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ベンチの二人」(2008/04/02 (水) 01:58:22) の最新版変更点

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「なぁ」  澤村は隣に座る吉田に声をかけた。 「うん?」 「ちょっと気になったんだけどな。『怪談』と『都市伝説』ってどう違うんだ?」  吉田は目の端に映る澤村に、呆気にとられたようだった。    *  夏の暑い日。都内の公園のベンチに朝から晩まで座って、他愛のない話に明け暮れる男が二人。  公園の利用者は、二人の存在に気付いていないらしく、しかしそのベンチには異様な雰囲気でも漂っているのか、子供や老人はおろか野良猫すらも近づかない。  熱気にやられたのか、あるいは病気なのか。ワイシャツにネクタイという服装の顔色の悪い男は澤村という。その隣で涼しい顔をして座っているのは、薄手のパーカーにジーンズの青年。こちらは吉田という名だった。  元々は澤村の特等席だったこのベンチだが、数ヶ月前から吉田がやって来た。それからは二人がこの場所を占領している形になっている。 「また、澤村さんも変なことを気にしますね」  吉田の視線は植え込みの向こうにある噴水から離れない。 「いや、それがな。この前、会社の同僚が話しているのを聞いたんだよ」 「その二つの違いですか」 「ああ。そいつはある程度は定義をわかっているようだったが、俺は結局それを聞きそびれてしまって」 「で、僕ですか」 「吉田くんなら知ってると思ったんだが」  澤村は自分の膝から下をぼおっと眺めていたが、ゆっくりと吉田の横顔に視線を移動させる。 「僕だって詳しくはわからないですけどね。ただ、ある程度の見解なら」 「お、それでもいいんだ。聞かせてくれないかな」  猫背をしゃんと伸ばした澤村に苦笑しながら、吉田は好奇心の塊のような人生の先輩に講釈をはじめる。    * 「まず『怪談』ですけど、その言葉を聞いて最初に思い浮かべるのはなんですか」 「うーん、『四谷怪談』かな」 「他には」 「そうだな。『番町皿屋敷』や『お岩さん』だな」 「『お岩さん』は『四谷怪談』の登場人物ですよ」 「ありゃ、そうだったか。あの酷いものもらいみたいな顔の女の話だぞ?」 「はい。他にありますか?」 「他に? 『四谷怪談』と『皿屋敷』以外で……」 「いや、ないなら別にいいんですが」 「ああ、『牡丹灯篭』があるな。でも俺の脳味噌が絞り出したのはこの三つだ」 「澤村さんはすごいですよ」 「え?」 「いや、その三つは日本三大怪談と言われるくらい有名な話なんです。やっぱりその三つが出てくるところが澤村さんだ」 「褒められてるんだか何なんだかわからないなぁ」 「褒めてるんですよ。二つは出ても『牡丹灯篭』が出てくる人は少ないでしょう」 「そんなもんかい。で、それがどうなんだ?」 「まぁまぁ。次は『都市伝説』です。何を思い浮かべます?」 「『ルール』かな」 「ルール? どんなやつですか、それ」 「映画だよ。アメリカでよくある、若者が殺されてくタイプのやつ」 「ああ、そういえばそんなシリーズもありますね。あれは都市伝説をモチーフにしてましたっけ」 「他には『ベッドの下の男』なんかもあるよな」 「そうですね。それも都市伝説になりますか」 「そうだ。『口裂け女』も都市伝説に入るんじゃないか」 「十分でしょう。さて、ここからが僕の意見ですが、『怪談』はある程度の年数が経った『都市伝説』なんじゃないか、と思ってます」 「ある程度の年数?」 「ええ。よく考えれば、最初に言ってもらった日本三大怪談のそれは、大体が江戸時代の話です。そこまで昔の話なら、確かめようがない。井戸から皿を数える声が聞こえるなんて、今の時代ではナンセンスな話でしょう」 「ふん、確かにそうかも知れないなぁ」 「逆に『都市伝説』はいたって身近なものです。