「旧校舎の闇の中で」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

旧校舎の闇の中で」(2008/10/08 (水) 02:25:47) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

「あら、今帰りかしら?」  その声に振り向くと、そこには長く美しい黒髪をたたえた彼女が立っていた。 「あ、岩下先輩……」  岩下明美。三年生で、私とはひょんなことから知り合い、今では仲良くお付き合いさせてもらっている。仲良く、とは言ったものの、それは私が一方的にそう思っているだけかも知れない。 「はい。そろそろ帰ろうかと」 「そう。だったら、一緒に帰りましょう?」  その微笑みは、とても魅力的で、非常に妖しいものがある。  私は「はい」と返事をしていた。  昇降口の前で待ち合わせをしていると、数分で先輩がやってきた。 「待たせたわね」  私の肩にそっと手を置き、先輩はそう言った。  唇の動きだけで、私の心を魅了する。 「さ、行きましょうか」  歩きながら、先輩が呟いた。 「ねぇ、恵美さん。貴女、こんな話を知っているかしら?」  この話の始め方は、かつて新聞部で企画した『学校の七不思議』の会合を思い出させる。  私は先輩から、何度もこういった語り出しで、様々な話を聴かされている。 『七不思議』どころではない数の、私の通う学校にまつわる話。あの時集まった人達は皆、どうしてかそういった話を知っていた。  それは、ほんの少しだけ遅れて歩いている、岩下先輩も例外ではない。  私は、先輩の顔を見た。それを返事と受け取ったのか、静かに語り出す。 「そう、こんな風に曇った日。今にも雨が降り出しそうな、夏の日の事──」    ***  あの日も、こんな風にどんよりと曇った日だったわ。  いつ雨が降り出してもおかしくない。風も無く、ただじめじめとした空気が肌にまとわりつくだけ。  私は、朝から不機嫌だったの。だって、夏なんだからただでさえ暑くて嫌なのに、こんな天気では気分も悪くなるというものよ。  他の人だってそう。下敷きで扇いだり、風が無いのをわかっていながらも、僅かな空気の動きを期待して、窓を開けてそこに集まったり。  私? 私は普段通りの生活を送っていたわ。自分の席に座って、図書室から借りた文庫を読んでいたの。  ……友達がいないのか、ですって? 失礼なことを訊くのね。私にだって友達はいたわ。  丁度その休み時間に話しかけてきた宮野さんだって、私の友達だったもの。  宮野朱美。私と同じ読みの名前を持つ彼女は、いつも明るくて元気だったわ。そう、恵美さんみたいにね。  その日も、仲良しグループの人達と一緒に、おしゃべりをしては笑っていたわ。  私はその騒がしい教室を、結構気に入っていたのよ。だから、暑くても図書室や別の涼しい場所に移動せず、教室で読書していたのだから。  文庫を読み終えたと同時に、宮野さんは私に近寄ってきて、こう言ったの。 「岩下さん、今夜ヒマ?」  私は答えたわ。特に用事はないけど、って。すると、宮野さんは安心したように小さく溜め息をついたの。 「だったら、今夜学校に集まらない? みんなで肝試ししようって話になってさ」 「肝試し?」 「そう。旧校舎とか、体育館とか、ペアで回るの」  心底楽しそうに宮野さんは言っていたわ。もう彼女の頭の中ではその場面が見えていたのね。夜の学校、月明かりに照らされる旧校舎、小さな物音とかに反応しては怖がったり笑ったりする自分。そこまで楽しそうな彼女をがっかりさせるのも悪いと思って、私は承諾の返事をしたわ。 「いいわよ。何時に集まればいい?」  じゃあ、夜の九時に裏門に集合。そう言って、宮野さんはまたグループの輪の中に戻って行ったの。  私はそんな彼女の後姿を見ながら、まるで猫みたい、って思ったものよ。  夜になっても、あの澱んだ空気は変わらなかったわ。  裏門に集合したのは、私と宮野さんを入れて八人。え? 内訳? 男子が三人で、女子が五人だったわ。恵美さんって変なことを気にするのね。……私が誰とペアになったかが気になったですって? ふふ、男子とでも組むと思ったのかしら。  