渋谷倶楽部

渋谷倶楽部(しぶやくらぶ)とは、1990年(平成2年)10月5日に、雪国の民具「かんじき」を作り続けた長老、渋谷吉尾さん(故人)を慕って、集まった有志のグループ。
主に渋谷さんが作っていた「渋谷式かんじき」の伝承事業をしています。

来歴

1990(平成2)年10月5日 渋谷倶楽部(山本俊雄会長はじめ渋谷爺を慕う有志)が誕生する。部員17名。
1990(平成2)年12月 倶楽部の最初の活動として、渋谷爺のかんじき工房でインタビュー形式のビデオ撮影を行う。

1991年(平成3年)1月 機関紙「渋谷倶楽部」創刊。初の倶楽部グッズ「渋谷金太郎飴」完成。
1991年(平成3年)2月 第4回大会より渋谷倶楽部が主催する。会場をかんじきスタジアム(町営野球場)へ移動する。23チーム参加する。
1991年(平成3年)10月 大会PRを兼ねて町内一週駅伝大会に初出場(55チーム中53位)
1991年(平成3年)11月 ヤマグワの幼木を渋谷爺のかんじき工房前に植樹。
1991年(平成3年)12月 かんじきソフトボール・ルールが確立され、参加資格に「おちゃらけ選手3名以上」と「開閉会式において渋谷爺の長いあいさつを嫌な顔をせずに聞かなければならない」が付記される。

1992年(平成4年)1月  渋谷吉尾とドンチャンズのデビューシングル「かんじきおけさ」発売。第5回大会より全国大会となり、TBS「そこが知りたい」に取り上げられ、全国から問い合わせが来る。
手が滑ってバットが飛ばないよう、グリップに輪(スキーストックのベルト)を付けた、かんじきソフトボール用バット「飛ばない君」を開発。
1992年(平成4年)2月  道外から青森県、秋田県、愛媛県のチームが参加。前日の交流会もこの大会から。全国大会テーマ曲「渋谷吉尾に捧げる歌」を謎の怪しい探険隊のイート伊藤氏が熱唱する。ドンチャンズも負けじと「かんじきおけさ」を熱笑。黒松内町役場野球部が史上初の3連覇達成。 
1992年(平成4年)3月  STV「みんなの赤レンガ」で第5回大会の模様が放送される。1回目のかんじきブナ・ウォッチングを現エコ・ネットワークの協力により開催。
1992年(平成4年)11月 「北海道まちづくり100選」大賞を受賞。

1993年(平成5年)1月 第6回全国大会キャッチコピー「おちゃらけしましょ」でおちゃらけが一大ブームに。
1993年(平成5年)2月 大会PRのため、NHK衛星放送の生番組に渋谷爺と渋谷倶楽部が生出演。「欽ちゃん」こと萩本欽一さんとタレントの西村知美さんが司会をしていた。

1994年(平成6年)2月 山本会長念願のかんじき型せんぬき完成。(12月より発売開始)
1994年(平成6年)11月 渋谷倶楽部の事務局をブナセンター内に置く。
1994年(平成6年)12月 渋谷爺が読売新聞主催「北のくらし大賞」優秀賞を受賞。この頃から渋谷爺と渋谷倶楽部に新聞、テレビ、雑誌等の取材が殺到する。

1995年(平成7年)1月  NHK朝のニュースで渋谷爺が4分30秒間、全国放送される。第8回全国大会キャッチコピー「まだ会えだねぇ、いがったね〜」。バラエティーに富んだ渋谷倶楽部グッズ(ステッカー、ハガキ、風船、旗、ポンチョなど)を次々と作製。1回目のかんじき作り体験ツアーを実施したが、参加者なし。
1995年(平成7年)2月  いなむら一志さんのHTB「遊々アウトドア」チームが大会に出場。大会当日の昼食時に行われていた「青沼稔アワー」で青沼ギャグ炸裂。倶知安じゃがた(倶知安自衛隊)が全国大会2連覇。 
1995年(平成7年)3月  大会テーマ曲を収録した謎の怪しい探険隊ベストCD発売。
1995年(平成7年)12月  当初からの部員だった佐々木理氏が突然の死。

