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冤罪事件と悪魔の証明と来るべきだった未来 - (2013/08/30 (金) 05:27:36) のソース

[[3カ月にわたり自宅の庭で体操や勉強をしていた事案が発生]]
について。
上記リンク先は私が庭で勉強していたらその時の鉛筆の摩擦音をオナニーの音と何カ月も勘違いされたあげく警察を呼ばれ、
オナニーの音がしているから見てきてくださいと言われた警官が、確かにそれっぽい音がしているなと我が家の庭に近づいて。
庭で勉強している私の姿を見てその音が実は鉛筆の音であったとわかり呆れて通報者に報告しに行った話です。

この話通報者である藤村さんや森本さんは、堀江伸一が庭で何カ月もの間オナニーしていたと口で言えば5秒、キーボードをたたいても10秒、仲間に口裏合わせてねと電話しても1分もかからずに私を性犯罪者にすることが出来ます。


それに対し私の方は何年もの間一度として庭でオナニーをしたことがないということを証明しなくてはいけません。

唯の一日もです。
これは悪魔の証明で私が潔白を証明することは不可能です。

立証の不利を考えると通報者である藤村さんや森本さんのほうに立証義務があるはずです。
私が戸外でオナニーをしていたのを、写真や映像や警官と一緒に確認するなど嘘をつきにくい手段で立証をする義務があったはずです。
しかし、彼らはこれを立証することはできませんでした。
なぜなら私は一度も外でオナニーをしたことがないからです。

まともな人間ならこのことに気づいて、私を性犯罪者と叩く藤村さんや森本さんの意見に賛同することもなければ、否定できない私に賛同することもないはずです。

しかしどうも○○さんは(ここは謝罪しておきます森元さんは違ったかもしれません)大勢で私を性犯罪者として叩く方にシフトしたようです。
(私の家の前の道路に来て聞えよがし堀江伸一が庭でオナニーしているのを何度も見たんだぜ広めとけといった男性がきt去っていって少し遠くで声も森元さんのように思えただけで別人だったかも、これは私が勘違いで冤罪をするところだったかも、この発言者が森元さんでなかったとしたら全面的に私が悪いです)

このことを考えてみます。
○○さんの仲間は、悪人である堀江伸一をたたくという正義に参加した仲間意識や信頼,友情の名のもとに森元さんを支援した美談になります。
これに便乗して堀江伸一をたたく人たちは、一種の祭り、悪ものを叩き、晒し上げ、危険人物として広め、いいことをしたというさわやかですがすがしく楽しい気分になっているはずです。
それに対し不幸な状態にあるのは私だけ。

これは民主主義の大原則、圧倒的多数の幸福が実現されている状態です。

もし私が身の潔白(悪魔の証明なので不可能なのですが)をしたら。
友情や親戚関係にひびが入るし、○○さんの仕事先では人に冤罪を吹っ掛ける人間を雇っているのかと評判が落ちます。
祭りに参加した人たちのブログやSNSもほんの少しだけ気まずいことになるはずです。
私以外誰も幸せになりません。
私が身の潔白を証明することは民主主義の大原則に反することになります。
何と驚き彼らのやっていることは素晴らしい正義だったのです。


私の今の気持ちは。
正義って嫌だなって気分です。
冤罪をかけられる人間がどんな気分になるかと考えると、幸福な人が増えるからって私は冤罪とかそういうことはしたくないというのが今の気持ちですね。
世の中の人はきっと逆何でしょうね。
だってこれを読んでる貴方、○○さんの味方につき私を叩くことで味わえる幸福感を選択したんでしょう?