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私の自覚している欠点。 このWikiの管理人こと私は以下のような欠点を持っております。 無能ぶりがひたすら羅列される酷い文章が続くので最初に少しはいい点を書いておきます。 -少しはいい点 猫はなでなでしたいし、散歩中の犬をなでるのは大好きです。 あかちゃんができたら毎日抱っこしたいなとか、あかちゃんは泣くのが仕事ですから、ないたら抱っこしてよしよしどうしたのかな、とかしたい人間です。 愚鈍で馬鹿だけど根だけはいいやつ理解してください。 *私の知能障害の種類 知能障害と申しましても体に例えれば全身麻痺レベルから足が生まれつきちょっと悪いレベルまで色々あるわけです。 一人で作業したらとても複雑な作業ができるが、2人で共同作業すると簡単な仕事ですら息が合わず失敗するような軽い知能障害もあります。 軽度の知能障害だと論理的思考力には問題ないのに会話が全く出来ないとか、その逆もあるわけです。 障害の出てる分野で例え一流の人から訓練してもらい本人が努力したとしても一般人に比べその分野の学習曲線の上昇が極めて悪いというのが軽度の知能障害にみられる特徴です。 私の場合、体に例えれば生まれつき足が悪いレベル軽度の知能障害です。 足が悪くても座ってできる作業なら問題なしとなるように、知能障害があっても問題なくできる行動や思考もあります。 できないもの(足を使う作業に当たる)もあるわけです。 私の場合周囲への注意力と、他人の行動から学習する能力に難ありです。 例えば、腕をまっすぐ伸ばして体の前 上 横 前 横 下ろすという行動を真似出来るかと言われて3回見せられました。 普通の人なら一回で真似出来る簡単な行動です。 真似しようと頑張るのですが、腕をまっすぐ上げたところで思考停止して次の行動がまったくわからなくなりました。 全く何も考えられず腕が動かないのです。 これが知能障害でないとしたら何が知能障害になるのか、どう考えても明白な知能障害があります。 また周囲の様子を観察できないために椅子の上に物が載っててそれが視界に入っていても気づかずに座ってしまうほど注意力が足りません。 年齢の増加とともに知能障害が改善されることがあるそうで私は他人の行動をコピーしたり様子を見て人の行動から学ぶ能力はほんの僅かに改善が見られました。 周囲の状況を観察、判断する能力はかなり低いままですがこれも10年かけて改善されたようです。 論理的思考力と言語操作能力は大幅な改善が見られましたがこれは子供のころからその傾向があったのでもともとこの面では余り問題がなかったと考えられます。 若いころひきこもり寝たきりで義務教育も受けていませんが、独力で競技プログラムの全国大会 過去問難問をコード実行速度1位で解いたりといった方面には頭が働きます。 論理的思考力(体でいえば座って行う作業)には問題がないわけです。 *知能テストについて 私が受けたことがある知能テストは大体、イラストや文章を使った平面的なものでした。 実は立体的作業だと困難ですが私は平面的作業ならできるのです。 そのため平面的作業能力を試す知能テストにはひっかかりませんでした。 また、記憶が関係しない瞬間的な判断力はあるため、イラストをみて瞬間的に何かを判断できるかというテストにもパスします。 ロールシャッハや絵から状況を判断する能力は少しおかしいようです。 問題は知能テストがイラストを見てどう思うかや文書を読んでどう判断するかなど、瞬間的なその場での判断能力しかチェックしてない点にあります。 連続した時間の中で記憶をうまく活用しながら全体を統御して物事を成功まで持っていくテスト、私は寡聞なのでこれをテストできるテストを見たことがないのです。 現実の仕事に必要な知能を測る知能テストは -A ある程度の連続した時間のなかでおこる状況を統合して判断し。 -B その状況にあった行動計画を組み立てたり作業に必要な記憶を思い出し -C イレギュラーな事態(会話では相手が次に何を言うかわからない、作業でも不測の事態が起こる)に対処し -D 行動を成功に導くために整合性のとれた行動を連続させていき -E その行動結果を記憶し綺麗にまとめて報告する という知能が必要なのですが。 Aは紙を使ったテストでは判断できませんし、平面は理解できるが立体物にたいし判断能力がなくなる私のような人間はイラストや文書を使ったテストに引っかかりません。 