ニコニコ動画について個人的に思うこと(バージョン0.1)
ニコ動について個人的に思うことを書いてみます。

ここでの話はニコ動で仲間を見つけてるとか、何かの活動がニコ動を土台にしているとか、動画の生産側であるとかそういう少数派の有意義な活動の土台にしてる人はこの話の論外となります。
ニコ動を娯楽として楽しみかなりの時間をニコ動に使ってる人たちを対象にしてる人たちに対する個人的イメージです。
そういうイメージで書いてみます。


私がもってる一番イメージのいいニコ動ユーザー。
それはリア充でテレビ感覚でニコ動を適度に楽しむ人。

一番楽しくないニコ動のイメージはヒッキーボッチ系ニコ動ユーザ。
泡沫のように湧き上がってくる楽しい動画と謎の仲間意識を量産するコメントの海の中で、ひたすら現実逃避をするためにニコ動をやってる人。
自分の負け組人生から目をそらすためひたすらニコ動の与えてくれる高揚感を消費する者たち。

ニコ動は何かに似ている、何に似ているかといえばアクションゲーム。
ニコニコ動画の動画はゲーム画面の新しいステージと等価で、流れるコメントは爽快に大量に倒せる雑魚的を倒した時の楽しさに近いかんじです。

ニコ動で盛り上がって楽しんで仲間意識やコメントで共感。
とても楽しい時間で、明日へ挑戦する元気を分けてくれるかもしれない。
ちょっと待って。
それであなたと人間的つながりは得られてる?

あなたが人生で困ったことがあっても一緒に悩んでくれないし、何かを一緒にしてくれるわけでも同じ時間を過ごして何かが残るわけでもない。
一緒に生産的なことをしてくれるわけでもない。
ニコ動で過ごした時間は、一緒の時間を楽しむことも人間関係をはぐくむことも相手の意外な一面性を発見することもできない。
虚構の連帯感や瞬間風速的共感。
過ぎ去り何も残らない共感が通り過ぎるだけの寂しい場所です。

ニコ動はとてものっぺらぼうです。
コメントから相手がリア充なのかヒッキーなのかどんな人なのか知ることは困難です。
短いコメントでは個性を出すこともできない。
あなたがあなたとして長々あなたの個性を相手に伝えられるほどの会話をすることもできない。
ただただた瞬間の共感を得るためだけにコメントが積み重なる。

一過性の娯楽として適度に楽しむならそれは娯楽の範囲、とても楽しいことで素晴らしいことです(リア充ユーザにとってはそういう楽しみは大事です)。

逆に非リア充で長時間そんな場所だけに入り浸って数年を無駄にするとしたらそれはとても寂しいことに思えます。


反論が上がると思います。
  • ニコ動で何か素晴らしかったり楽しい活動が行われている(でもそれをあなたは見ているだけだ、あなたが素晴らしいわけではない、あなたはその活動のスポンサーでもパトロンでもない、テレビの向こうと同じくらいあなたには関係ない、ニコ動をしてる時あなたは一人ぼっちだ)
  • ニコ動で仲間と盛り上がっている奴らがいる(盛り上がっているのはあなたではない、見ているだけのあなたは結局一人ぼっちだ)
  • ニコ動で同じ話題で盛り上がった(あなたはその人とまともな人間関係を結ぶほどの人間的結びつきは持てない、あなたは一人ぼっちだ)
  • ニコ動には素晴らしい技芸を持った人がいる(その技芸を持ってるのはあなたと何の関係もない赤の他人だ、あなたが素晴らしいわけではない、結局君は一人ぼっちだ)

もしも一人ぼっちでないとしたらニコ動はあなたにとって素晴らしい場所でしょう。
一人ぼっちだとしたら一度自分の人生(貴重な残りすくない時間)の使い方について自分の頭で考えてみることをお勧めします。

私はニコ動にそんなイメージを持っています。
皆さんはニコ動についてどんなイメージを持っていますか?

追記
バージョン0.1なので文章も荒削りで特に工夫していません
とりあえず書きたいことを書いたというところです。

作者 堀江 伸一
兵庫県加古川市加古川町南備後79-16

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最終更新:2013年12月03日 10:46