恵美さんが何を考えたかは聞かないでおくけど、私と組んだのは宮野さんだったわ。  裏門から校舎を進んで、美術室と音楽室の中に入って、旧校舎の周りを回ってから体育館に行く。それがコースだったわ。  学校の許可? それが、宮野さんは宿直の先生にきちんと許可を取っていたのよ。あの手回しの早さには感心したわ。  私たちは三番目の出発だったわ。  廊下を歩きながら、宮野さんはずっと「夜の校舎って怖いね」と連発していたのよ。肝試しなんだから当たり前じゃない、ねぇ? 恵美さんもそう思わないかしら?  だって、恐怖を味わうためにわざわざ夜の校舎を選んだのだもの。怖くなかったら駄目じゃない。  別に恐怖だけだったら夜じゃなくても味わえる場所なんて、いくらでもあったのに。先に私に言ってくれれば、教えてあげたのに。ふふ。  あら、恵美さん、どうしたの? え? そんなにあるのかって? あるわよ。明日にでも美術準備室に行ってごらんなさい。沢山の石膏像や絵画が、恵美さんをずっと見ているから。うふふ……。  その時は準備室には入らなかったけれど、夜の美術室は確かに怖いものはあったわ。両腕の無い石膏像や、笑顔を浮かべたまま時間が止められた女性が、暗闇に浮かんでいる。宮野さんは入口からあまり進もうとしなかったわ。 「岩下さん、もう行こう」  なんて言うのよ。ふふ。企画の発案者が一番怖がっていたんじゃないかしら。私はもう少しその恐怖の中にいたかったのだけど、宮野さんがあまりに怖がっているから、そこを後にしたわ。  でも、その次の化学室だって、人体模型や骨格の標本があるのよ? 宮野さんは途中で化学室を飛ばして、もう外に出ようとまで言い出したわ。  私は何て言ったと思う?  ……ふふ、そうよ。折角の機会なんだから、行かないと損よね。  私は宮野さんの手を取って、化学室に向かったわ。 「岩下さん、怖くないの?」  宮野さんは、次になにかあったら泣くんじゃないかといった感じの声だったわ。 「怖いわよ。肝試しは成功ね」  そう答えて、私は廊下を駆け出したわ。宮野さんを置いてね。 「ま、待って! 待ってよ!!」  ひょっとしたら、泣いていたんじゃないかしら。宮野さんは私を全力で追ってきたの。すぐに私は捕まったわ。 「岩下さんの意地悪」 「ふふ。急いだおかげで、もう化学室よ」  少し前に、化学室のドアが見えたわ。宮野さんは私を怒ることも忘れて、そこで動かなくなってしまったのよ。  あら、言うじゃない、恵美さん。私に性格が悪いだなんて言ったのは、恵美さんがはじめてかしらね。私は少しでも楽しもうとしただけよ? 別にその場に宮野さんを置き去りにしようだなんて思ってないわ。うふふ。  宮野さんがあまりに怖がる物だから、私は化学室のドアを開けて、中を少し覗くだけにしたわ。確かに、中に入ればもっと怖がれたでしょうけど、月明かりに浮かぶホルマリン漬けなんて見たら、宮野さんだったら失神していたかも知れないわね。失神なんてされたら、最後までできないもの。  でも、肝試しは最後までできなかった。  それは、渡り廊下から外に出て、旧校舎の周囲を回っている時だったわ。  基本的に、旧校舎は立ち入り禁止になっているのは知っているわよね? 木造は確かに頑丈とはいえ、造られたのは戦前のことだもの。床だって抜けている部分もあるし、窓ガラスだって割れている。夜じゃなくても不気味でしかたない場所だもの。  さすがに宮野さんも、最初から入ろうとは考えていなかったし、たとえ入ることにしていても、先生が許さなかったでしょうね。  私たちは、少し足早に歩いていたわ。実を言うとね、私も旧校舎だけは本当に怖いのよ。外から見ているだけでも寒気がするわ。あの時だけは、暑さもどこかに吹き飛んだわね。  旧校舎の裏側、裏門から一番離れた場所で、物音がしたの。 「ひっ」  宮野さんが小さく悲鳴をあげた。私も歩くのを止めて、宮野さんと同じ方向を見ていたわ。  割れた窓ガラスの奥には、月明かりですら届かない深い闇があったわ。でも、あの物音は、明らかにその闇の中から聞こえてきた。  今思えば、ネズミか何かの類だったのでしょうけど、さすがに私もあの時は怖くてしかたなかったわ。 