Bをはかれるテストは私の受けたことのある知能テストの中にはありませんでした Cをチェックできる知能テストも経験がありません Dは連続した時間の中で状況を成功まで持っていける整合性のとれた行動を行い続けられるか知能テストをする必要があります。 Eは記憶力と状況判断力がないとEを成功させることはできません。 どれも私の受けた知能テストで見たことがありません。 Eは特に重要ですがこれもありません。 私がときおり受けてきた知能テストは瞬間的な判断力を測るテストばかりで、作業中と作業後、作業の記憶を保持しながら物事を遂行できるかを判断するテストがありません。 これはどういうことなのでしょう? -私の場合、服の裏表を高確率で間違える。 服の裏表を判断して着るというのは立体的作業となります。 私は立体的作業が非常に苦手で、そのためにこの手順を間違えます。 服をきるという簡単な作業でこのレベルなのですから、仕事場で要求される複雑な仕事を任された時。 私がどれだけ馬鹿にされたりやる気がない、教えたことを覚えてない、仕事が適当だと怒られるかは皆様のご想像にお任せします。 -立体的作業を記憶に結び付けることが困難 平面的作業なら大丈夫なのですが。 自分が立体的作業を行った場合、おおざっぱな概略しか覚えておらず詳細を記憶と関連付けることが困難です。 そのため仕事終了後作業結果を報告する仕事では壊滅的です。 この記憶力のため体験したことを人生の経験値にかえる能力が酷く低く、幼稚な人間のまま大人になりました。 私の場合平面的作業はある程度記憶と結びつくのが不思議な点です。 -短期記憶が壊滅的。 上記に関連するのですがワーキングメモリーが私は非常に小さく良く色々なものを忘れます。 努力が足りないと怒られる方もいると思いますが、注意していても服の裏表を間違える人間がどのような努力をすれば、仕事場で役立つ人間になれるか? あれば知りたいものです。 -脳のミラーニューロンが不十分もしくは行動計画立案能力が低い。 知能障害を調べるダンスをするから真似しろと言われて。 手を数回簡単に動かすだけの簡単なダンスをするから真似しろと言われて、全く真似ができなかったことがありました。 ミラーニューロンが不足してる可能性か、行動予定を組み立てる脳の機能が少ないのでしょう。 中長期記憶も少し怪しいところや残念なところはありますが、この部分はまだ大丈夫なようです。 人間は集団の中にいて他人の行動を見て、その観察結果を自分の行動の中にとりいれて経験値とします。 しかし私の場合この経験値とりこみ手段を行うことができませんでした。 -料理が出来ない 昔は簡単な料理のレシピを見ながら普通の子供が20分でできる料理を、次なにすればいいんだというので悩みながら何時間もかけてようやくまずいものが出来るほど無能でした。 レシピに書いてあることを実際の行動に翻訳するには何をそろえてどんな作業を行えばいいかで悩んで2割の時間を取り。 また思いついた作業方法が恐ろしく非効率な頭の悪い方法で普通の人の何倍も時間が狩りました。 年齢とともに脳が発達し、これは多少改善されましたが、一事が万事で料理の無能さは他のことを行うときも同じようなものでした。 この無能さは若いうちに人生で色々なことをして経験値をためることが不可能な無能さだったのです。 年を取ったいま経験値を稼ぐとして、子供レベルから稼ぐ必要があるのですが。 子供がやるような能力の経験値稼ぎを大人の私が開始するのは難しく恥ずかしくもあります。 私はどうやって若いうちに体験しておくべきだった人生の色々な経験値を今からためればよいのでしょうか? 私の場合 言語操作能力>抽象的概念操作>平面的作業>目の前の状況の認識>体を使った具体的行動 という順に左ほど記憶や意味と関連付ける能力が高く右ほど低くなります。 そのため体を使った作業の作業手順をほとんど覚えられないし判断できない。 肉体労働の結果を記憶の中で意味付けしたり経験に変えることが出来ない等の困難に直面します。 また平面は認識できても立体物や目の前の状況を記号着地することができず、目の前の状況を上手く認識したり記憶や経験として蓄えることが出来ないという困難があります。 -会話をしてもおかしい 上記までの無能ぶりが影響するのか 周囲からの反応では会話をすると、相手が圧迫感を受ける、ストレスを感じる、会話をしててどこか奇妙な的外れな会話になる、つまらない等おかしな会話しかできないようです そのため人の輪に入ることが出来ず会話から得られる経験値を得ることができませんでした。 -私の場合追加 例えば15歳の人間に、その人が三つ編みを知らないから教えるとしましょう。 教えられた方が何度教えられても見せられても、三つ編みが何をやってるかそこで何が起きてるか理解できず。 