さっきのだって、ベッドなんて物がある時点で最近の話、『口裂け女』なんて昭和、それも終戦後からの話なんですから」 「俺の子供の時に流行ってたな」 「また最近流行ってるらしいですよ」 「へぇ」 「まぁとにかく、身近な『怖い話』というのが『都市伝説』、遥か昔の時代の『怖い話』が『怪談』だと思うんです。事実、『四谷怪談』とかは落語とかの題材にされるほどにベタではあるが有名な話ですからね」 「じゃあ、今『都市伝説』でもいずれ『怪談』になるかも知れない、と?」 「その時にどんな呼称になっているかはわかりませんがね。例えばベッドとかが必要なくなって、もっと違った形の寝具が普及しているなら、『ベッドの下』というシチュエーションは消えてしまいますから。その代わり、その寝具の形状に則った『都市伝説』が生み出されるんじゃないでしょうか」 「なるほどなぁ。いや、勉強になったよ」 「あくまでも、これは僕の見解ですからね」    *  それからも二人はその話題で話し込み、気がつけば日も暮れ、綺麗な満月が夜空に浮かんでいた。 「やぁ、気がつけばこんな時間か」  澤村は公園の時計を見た。 「また今日も一日座ってましたね」 「これしかすることがないからな」 「そうですね。でも、色んな人の会話を聞いているだけでも面白い。シャーロック・ホームズになった気分です」 「なんだいそりゃ」 「ホームズは人間観察が趣味でしたから」 「ふうん。俺はそっち方面の話はさっぱりだ。生まれて死ぬまで仕事一筋だったからなぁ。おかげで、会社に行かなくても良くなってから知りたいことが山ほどできちまった」 「僕も、大学に行かなくてもいいようになってからです。どんな時でも、やっぱり脳は知識を欲するんですね」 「人間ってのは不思議な生き物だな」 「ええ」  吉田は相変わらず噴水を見たままだったが、その口元には笑みが浮かんでいる。 「……なぁ、吉田くん」 「はい?」 「俺達も、いつか『怪談』になる日が来るのかな」  澤村は、薄くぼやけた膝から下を見ながら呟いた。  吉田は、かろうじて視神経でぶら下がっている右目をゆらゆらと振りつつ答える。 「まずは『都市伝説』になるのが先でしょう」  二人は、いつまでもこのベンチに座っている。
「なぁ」  澤村は隣に座る吉田に声をかけた。 「うん?」 「ちょっと気になったんだけどな。『怪談』と『都市伝説』ってどう違うんだ?」  吉田は目の端に映る澤村に、呆気にとられたようだった。    *  夏の暑い日。都内の公園のベンチに朝から晩まで座って、他愛のない話に明け暮れる男が二人。  公園の利用者は、二人の存在に気付いていないらしく、しかしそのベンチには異様な雰囲気でも漂っているのか、子供や老人はおろか野良猫すらも近づかない。  熱気にやられたのか、あるいは病気なのか。ワイシャツにネクタイという服装の顔色の悪い男は澤村という。その隣で涼しい顔をして座っているのは、薄手のパーカーにジーンズの青年。こちらは吉田という名だった。  元々は澤村の特等席だったこのベンチだが、数ヶ月前から吉田がやって来た。それからは二人がこの場所を占領している形になっている。 「また、澤村さんも変なことを気にしますね」  吉田の視線は植え込みの向こうにある噴水から離れない。 「いや、それがな。この前、会社の同僚が話しているのを聞いたんだよ」 「その二つの違いですか」 「ああ。そいつはある程度は定義をわかっているようだったが、俺は結局それを聞きそびれてしまって」 「で、僕ですか」 「吉田くんなら知ってると思ったんだが」  澤村は自分の膝から下をぼおっと眺めていたが、ゆっくりと吉田の横顔に視線を移動させる。 「僕だって詳しくはわからないですけどね。ただ、ある程度の見解なら」 「お、それでもいいんだ。聞かせてくれないかな」  猫背をしゃんと伸ばした澤村に苦笑しながら、吉田は好奇心の塊のような人生の先輩に講釈をはじめる。    * 「まず『怪談』ですけど、その言葉を聞いて最初に思い浮かべるのはなんですか」 「うーん、『四谷怪談』かな」 「他には」 「そうだな。『番町皿屋敷』や『お岩さん』だな」 「『お岩さん』は『四谷怪談』の登場人物ですよ」 「ありゃ、そうだったか。