1996年(平成8年)1月 女優の藤田弓子さんとテレビ撮影のため、かんじきソフトボールの練習試合をする。
1996年(平成8年)2月 第9回全国大会キャッチコピー「爺は年をトラネード」渋谷爺はますます元気だ。渋谷爺ぬいぐるみも完成。参加記念品はオリジナルバッヂ。
1996年(平成8年)4月 渋谷爺が「ビートたけしのTVタックル」出演のため東京へ。
1996年(平成8年)8月 ビーフ天国'96で「お散歩ミルクちゃん」販売。第10回記念大会PR用オリジナルTシャツを88枚作製。それを着た「歩く広報部員」が全国で大活躍。
1996年(平成8年)9月 北海タイムス50周年記念「地宝大賞」の大賞を受賞。
1996年(平成8年)10月 ブナセンター周辺に「渋谷の森」を整備。ヤマグワ幼木88本植樹予定が30本。
1996年(平成8年)11月 札幌市電キャンペーンを実施。

1997年(平成9年)2月 渋谷爺の米寿を祝う会を黒松内町総合町民センター大ホールで開催。第10回全国大会で過去最高56チームがおちゃらける。ドンチャンズ再結成。
1997年(平成9年)3月 全88ページの記念誌「KANJIKI 88」完成。
88年から10年に渡り、多くの方々と交流を深めた「かんじきソフトボール大会」に自ら終止符を打ち、渋谷倶楽部は更なる進化を遂げるべく、渋谷式かんじきの伝承事業に力を注ぐ。

1998(平成10)年2月 第11回大会から(第17回大会まで)かんじきソフトボール大会実行委員会(事務局:町教育委員会)が主催し、全国大会を開催。
1999(平成11)年2月7日 渋谷倶楽部ウェブサイトを開設。


2001(平成13)年2月15日、「かんじき工房」が屋根に積もった大雪により、崩壊(屋根と屋根裏部屋の床、ブロック壁の一部等)。

2001(平成13)年2月 NHKテレビ『北海道ぶらりみてある記』にて、かんじき工房崩壊の模様が放送される。
2001(平成13)年2月 新かんじき工房づくり募金活動開始。
2001(平成13)年6月 募金額56,927円を旧かんじき工房の解体撤去費用に充てる。


2002(平成14)年1月 TBSテレビ『噂の東京マガジン』渋谷爺出演

2002(平成14)年2月 ABC朝日放送『クイズ紳助くん』渋谷爺出演。
2002(平成14)年2月 NHKテレビ『新・北海道中ひざくりげ』渋谷爺出演。
2002(平成14)年3月 第10回目のかんじきブナウオッチングに渋谷倶楽部も協力する。
2002(平成14)年10月1日 渋谷倶楽部会長 山本俊雄氏が病気のため死去。

2003(平成15)年2月22日 渋谷倶楽部は「第1回かんじきまつり」を開催
2003(平成15)年2月29日 第16回大会を、かんじきソフトボール大会実行委員会が開催。
2003(平成15)年10月9日 渋谷吉尾爺、死去(享年92才)

2004(平成16)年2月10〜15日『故 渋谷吉尾爺』思い出展を札幌で開催。
2004(平成16)年2月 かんじきソフトボール大会実行委員会が、故渋谷爺追悼記念大会(第17回大会)を開催。
2004(平成16)年3月24日 雑誌『森の人、人の森。』全国書店で発売。

2006(平成18)年2月26日 ふれあいかんじきソフトボール大会開催

2007(平成19)年2月25日 ふれあいかんじきソフトボール大会(積雪不足のため中止)

2008(平成20)年2月24日 かんじきソフトボール生誕20周年記念かんじきソフトボール大会を開催

2014(平成26)年1月18・19日 第2回かんじきまつり開催


外部リンク

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年11月26日 17:11
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。