懇切丁寧に指先の動かし方を指図させられて、長時間かかってようやく難しいこととして三つ編みを覚えたとします。 その人に知能障害がないと言えるでしょうか? 知能障害があると判断するのが普通でしょう。 私のことです。 またどこの仕事場に入っても普通の人が数時間か数日で覚えることを、メモを取って何度も見本を見せてもらって、真剣に覚えようとしても全く覚えられず1ヶ月たっても覚えられなかったので首になることを繰り返したとします。 この人に知能障害がないと言えるでしょうか? 普通は知能障害があると考えますよね? 私のことです。 困ったことに若い時の私の脳は目の前で起きてること、特に時間軸の中で起こる立体的状況を理解できない脳だったのです。 そのためどこにいっても人生経験や体験を能力の経験値に変えることもできませんでしたし、この無能さから人の輪に入れてもらえることもできず対人関係等の経験値をためることもできず大人になりました。 大人になって多少知能障害が改善され言語能力と抽象的思考能力は改善されましたし、立体的な活動をある程度認識する能力も少しは身につきました。 しかし、子供のころにためておくべき経験値をためずに来たのですから、大人になった今から子供レベルから経験値をためねばならないのです。 これは物凄い困難があります。 大人になるとどこにいっても大人っぽい態度や行動の中で大人としての経験値をためることを要求されます。 それは私にとってRPGで低レベル冒険者が強敵相手に経験値をためるような困難さです。 ほぼ不可能です。 また言語操作能力が身につくことと、会話能力の経験値が高いことは全く別物です。 会話能力の経験値を身につけようにも、どこでも人の輪に入ったことがないからどうふるまえばいいのかその経験がなく何をしていいかわからないのです。 こんな人間が作ってるサイトですから笑い物になるのは仕方ないでしょう。 まあ 以上のような欠点があり、基本私の人生は人から馬鹿にされてきた経験の集大成のような人生です。 どんなに知能障害を差別しないようにと宣伝したり頑張ってる人たちがいても、私のような知能障害者を笑い物にして大勢で楽しみたい人たちはたくさんいるのは仕方ありません。 身近では創価学会の皆さまもそういう人たちでした。 上記のとおり経験したことを能力や人格の経験値に変えていく能力が壊滅的だったため、無能で幼稚なまま大人になっております。 私はどうすれば良いのでしょう? 大人になって、抽象的思考能力や概念操作能力だけは発達したようです。 私の場合在庫調べをすれば1、2、3、と物をかぞえると数え間違えが多発する小学生以下の脳でありながら(具体的作業能力は壊滅的)、プログラマ向け練習問題の国際大会(数学オリンピックみたいなものです)の難問を日数をかければ解ける(抽象的思考能力は無事)そういう脳をしています。 チャーハンを作ればレシピを見て不味い料理しか作れませんが、米は加熱するとα化するからその条件を満たす加熱とは何かから逆算してチャーハンを作るとまあまあ食べれるものが作れる脳です。 料理は立体的作業なのでチャーハンより難しい料理は作れません。 抽象的な話はなんとかわかるのですが、それを具体的詳細的な行動に翻訳する能力に支障があるようです。 *それと 年齢が上がってから知能障害が緩和された私のような人間の場合、経験値を積む場所がありません。 RPGでいえば低レベル冒険者が強敵しかいないフィールドに放り込まれたようなものです。 どこにいっても強敵だらけ。 どこでも大人にふさわしい行動を期待されてその態度の中で経験値をつまなくてはいけないという制約があるのに、その要求に対処できる能力が私にありません。 土台となる子供のころや若い時の経験値蓄積がないのです。 アルジャーノンに花束を は所詮小説です。 大人になってから多少知能障害が改善されても、現実ではどこにいっても相手にされない経験知不足の人間が出来上がるだけです。 実際知能障害が改善されても、普通の人より頭が悪いという現実は変わりありません。 どこにいっても単なる馬鹿として集団の中に入れてくれません。 私を雇った人は、その無能さに即座に首切るか、 物凄く親切な人がこの馬鹿に何とか仕事を教えようと無駄な努力を重ねて、そのご余りの無能ぶりに呆れて忍耐の限界に達して首を切るかのどちらかです。 兵庫県加古川市加古川町南備後の藤村さんや森本さんからひたすら笑い物になってる堀江伸一こと私の直面している現実でした。