あの酷いものもらいみたいな顔の女の話だぞ?」 「はい。他にありますか?」 「他に? 『四谷怪談』と『皿屋敷』以外で……」 「いや、ないなら別にいいんですが」 「ああ、『牡丹灯篭』があるな。でも俺の脳味噌が絞り出したのはこの三つだ」 「澤村さんはすごいですよ」 「え?」 「いや、その三つは日本三大怪談と言われるくらい有名な話なんです。やっぱりその三つが出てくるところが澤村さんだ」 「褒められてるんだか何なんだかわからないなぁ」 「褒めてるんですよ。二つは出ても『牡丹灯篭』が出てくる人は少ないでしょう」 「そんなもんかい。で、それがどうなんだ?」 「まぁまぁ。次は『都市伝説』です。何を思い浮かべます?」 「『ルール』かな」 「ルール? どんなやつですか、それ」 「映画だよ。アメリカでよくある、若者が殺されてくタイプのやつ」 「ああ、そういえばそんなシリーズもありますね。あれは都市伝説をモチーフにしてましたっけ」 「他には『ベッドの下の男』なんかもあるよな」 「そうですね。それも都市伝説になりますか」 「そうだ。『口裂け女』も都市伝説に入るんじゃないか」 「十分でしょう。さて、ここからが僕の意見ですが、『怪談』はある程度の年数が経った『都市伝説』なんじゃないか、と思ってます」 「ある程度の年数?」 「ええ。よく考えれば、最初に言ってもらった日本三大怪談のそれは、大体が江戸時代の話です。そこまで昔の話なら、確かめようがない。井戸から皿を数える声が聞こえるなんて、今の時代ではナンセンスな話でしょう」 「ふん、確かにそうかも知れないなぁ」 「逆に『都市伝説』はいたって身近なものです。さっきのだって、ベッドなんて物がある時点で最近の話、『口裂け女』なんて昭和、それも終戦後からの話なんですから」 「俺の子供の時に流行ってたな」 「また最近流行ってるらしいですよ」 「へぇ」 「まぁとにかく、身近な『怖い話』というのが『都市伝説』、遥か昔の時代の『怖い話』が『怪談』だと思うんです。事実、『四谷怪談』とかは落語とかの題材にされるほどにベタではあるが有名な話ですからね」 「じゃあ、今『都市伝説』でもいずれ『怪談』になるかも知れない、と?」 「その時にどんな呼称になっているかはわかりませんがね。例えばベッドとかが必要なくなって、もっと違った形の寝具が普及しているなら、『ベッドの下』というシチュエーションは消えてしまいますから。その代わり、その寝具の形状に則った『都市伝説』が生み出されるんじゃないでしょうか」 「なるほどなぁ。いや、勉強になったよ」 「あくまでも、これは僕の見解ですからね」    *  それからも二人はその話題で話し込み、気がつけば日も暮れ、綺麗な満月が夜空に浮かんでいた。 「やぁ、気がつけばこんな時間か」  澤村は公園の時計を見た。 「また今日も一日座ってましたね」 「これしかすることがないからな」 「そうですね。でも、色んな人の会話を聞いているだけでも面白い。シャーロック・ホームズになった気分です」 「なんだいそりゃ」 「ホームズは人間観察が趣味でしたから」 「ふうん。俺はそっち方面の話はさっぱりだ。生まれて死ぬまで仕事一筋だったからなぁ。おかげで、会社に行かなくても良くなってから知りたいことが山ほどできちまった」 「僕も、大学に行かなくてもいいようになってからです。どんな時でも、やっぱり脳は知識を欲するんですね」 「人間ってのは不思議な生き物だな」 「ええ」  吉田は相変わらず噴水を見たままだったが、その口元には笑みが浮かんでいる。 「……なぁ、吉田くん」 「はい?」 「俺達も、いつか『怪談』になる日が来るのかな」  澤村は、薄くぼやけた膝から下を見ながら呟いた。  吉田は、かろうじて視神経でぶら下がっている右目をゆらゆらと振りつつ答える。 「まずは『都市伝説』になるのが先でしょう」  二人は、いつまでもこのベンチに座っている。

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