらえないかしら」
「朱美が!?」
 驚いた彼女は、携帯電話を取り出して宮野さんを呼び出そうとしたんだけど、しばらくコールしても出なかったらしく、電話を切ったわ。
「駄目。出ない」
「旧校舎の裏手で、物音に驚いて走って行ったのよ」
 そう説明して、私たちは三人で旧校舎まで戻ったわ。その時、もう一度電話をかけてみることにしたの。

 すると、電話の鳴る音が聞こえたわ。
 旧校舎の中から、ね。
「どうして、中に?」
「俺、先生呼んでくるよ」
 男子が先生を呼びに行っている間、私たちはずっと宮野さんに呼びかけていたわ。でも、返事はなかった。
 しばらくして、最初に戻っていたペアと一緒に、先生と男子が戻ってきたわ。
 いきさつを説明すると、先生が旧校舎に入って調べてくれることになって、私たちは入口まで移動したわ。
 鍵を開けて、中に先生が入っていった。けれど、しばらくしたら先生が戻ってきた。その手には、宮野さんの携帯電話が握られていたわ。

   ***

「あの、先輩」
「何かしら?」
「宮野先輩はどこにいたんですか?」
「え? それは私が教えて貰いたいくらいよ。結局、宮野さんは携帯電話だけを残して消えてしまったの……」
 岩下先輩は、それきり口を閉ざしてしまった。
 先輩は、いつものように私に怖い話をしたかったんじゃなく、この嫌な天気で思い出してしまった過去を、教えてくれたのだ。
 友達の一人が消えてしまったのだから、先輩はとても辛いんだろう。それを、私に教えてくれたんだ。
 私は、先輩の手を取った。
「恵美さん?」
「先輩……」
 私は先輩の手を握り締めて、言った。
「先輩。私は、いなくなったりはしませんからね」
 自分で言ってからなんだけど、これは私なりの告白、なんだろうか。

 岩下先輩は、少しだけ、目尻に涙を浮かべた。
 そして、こう言ったのだ。
「でも、宮野さんは今でも友達よ」
 遠くに見える旧校舎を見る。私も、一緒になって旧校舎を見た。
「だって、宮野さんはまだ、あの中にいるから」
「……え」
 それって。それって……。
「さぁ、私の話はこれでおしまい。……ねぇ、恵美さん」
「は、はい」
「今度、一緒に肝試ししましょうか?」
「え、遠慮します!!」
 ……旧校舎の闇の中に迷い込むのだけは御免だ。
 慌てて手を離した私を見て、先輩は微笑んだ。

「恵美さん、約束したわよ。いなくなったら、許さないから。うふふ……」