私の自覚している欠点。 このWikiの管理人こと私は以下のような欠点を持っております。 無能ぶりがひたすら羅列される酷い文章が続くので最初に少しはいい点を書いておきます。 -少しはいい点 猫はなでなでしたいし、散歩中の犬をなでるのは大好きです。 あかちゃんができたら毎日抱っこしたいなとか、あかちゃんは泣くのが仕事ですから、ないたら抱っこしてよしよしどうしたのかな、とかしたい人間です。 愚鈍で馬鹿だけど根だけはいいやつ理解してください。 *私の知能障害の種類 知能障害と申しましても体に例えれば全身麻痺レベルから足が生まれつきちょっと悪いレベルまで色々あるわけです。 一人で作業したらとても複雑な作業ができるが、2人で共同作業すると簡単な仕事ですら息が合わず失敗するような軽い知能障害もあります。 軽度の知能障害だと論理的思考力には問題ないのに会話が全く出来ないとか、その逆もあるわけです。 障害の出てる分野で例え一流の人から訓練してもらい本人が努力したとしても一般人に比べその分野の学習曲線の上昇が極めて悪いというのが軽度の知能障害にみられる特徴です。 私の場合、体に例えれば生まれつき足が悪いレベル軽度の知能障害です。 足が悪くても座ってできる作業なら問題なしとなるように、知能障害があっても問題なくできる行動や思考もあります。 できないもの(足を使う作業に当たる)もあるわけです。 私の場合周囲への注意力と、他人の行動から学習する能力に難ありです。 例えば、腕をまっすぐ伸ばして体の前 上 横 前 横 下ろすという行動を真似出来るかと言われて3回見せられました。 普通の人なら一回で真似出来る簡単な行動です。 真似しようと頑張るのですが、腕をまっすぐ上げたところで思考停止して次の行動がまったくわからなくなりました。 全く何も考えられず腕が動かないのです。 これが知能障害でないとしたら何が知能障害になるのか、どう考えても明白な知能障害があります。 また周囲の様子を観察できないために椅子の上に物が載っててそれが視界に入っていても気づかずに座ってしまうほど注意力が足りません。 年齢の増加とともに知能障害が改善されることがあるそうで私は他人の行動をコピーしたり様子を見て人の行動から学ぶ能力はほんの僅かに改善が見られました。 周囲の状況を観察、判断する能力はかなり低いままですがこれも10年かけて改善されたようです。 論理的思考力と言語操作能力は大幅な改善が見られましたがこれは子供のころからその傾向があったのでもともとこの面では余り問題がなかったと考えられます。 論理的思考力については若いころひきこもり寝たきりで義務教育も受けていないほどの無学ですが、完全独力で競技プログラムの全国大会 過去問難問をコード実行速度1位で解いたりといった方面には頭が働きます。 論理的思考力(体でいえば座って行う作業)には問題がないわけです。 というわけでいくつかの能力は一般人と変わらないが、いくつかの能力は明らかに知能障害が出ていると言えます。 *知能テストについて 私が受けたことがある知能テストは大体、イラストや文章を使った平面的なものでした。 実は立体的作業だと困難ですが私は平面的作業ならできるのです。 そのため平面的作業能力を試す知能テストにはひっかかりませんでした。 また、記憶が関係しない瞬間的な判断力はあるため、イラストをみて瞬間的に何かを判断できるかというテストにもパスします。 ロールシャッハや絵から状況を判断する能力は少しおかしいようです。 問題は知能テストがイラストを見てどう思うかや文書を読んでどう判断するかなど、瞬間的なその場での判断能力しかチェックしてない点にあります。 連続した時間の中で記憶をうまく活用しながら全体を統御して物事を成功まで持っていくテスト、私は寡聞なのでこれをテストできるテストを見たことがないのです。 現実の仕事に必要な知能を測る知能テストは -A ある程度の連続した時間のなかでおこる状況を統合して判断し。 -B その状況にあった行動計画を組み立てたり作業に必要な記憶を思い出し -C イレギュラーな事態(会話では相手が次に何を言うかわからない、作業でも不測の事態が起こる)に対処し -D 行動を成功に導くために整合性のとれた行動を連続させていき -E その行動結果を記憶し綺麗にまとめて報告する という知能が必要なのですが。 Aは紙を使ったテストでは判断できませんし、平面は理解できるが立体物にたいし判断能力がなくなる私のような人間はイラストや文書を使ったテストに引っかかりません。 Bをはかれるテストは私の受けたことのある知能テストの中にはありませんでした Cをチェックできる知能テストも経験がありません Dは連続した時間の中で状況を成功まで持っていける整合性のとれた行動を行い続けられるか知能テストをする必要があります。 