「ねぇ、宮野さん……」  私が話しかけた時だったわ。もう一度、物音がしたの。それも、限りなく窓に近い場所から。  その時、宮野さんはどうしたと思う?  そうよ。宮野さんは、私を置いて走り出したのよ。  悲鳴も上げれなかったんでしょうね。口を大きく開けたまま、宮野さんは全速力で走り出した。でも、今来た場所を戻るんじゃなく、真っ直ぐ進んでいったのよ。体育館に向かったのね。 「宮野さん!」  私は一人残されて、本当の恐怖というものを感じたわ。化学室の前の宮野さんもあんな感じだったのかしら。今謝ることができたら、心の底から謝るわ。  とにかく、私は宮野さんを追って走り出した。それでも、宮野さんの姿はどこにもなかった。廊下ですぐに追いつかれた私が、全力で走った宮野さんに追いつける訳がないものね。  角を曲がると、体育館までは直線だった。でも、そこにも宮野さんはいない。もう体育館の中に入ったのかしら。私はそう思って、体育館に向かったわ。  すると、中から出てくる人影があったの。それは、私たちの前に出発した二人だったわ。 「あれ? 岩下さんじゃない」 「ねぇ、宮野さんは来なかった?」 「朱美? 来てないわよ? それより追いつかれるなんて、よほど急いだのね」  確かに、化学室前を走ったり、中に入らなかったりした私たちは、他のペアよりもずっと速い時間でコースを進んだんでしょうから、追いついたのには納得がいったわ。  でも、宮野さんは真っ直ぐ行けるはずの体育館に来ていないことに、私は疑問を感じていた。  私は正直に言ったわ。 「宮野さんがいなくなったの。一緒に探してもらえないかしら」 「朱美が!?」  驚いた彼女は、携帯電話を取り出して宮野さんを呼び出そうとしたんだけど、しばらくコールしても出なかったらしく、電話を切ったわ。 「駄目。出ない」 「旧校舎の裏手で、物音に驚いて走って行ったのよ」  そう説明して、私たちは三人で旧校舎まで戻ったわ。その時、もう一度電話をかけてみることにしたの。  すると、電話の鳴る音が聞こえたわ。  旧校舎の中から、ね。 「どうして、中に?」 「俺、先生呼んでくるよ」  男子が先生を呼びに行っている間、私たちはずっと宮野さんに呼びかけていたわ。でも、返事はなかった。  しばらくして、最初に戻っていたペアと一緒に、先生と男子が戻ってきたわ。  いきさつを説明すると、先生が旧校舎に入って調べてくれることになって、私たちは入口まで移動したわ。  鍵を開けて、中に先生が入っていった。けれど、しばらくしたら先生が戻ってきた。その手には、宮野さんの携帯電話が握られていたわ。    *** 「あの、先輩」 「何かしら?」 「宮野先輩はどこにいたんですか?」 「え? それは私が教えて貰いたいくらいよ。結局、宮野さんは携帯電話だけを残して消えてしまったの……」  岩下先輩は、それきり口を閉ざしてしまった。  先輩は、いつものように私に怖い話をしたかったんじゃなく、この嫌な天気で思い出してしまった過去を、教えてくれたのだ。  友達の一人が消えてしまったのだから、先輩はとても辛いんだろう。それを、私に教えてくれたんだ。  私は、先輩の手を取った。 「恵美さん?」 「先輩……」  私は先輩の手を握り締めて、言った。 「先輩。私は、いなくなったりはしませんからね」  自分で言ってからなんだけど、これは私なりの告白、なんだろうか。  岩下先輩は、少しだけ、目尻に涙を浮かべた。  そして、こう言ったのだ。 「でも、宮野さんは今でも友達よ」  遠くに見える旧校舎を見る。私も、一緒になって旧校舎を見た。 「だって、宮野さんはまだ、あの中にいるから」 「……え」  それって。それって……。 「さぁ、私の話はこれでおしまい。……ねぇ、恵美さん」 「は、はい」 「今度、一緒に肝試ししましょうか?」 「え、遠慮します!!」  ……旧校舎の闇の中に迷い込むのだけは御免だ。  慌てて手を離した私を見て、先輩は微笑んだ。 「恵美さん、約束したわよ。いなくなったら、許さないから。うふふ……」

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: