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Pixiv投稿小説批評ログ10 - (2010/09/09 (木) 02:39:43) の1つ前との変更点

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 ファンタジーとは(とりあえず書きかけ、いつか気が向いたら書き上げると思うけど書きかけのまま放置されるかも)
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 ファンタジーというものはなんでしょうか?
 
 主人公たちが賢い情報収集もせず、タイミングのよしあしは世界にお膳立てされ、普通ならヒントすらみいだせない関係を見つけ出し、事件を解決にまで導く。
 偶然と幸運が必然に転化されるのがファンタジーの本質といえます。
 
 ファンタジーでは世界のほうから問題をつきつけてきますが、同時に解決まで導いてくれる一本の道がセットになりこの道を愚直にたどるものです。
 知恵を出してわき目を振ったものから振り落とされていく道。
 この本質は指輪物語やもっと昔の民話に始まり、JRPGに見事に引き継がれました。
 
 
 どの作品にも多くの危機があります。
 退治すべき怪物だったり、陰謀だったり、世界や出生の謎だったり、戦争の危機だったり世界の危機だったり。
 こういった問題に何も考えない行き当たりばったりで望む。
 現実やリアルに近い作品なら問題解決や真相解明から一番遠いところにいる者たち。
 それがファンタジーの主人公なのです。
 
 世界に導かれるものとしての主人公。
 その道は運命か、奇跡か、必然でしょうか。
 
 
 
 
 ここまでは昔のファンタジーの話。
 世界は流転するもの、最近のファンタジーはどこに向かっているのでしょう。
 JRPG的世界観を背景にした異世界での日常へと進化しているようです。
 これはちょっと面白い話題です。
 
 
 独自性のある異世界。
 人や人間性とは一線を画する倫理や掟や神や自然を持つ異世界。
 厳しい自然と戦う異世界。
 これら昔の作品は力を失い、最近では単なるギミックに成り果てたようです。
 
 自然の偉大さや雄大さ、その中での日々の暮らし。
-これらから派生する人間以外のルールや日々との折り合いを感じられなくなった都市生活ではそんな作品にリアリティが見出せなくなったのでしょう。
+これらから派生する人間以外の生み出すルール。
+そこから生み出されるファンタジー作品群。
+
+自然との折り合いを感じられなくなった都市生活ではそんな作品達にリアリティが見出せなくなったのでしょう。
 都市生活の実感にあった学園都市的日常のあるファンタジーが力を持つようになったようです。
 昔の作品を知る身としてはさびしい限りです。
 
 もし本格的なファンタジーを創作するならJRPGの波から外れた、オリジナリティのあるきちんとしたファンタジーを書こうと思うならこういう問題を考えてみるのも一興かもしれません。
 
 賢い主人公がいる物語もいない物語も、解決すべき問題がある物語もない物語も、世界を探索する物語もどのファンタジーも楽しいものです。
 
 
 
 
 
 -ファンタジー作品の進化
 
 環境が変われば生物がかわるように、環境によって時代によって生み出される作品の種類も変化していきます。
 作品を生み出す土壌とそれを楽しむ人達の生活が変化すれば、そのバックボーンから生み出される作品群もまた変化していく。
 多様な様で多様でない。
 小説にはそんな捉え方もあるのかもしれません。
 
 多様になっているように見えて同工異曲、同じバックボーンから似たような作品が生み出されている毎日。
 昆虫の姿形の微妙な差異を競うように、ガンダムの顔の差異を語るように小手先の違いを多様性と考えているような風景が広がっているような気もします。
 
 
 作品が生み出される時代観、人間観、世界観、そのバックボーンまでさかのぼってから生まれるファンタジー。
 人間のルールとは相容れない自然のルールから生み出されるファンタジー。
 そんな根底から創作される作品も楽しいのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
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 今回の話を読んで私のファンタジー論は違う、私ならこう考える、最新の状況はこうだと考えたかたがいたら幸いです。
 その気持ちを文章に起こしてみてください。
 JRPGファンタジーから一歩踏み出した話を書いてほしいのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 世に、「ラノベとしてはありかな」なんて言葉があります。
 これどんなひどい作品でも「ラノベとしてはアリかな」この魔法の言葉でありありに見えてくる不思議。
 本当にあって良い言葉なのでしょうか?
 
 恥ずかしがって評価を怖がって評価から逃げ出して、ラノベに逃げて安息を見出す。
 
 とりあえず「ラノベとしてはありかな」という言葉で及第点を狙う心理。
 見事なまでにネット系作者の逃げ道になってますよね。
 個人的にどうかと思うこの風潮。
 
 こんなことしなくてもいい作者もたくさんいると思うのです。
 ラノベに逃げないで、ラノベの型にはまらないで自由に作品を作ればいいと思うのですが。
 何か狭いけど居心地のいいラノベの型にはまりたがる。
 この心理はどんなものなのでしょう?
 どんな作品でも自信を持って発表すればいいわけで、作品を丁寧にきちんと仕上げればいいわけですから、不安がらずに作品を作ったほうがいいと思うのですが。
 
 って十年前も二十年前も同人系はあいも変わらず同じ、「ライトな物としてはありって」言葉を使ってるからかわらないか。