Eは記憶力と状況判断力がないとEを成功させることはできません。 どれも私の受けた知能テストで見たことがありません。 Eは特に重要ですがこれもありません。 私がときおり受けてきた知能テストは瞬間的な判断力を測るテストばかりで、作業中と作業後、作業の記憶を保持しながら物事を遂行できるかを判断するテストがありません。 これはどういうことなのでしょう? -私の場合、服の裏表を高確率で間違える。 服の裏表を判断して着るというのは立体的作業となります。 私は立体的作業が非常に苦手で、そのためにこの手順を間違えます。 服をきるという簡単な作業でこのレベルなのですから、仕事場で要求される複雑な仕事を任された時。 私がどれだけ馬鹿にされたりやる気がない、教えたことを覚えてない、仕事が適当だと怒られるかは皆様のご想像にお任せします。 -立体的作業を記憶に結び付けることが困難 平面的作業なら大丈夫なのですが。 自分が立体的作業を行った場合、おおざっぱな概略しか覚えておらず詳細を記憶と関連付けることが困難です。 そのため仕事終了後作業結果を報告する仕事では壊滅的です。 この記憶力のため体験したことを人生の経験値にかえる能力が酷く低く、幼稚な人間のまま大人になりました。 私の場合平面的作業はある程度記憶と結びつくのが不思議な点です。 -短期記憶が壊滅的。 上記に関連するのですがワーキングメモリーが私は非常に小さく良く色々なものを忘れます。 努力が足りないと怒られる方もいると思いますが、注意していても服の裏表を間違える人間がどのような努力をすれば、仕事場で役立つ人間になれるか? あれば知りたいものです。 -脳のミラーニューロンが不十分もしくは行動計画立案能力が低い。 知能障害を調べるダンスをするから真似しろと言われて。 手を数回簡単に動かすだけの簡単なダンスをするから真似しろと言われて、全く真似ができなかったことがありました。 ミラーニューロンが不足してる可能性か、行動予定を組み立てる脳の機能が少ないのでしょう。 中長期記憶も少し怪しいところや残念なところはありますが、この部分はまだ大丈夫なようです。 人間は集団の中にいて他人の行動を見て、その観察結果を自分の行動の中にとりいれて経験値とします。 しかし私の場合この経験値とりこみ手段を行うことができませんでした。 -料理が出来ない 昔は簡単な料理のレシピを見ながら普通の子供が20分でできる料理を、次なにすればいいんだというので悩みながら何時間もかけてようやくまずいものが出来るほど無能でした。 レシピに書いてあることを実際の行動に翻訳するには何をそろえてどんな作業を行えばいいかで悩んで2割の時間を取り。 また思いついた作業方法が恐ろしく非効率な頭の悪い方法で普通の人の何倍も時間が狩りました。 年齢とともに脳が発達し、これは多少改善されましたが、一事が万事で料理の無能さは他のことを行うときも同じようなものでした。 この無能さは若いうちに人生で色々なことをして経験値をためることが不可能な無能さだったのです。 年を取ったいま経験値を稼ぐとして、子供レベルから稼ぐ必要があるのですが。 子供がやるような能力の経験値稼ぎを大人の私が開始するのは難しく恥ずかしくもあります。 私はどうやって若いうちに体験しておくべきだった人生の色々な経験値を今からためればよいのでしょうか? 私の場合 言語操作能力>抽象的概念操作>平面的作業>目の前の状況の認識>体を使った具体的行動 という順に左ほど記憶や意味と関連付ける能力が高く右ほど低くなります。 そのため体を使った作業の作業手順をほとんど覚えられないし判断できない。 肉体労働の結果を記憶の中で意味付けしたり経験に変えることが出来ない等の困難に直面します。 また平面は認識できても立体物や目の前の状況を記号着地することができず、目の前の状況を上手く認識したり記憶や経験として蓄えることが出来ないという困難があります。 -会話をしてもおかしい 上記までの無能ぶりが影響するのか 周囲からの反応では会話をすると、相手が圧迫感を受ける、ストレスを感じる、会話をしててどこか奇妙な的外れな会話になる、つまらない等おかしな会話しかできないようです そのため人の輪に入ることが出来ず会話から得られる経験値を得ることができませんでした。 -私の場合追加 例えば15歳の人間に、その人が三つ編みを知らないから教えるとしましょう。 教えられた方が何度教えられても見せられても、三つ編みが何をやってるかそこで何が起きてるか理解できず。 