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明治・大正期の海軍軍人。弘化(こうか)4年12月22日生まれ。薩摩(さつま)藩出身。初め仲五郎(なかごろう)と称し、元服して平八郎と称す。薩英戦争に参加後、1866年(慶応2)薩摩藩の海軍に入る。戊辰(ぼしん)戦争に薩摩藩の軍艦「春日(かすが)」に士官として乗り組み、阿波(あわ)沖で幕府艦「開陽(かいよう)」と戦う。この海戦は日本における欧式軍艦間の交戦の嚆矢(こうし)になった。維新後の新海軍においては、1871年(明治4)4月から1878年5月までイギリス留学。1879年12月海軍少佐、1894年6月「浪速(なにわ)」艦長になり日清(にっしん)戦争に出役。1898年5月に中将、1903年(明治36)12月連合艦隊司令長官になり、翌1904年6月に大将。日露戦争の日本海海戦(1905年5月27日)で、ロシアのバルチック艦隊を完破し、一躍世界的名声を得、「東洋のネルソン」と称された。1913年(大正2)4月元帥、翌1914年4月東宮御学問所総裁になり、昭和9年5月30日の死去の直前に侯爵となり、国葬で葬られた