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夏休みの宿題


読書感想文
「シゲティーの生涯」を読んで


シゲティーは20世紀後半、激動の日本を生きた代謝アナリストです。僕はこの夏休みを利用して、彼の伝記「シゲティーの生涯」を読み、その悲しい運命と力強い生き様、そして生き様とは裏腹にあまりにもあっけなく、不器用な死に様に深い感動を覚えました。


シゲティーは日本でもトップクラスに入る有名な青年実業家であり資産家でもあった父親と、若くして日本料理界に革命を起こした「レミパン」の考案者である平野さん(旧姓)の間に生まれました。シゲティーの両親は近所でも随一のおしどり夫婦で、シゲティーは幸福な家庭の中で何不自由のない暮らしをしてすくすくと育ち、幼稚園に上がるころには身長190㎝、体重300㎏の巨漢に育ちました。これが幸いしたのであろうか、シゲティーは5歳になる頃から「わんぱく相撲大会」に出場し、小学生や中学生、時には現役力士に混じって前人未到の世界大会10連覇を成し遂げ、中学卒業と同時に異例の大関昇進を果たします。さらにはその年の春場所、シゲティーは15戦負け無しの初優勝を飾りました。その頃には、シゲティーは身長360㎝、体重620㎏の大巨人へと変貌を遂げていました。そんなシゲティーの将来の夢は「お菓子屋さん」でした。シゲティーは何を隠そう、三度の飯よりお菓子が好きなピュア満開の男の子だったのです。

そんな、万事が順調であるかに見えたシゲティー17歳の冬、母親である平野さん(旧姓)が突然の病に倒れました。シゲティーは日に日に弱っていくばかりの母親をただ見守るだけで何もしてやれない自分をとても悔しく思いました。平野さん(旧姓)は次の春を迎えることなく息をひきとりました。大巨人シゲティーは、医者になって病に伏せる人々を救うことを決意しました。

こうして、シゲティーの猛勉強の日々が幕を上げました。シゲティーは日本でもトップクラスの有名大学医学部を目指しました。ところが、一年目も二年目も、シゲティーは不合格でした。三浪、四浪・・ただ無意味に、時だけが過ぎていきました。いつ終わるとも知れぬ、生き地獄とも思われる日々。シゲティーは挑戦する事を止めませんでした。雨の日も、風の日も、有料サイト閲覧料金の督促が来ても、レンタル中の過激なビデオの延滞料金が払えなくても、借金取りに追われても、隣に新婚さんが引っ越してきても、お隣さんの夜の営みの声が気になっても、お隣さんの奥さんに恋をしても、お隣さんの奥さんの夢で夢精しても。しかし大巨人シゲティー28歳の春、やはり今年もシゲティーに春はやってきませんでした。もはやシゲティーからかつてのピュア全開ボーイの面影は消え去っていました。そしてシゲティーは、悟ったのです。彼の敗因は、人並みはずれたその驚異的な代謝能力でした。わかっていても止められない、滝のようにごうごうと音を立てて流れ落ちる汗、その鼻を裂くように強烈な香り。面接試験で致命的マイナスイメージを与えることは明らかでした。

生まれて初めての挫折を知った大巨人シゲティーは、自分の受けた社会的疎外を世の人々に知ってもらうこと、そして二度と同じ惨劇を繰り返さないこと、つまり“NO MORE WAR”を掲げ、代謝アナリストとなることを決意しました。10年以上にわたる受験勉強で得た知識は無駄ではありませんでした。大巨人シゲティーは名門東ヤンバル大学医学部医学科代謝専門コースに入学し、わずか1年半という異例のスピードで代謝博士の称号を手に入れました。学長である安河内氏はシゲティーの良き理解者でした。

代謝博士“大巨人”シゲティーは日本代謝会の第一線で活躍し、いくつもの名著を世に放ちました。
「代謝入門~すべての悩める子羊のために~」
「シゲティーの100の法則~横綱に勝つ代謝~」
「代謝で読む源氏物語」
「大巨人シゲティーのマドンナ代謝」
「受験に出る!代謝」(略して「でる謝」)
これらは全て、言わずと知れた大ベストセラーとなりました。

40歳の夏、シゲティーを糖尿病と太りすぎのダブルチーズバーガー、いやダブルパンチが襲いました。しかし、主治医はシゲティーに病名を告げることはできませんでした。そのかわり、主治医はシゲティーにこう言いました。

「クリリンのことかー!」

大ダメージを受けたシゲティーは、40年と7ヶ月という異例の短さでその生涯を終えました。

                ~fin~