懇切丁寧に指先の動かし方を指図させられて、長時間かかってようやく難しいこととして三つ編みを覚えたとします。 その人に知能障害がないと言えるでしょうか? 知能障害があると判断するのが普通でしょう。 私のことです。 またどこの仕事場に入っても普通の人が数時間か数日で覚えることを、メモを取って何度も見本を見せてもらって、真剣に覚えようとしても全く覚えられず1ヶ月たっても覚えられなかったので首になることを繰り返したとします。 この人に知能障害がないと言えるでしょうか? 普通は知能障害があると考えますよね? 私のことです。 困ったことに若い時の私の脳は目の前で起きてること、特に時間軸の中で起こる立体的状況を理解できない脳だったのです。 そのためどこにいっても人生経験や体験を能力の経験値に変えることもできませんでしたし、この無能さから人の輪に入れてもらえることもできず対人関係等の経験値をためることもできず大人になりました。 大人になって多少知能障害が改善され言語能力と抽象的思考能力は改善されましたし、立体的な活動をある程度認識する能力も少しは身につきました。 しかし、子供のころにためておくべき経験値をためずに来たのですから、大人になった今から子供レベルから経験値をためねばならないのです。 これは物凄い困難があります。 大人になるとどこにいっても大人っぽい態度や行動の中で大人としての経験値をためることを要求されます。 それは私にとってRPGで低レベル冒険者が強敵相手に経験値をためるような困難さです。 ほぼ不可能です。 また言語操作能力が身につくことと、会話能力の経験値が高いことは全く別物です。 会話能力の経験値を身につけようにも、どこでも人の輪に入ったことがないからどうふるまえばいいのかその経験がなく何をしていいかわからないのです。 こんな人間が作ってるサイトですから笑い物になるのは仕方ないでしょう。 まあ 以上のような欠点があり、基本私の人生は人から馬鹿にされてきた経験の集大成のような人生です。 どんなに知能障害を差別しないようにと宣伝したり頑張ってる人たちがいても、私のような知能障害者を笑い物にして大勢で楽しみたい人たちはたくさんいるのは仕方ありません。 身近では創価学会の皆さまもそういう人たちでした。 上記のとおり経験したことを能力や人格の経験値に変えていく能力が壊滅的だったため、無能で幼稚なまま大人になっております。 私はどうすれば良いのでしょう? 大人になって、抽象的思考能力や概念操作能力だけは発達したようです。 私の場合在庫調べをすれば1、2、3、と物をかぞえると数え間違えが多発する小学生以下の脳でありながら(具体的作業能力は壊滅的)、プログラマ向け練習問題の国際大会(数学オリンピックみたいなものです)の難問を日数をかければ解ける(抽象的思考能力は無事)そういう脳をしています。 チャーハンを作ればレシピを見て不味い料理しか作れませんが、米は加熱するとα化するからその条件を満たす加熱とは何かから逆算してチャーハンを作るとまあまあ食べれるものが作れる脳です。 料理は立体的作業なのでチャーハンより難しい料理は作れません。 抽象的な話はなんとかわかるのですが、それを具体的詳細的な行動に翻訳する能力に支障があるようです。 *それと 年齢が上がってから知能障害が緩和された私のような人間の場合、経験値を積む場所がありません。 RPGでいえば低レベル冒険者が強敵しかいないフィールドに放り込まれたようなものです。 どこにいっても強敵だらけ。 どこでも大人にふさわしい行動を期待されてその態度の中で経験値をつまなくてはいけないという制約があるのに、その要求に対処できる能力が私にありません。 土台となる子供のころや若い時の経験値蓄積がないのです。 アルジャーノンに花束を は所詮小説です。 大人になってから多少知能障害が改善されても、現実ではどこにいっても相手にされない経験知不足の人間が出来上がるだけです。 実際知能障害が改善されても、普通の人より頭が悪いという現実は変わりありません。 どこにいっても単なる馬鹿として集団の中に入れてくれません。 私を雇った人は、その無能さに即座に首切るか、 物凄く親切な人がこの馬鹿に何とか仕事を教えようと無駄な努力を重ねて、そのご余りの無能ぶりに呆れて忍耐の限界に達して首を切るかのどちらかです。 兵庫県加古川市加古川町南備後の藤村さんや森本さんからひたすら笑い物になってる堀江伸一こと私の直面している現実でした。

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