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戦争と平和 物書き志望Sinaさんの脳内 - (2010/03/18 (木) 16:10:38) のソース

物書き志望Sinaさんの頭の中、日々これ思うこと考えていること、思想主義傾向の吐露。
一人の人間の頭の中なんて、人ごみの雑踏のように混雑で複雑で猥雑で日々変化しながら、不思議な調和を保って落ち着いている。
ある日右といったかと思えば明日は左なんてこともあるがたいていは安定していて、人間は少しずつ変わっていく。
だから、この露土も日が変われば少しずつ間違ってくる。




-人間について
脳の研究によるとある年になったら今まで発動していなかった遺伝子が発動して、いきなり人格が変わることがあるらしい。
また人間には、普段使われていない遺伝子が膨大な量保存されていて、お蔵に入っている。
環境や行動が変われば、それらが発動し始め、連鎖的に人格や性格、能力が変わっていくというのだ。
だとするならば、カルト的な団体も、理解できない文化様式もまた人間の能力の表れかもしれないし、普段会う人間とはもはや別物なのかもしれない。
そういった発想は頭の中にとどめておいても良いだろう。
ただ私20世紀日本人的価値観は賞賛に値する部類だと感じているし、カルトはあまり好きにはなれない。





-戦争と平和について
昔は不平等や欲望があれば一つ戦争でもやって代価を勝ち取ったといえる。
今は無数の国際条約、国際的に活動する組織、習慣と慣習、契約概念、貿易、国際金融、人の交流その他もろもろなどによって戦争以外の手段に力が向かうようになっている。
これは不平等を無数のロープで固定化したといえる。
戦争によらずに物事を解決して、良くしていく方法が無数に発明されたともいえる。
この国際的枠組みをよくしていくことが平和への道だと思う。
私の国際認識なんてこんな風に簡単なものだ。






-物書きの思想について
物書きのいうことなんて、たいていは時代遅れなものだ。
結局自分の頭の仲で組み立てたものを外にばら撒くのが好きで、取り入れるのは苦手だ。
だから価値観や認識が世から平気で10年20年遅れていたり時に100年前の感覚を平気で持っていたり、一己の特殊な個性だったりする。(理解されない個性は個性なのだろうか?)
結局物書きの発想というものは、大人になるまでの間にとおるはしごの一つに過ぎない。
通り過ぎたらもはや過去となる。



-絵描きや音楽について
大勢でわいわい集まって絵描きを楽しむさまはほほえましいものだ。
絵描きの自由で楽しい発想と高い技術はいつもユーモアを思い出させてくれる。
音楽だって大好き。